• ベストアンサー

あの世があるとして

  あの世に行った人は、この世のことを振り返るのであろーか。 この世が懐かしいとか、この世に戻りたいとか思うのであろーか。 もしそのよーなことを思ったとしたら果たしてあの世は良いところなのであろーか。 それともあの世に行っても更なる次のあの世を願って祈るのであろーか。 あ~、あの世。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.7

あの世は 誰もが考える問題の一つでしょう。存在の実証は 不可能かもしれません、が 論理的には扱えると思うのです。論理学の公理に相当する部分を無矛盾にしてあの世の生成の原点を明確にするのです。 例えば、(1)全員が永遠に極楽浄土に住む世界とします。すると 全員とは この世で何十人も殺した非道なひとまで入れてもいいのかとか、永遠とは この世の時間と同じく経過する時間が無限に続くのかとか、極楽浄土とは 例えば 憎しみのない相互魂の状態とはどのような状態とか、住むとは住む空間はとか、衣食はとか、色んな設定を演繹的に構造化しておかなければ 論理的あの世とは言えなにのです。多数の人は その構造化されたあの世を理解できるのです。公理の部分がどうも理解できないという場合は そこを変えるのです。 例えば(2)この世で善行を積んだものは永遠に極楽浄土に住むことは出来るが、悪を行ったものは永遠に地獄にすむことになる。すると善とは何か、悪とはなにか、善悪の中間的部分はないのか、あるいは永遠に地獄に住むのは問題ではないか いろいろ設定をしないと構造化できないのです。あるいは 永遠の極楽、地獄では納得できない場合は 例えば(3)極楽か地獄である期間過ごしたあとは次の世に行き別モノに成るのです。極楽魂は人間に生まれ変わり、地獄のあるグループはゴキブリに生まれ変り、やがて彼等が死ねば また あの世に行くという この世とあの世のサイクルを永遠に繰り返すのです。 要するにあの世は論理的に扱えるということです。公理を信じれば 信仰となり 他人との共有化ができれば宗教団体になることも出来るということでしょう。 さらに 言葉を信じるということに重点を置けば 矛盾的言葉の内容も生きてきます。矛盾的言葉の内容であっても繰り返し感じられるとなおさらでしょう。たとえば 「無いことが有る」とか、「信じないことを信じる」とか「存在しないことは存在している」とか です。言葉は人間に与えられた最大の伝達手段と思います。 以上参考までに

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

いずれにしても、「後悔は先に立たず」

回答No.8

やあ。 私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。 今年の仮面ライダーまいつものように私の弟子だ。 君を占ってしんぜよう。 ムム、君には死人の霊が群がるようについておる。 君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか? 人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。 その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。 生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。 それは供養が足りないからだ。 そして成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君についている。 さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。 そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。 そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。 子が死ねば孫を苦しめる。 そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。 君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。 何とかしなければいけないが、私は救わない。 そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。 誰でも似たり寄ったりだ。 その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。 君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。 その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。 君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。 では、どうすればいいか。 燃え尽きるまで焼かれるるがいい。 すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.6

それ以前の話ですが、一度死ぬ(‘この世’との関わりを断つ)、しかも過去のことを全く考えもしない・・・のなら、その人(存在?)はもうそれまでの「自分」とは全くの別ものって考えていいんじゃないですか? もう「今まで関わってきたもの」の何にも影響を与えず、(完全に忘れるということは)何の影響も与えられない訳ですから、完全に無関係ってことになるのではないでしょうか。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >しかも過去のことを全く考えもしない・・・のなら、その人(存在?)はもうそれまでの「自分」とは全くの別ものって考えていいんじゃないですか? 人が記念写真を取ったりするのは、70のばあさんが自分が乙女の頃の姿を見て楽しむためではないだろーか。   もし人が過去のことを一切考えないのであれば、人がこの世で喜んだり悲しんだり恨んだりすることもなかろー。   しかしそのよーな状態は果たして人であると言えよーか。  

