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生き残った者たちの未来

今生きている人は、みな生き残った者たちです。 過去という時間からの生還者です。 振り向けば鎮魂を 前を向けば、定かでない未来がある。 この与えられた未来は、自由かつ孤独です。 未来に向かって旅立つ人に送る言葉をください。 NOという中の希望を見出して人は生きてきたのです。 小さなYESをください。

noname#189751
noname#189751

みんなの回答

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.6

時間というものを直線的、と捉えるならば仰るとおりですね。 過去という暗闇から生き残り、這い出してきた生還者です。 しかしながらこの人生も、 これまでに数限りなく繰り返してきた転生の、一コマに過ぎません。 そして希望を胸に秘めて、 また再び、新たな転生による人生の一コマを始めるのでしょう。 魂というものが死ぬことができないとすれば、 これまでにも死んでいなくなった人はどこにもいないわけで、 そうだとすれば、 すべての存在たちは引き続き、真の覚醒への学びの途上にあるのでしょう。 人生において たくさんのNOが詰め寄ってきたように思えたことがありましたね。 どうしても開かない扉もあったし、一方的に暗闇へ放り出されたことも、 大海原にたった一人、小舟に揺られていたこともありました。 しかしそれでも微かなあかりを自ら灯し、小さなYESを握り締めて 「NOという中の希望を見出して人は生きて来たのです」。 しかし私たちは孤独ではありません。 私たちはそれぞれが 自分の属する「魂の家族」ともいうべき大きなグループに属しています。 私はこの人生を終えると、この家族の元に帰って憩い、 そして再び、成長と学びの旅を、宇宙のどこかで始めることになるでしょう。 そしてあなたの帰りを待つ、あなたの「魂の家族」が 常にあなたを見守って、あなたを助け支えてくれているのですよ。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 自ら灯した小さなYESは、「魂の家族」が知らぬ間に与えてくれたもの・・・というようにも取れますね。 優しい言い方のように聞こえます。 さて、この「魂の家族」とは何でしょう? 不可知の領域に、そうした智慧や慈悲の如きものを追いやってしまってもよいのでしょうか? それならば「真の覚醒」とは、人の言葉の及ばぬものになってしまうような気がするのですが・・・ 小さな目覚めをもたらす小さなYESを得るとき、人に宿るもの それは遠く離れたところにあるのでもない 今、ここにいる自分を未来にいざなうものです。 それを超越的無意識と呼ぶ場合もあるかと思います。 誰でもがもつそうした心から、誰でもが小さなYESを得ることができる。 そんなふうに思えるのですが・・・ 補足欄に詩を書いてみました。 「魂の家族」を無理やり引っ張り出したような?詩です。 すこし強引だったかもしれません。 批判、論評はご自由です。

noname#189751
質問者

補足

汝の仰ぎ見る雲は、すべてを覆ってはいない 大地が光を求めるとき、その扉は開く 厚い雲の扉から差す光が、山や川や大地を照らすとき 汝は汝のいる場所を知らされる さあ、行くがよい 再び顔を上げて、前を向くがいい  光の中に解き放たれた子よ、行くがよい 見送る鐘の音は聞こえずとも 汝に託された花の種を持って、行くがよい わずかな種を握りしめ、離すことなく 汝が種を播けば、雲が雨を降らせてくれよう 光が天に向かって伸びよ、と呼びかけてくれよう 青い葉に宿る力は、いつかは花を咲かせてくれよう 遠くから見守る人達にも、きっとその花は見えるに違いない 訪れ来る時は静かで畏れさえもない 小さな頷きを与えたものは、汝の内に宿っている 汝が生きることは私が生きることなのだと 汝とは私であり、私とは汝である 汝がいる限り、私は去ることもない 光が差した今、私は汝に告げよう 行くがよい、と 朝の光への感謝を胸に 前に向かって さあ、行くがよい ※表現形式に問題はありますが 数多くのYESの中の一つを表してみたつもりです。 書き終えて不思議に思ったのは 「希望」と「勇気」という言葉を使わなかった点です。 どなたか書いていただければ幸いです。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

「誰でも最初は0だった」

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 0ではないのに、あえて0と言い切ってスタートしようとする姿勢は、自らに言い聞かせる言葉だと思います。 いつも今が始まり、というようにも聞こえます。 人生のリセットにおいて、これから始めようとする時に生まれる言葉のようでもあります。 前向きの姿勢を失うことなく進め、というようにも取れます。 ここには、すでに過去は存在しない、自由の証を手に入れた人の呟きなのでしょう。 自らが言い聞かし、自らに送る小さなYESでしょう。 悪くないと思います。

回答No.4

 未来に向かって旅立つ人の“希望”は“願望”とも言い換えられる。  “旅立つ人”とは希望、あるいは願望というエネルギーを持つ人。  希望とか願望は未来に向けての推進力。  自由ではあるが孤独だ、と思う人にも希望、願望はなくせない。  NOという中の希望を見出す、為には人の意志力の中にある向上心が必要。  回答No.2、komaas88さんは、「立派に生きていけ」と言っています。  でも、about72さんは「立派」を消して「生きて行けやー」と受け止めているようですね。    この「立派に」は、結構重要ではないでしょうか。  小さなYES、には「立派に」を挙げたいと思います。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 「立派に」には、人らしさを忘れるな という願いが込められているようです。 私は 形にこだわらない生きることのひたむきさ だけを取り上げてしまったようです。 やはり大切でしょうね。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

本当は未来なんてなくて今という現在だけが無限に続いていくだけさ

noname#189751
質問者

お礼

軽くそう言ってしまうのもいいでしょう。 いいというより一つの見方には違いないと思います。 けれど、過ぎ去った時間に向かって安らかであれと祈るところにおいて、過去とは消え去ることのない現実なのです。 鎮魂とは過去という確かな現実への祈りです。 そこから見れば、現在とは不確かな未来です。 過去という現実から、置いてけぼりをくった世界です。 時間の一人歩きという空白が、そのまま続いていいとは思えない。 未来という言葉には、前向きという意味が込められていると思います。 空白に向きあって何かを記すという、人らしさ、ひたむきさみたいなもの 時間はただ過ぎてゆくのではなく、人の営みにおいてあるものという 未来という言葉は、そこにふさわしい気がします。 過去に留まれば未来はなく、空白の現在が続いてゆくところにも未来はない 振り返りつつも、前に向かって生きてゆくところに未来はあるのだと思います。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

ほら、くだらんくびきは切捨てて、ちゃんと前向いて、過去のノウハウをしっかり持って、急がんでもええ、立派に生きていけやー。

noname#189751
質問者

お礼

>生きていけやー これがいいですね。 そうなんです つまるところは、これしかない これでいいのだと思います。 過去から現在に送る言葉とは、迷いをもったものではないはずです。 なぜ、なんのために生きるのか? という疑問は何の役にも立ちはしない 生きよ、 という過去から常に発信されている確かなメッセージに耳を傾けるべきだと思います。

回答No.1

過去は知恵であり、未来は挑戦である。 量子的な不確定性は、意識(現在)を介して、過去の経験 (時間=確率性)と未来の予測(空間=可能性)に相補分化する。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 Pさんらしい言葉とお受けしました。 >過去は知恵であり、未来は挑戦である。 今現在という視点からのようです。

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