回答No.5

>あの世に行った人は、この世のことを振り返るのであろーか。 人の道23は、せっかくこの世に生まれながら、前世をふりかえっていないだろう。 だから、せっかくあの世に行っても、この世をふりかえることはなかろう。 犬や猫と同じ生をいきているのじゃろうな。

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3298)
回答No.4

正直に言って あの世があるのかどうかも分かりませんし あの世の人間がどうこうはわかる訳がないじゃないですか。 死なないとわかりません。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >死なないとわかりません。 やっぱ死ぬ以外ないな。    

noname#161756
noname#161756
回答No.3

どうなのでしょうね。 個人的には死んだら魂は浄化され、次は何か(動物や植物など)に生まれるのだろうと感じています。 植物として魂がおりたなら、もう生まれ変わることはないでしょう。 できる限り現世では死ぬ前に過去を反省すると綺麗になっていきますので、浄化が早いでしょう。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >できる限り現世では死ぬ前に過去を反省すると綺麗になっていきますので、浄化が早いでしょう。 毎日毎日、反省してます。  

  • aoj
  • ベストアンサー率44% (17/38)
回答No.2

ふりかえりはするでしょうが あの世 が いいところなのか わからないので はんだんしかねます。 天国なら まだいいですが、地獄なら最悪でしょう。 まあ、昔は常世の世界は素敵な場所であると言い伝えがあったりなかったりしたそうですが。 神話とか調べてみたらなんか わかれかもですよ。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >天国なら まだいいですが、地獄なら最悪でしょう。 わしは既に20回も南無阿弥陀仏と唱えたんで極楽浄土へ行くことは間違いない思う。 しかし極楽浄土はえーとこかも知れんが、極楽浄土に往けばこの世を懐かしんだりはせんだろーかなどと思いを巡らしているんです。      

関連するQ&A

  • あの世

    一般的に人が不幸なお亡くなりになった場所は、いくなと いわれています、怨みの念が強いようで、あの世にいけ ない人が、この世にさまよい悪霊となり、不幸な出来事 が起きやすいといわれている、そのような所は現実に次 々と事故がおきているとかで、科学的には証明できては いません、人の生死は何が決めるのでしょうか、よろし くお願いいたします。

  • この世からあの世のことは語れますか?

    この世からあの世のことは語れますか? また、あの世からこの世のことは語れますか? 仮に語れたとして意味あるのですか? 何のために語るのですか? 色即是空、空即是色。 この世のすべては無であり空であるなどと坊さんたちは説きます。 それはこの世のことですか、あの世のことですか? 生きているうちからあの世のことについて語ってどうするのですか?

  • あの世についての問答

      問う人: あの世と何か? 人の道: あの世とはこの世のことである。 問う人: ではあの世へ往くとはどーゆーことか? 人の道: あの世へ往くとはこの世へ沈むことである。 つまり土に帰るのである。 土に帰って木や花に吸収されるのである。 草になって草と同化するのである。 また牛や馬に食われて、牛や馬の一部になるのである。 問う人: すると死んだ人の心はどこに往く? 人の道: 心は我々の体が土に帰る過程で宇宙空間に揮発する。 今まで我々の体内に閉じ込められていたものが広大な宇宙空間に放たれるのじゃ。 すると心は次第に希薄になり、最後には無になる。 問う人: それは皆同じなのか? 人の道: 皆同じである。 皆死ぬと土に帰る。 そしてその心は宇宙空間に放たれ、希薄になって最後には無になるのじゃ。 問う人: 無になったらそれで終わりなのか? 人の道: 一旦はそれで終わりである。 しかし我々の肉体は土に帰り、その土からは新たな生命が生まれるのである。 これが即ち再生、つまり輪廻である。 このよーにして命は地球上で循環するのである。 だからあの世とはこの世のことなんじゃよ。 分かったか? 問う人: はい、分かりました。 あの世とはこの世のことなんだね。 人の道: 皆にも訊いてみい。 問う人: 人は死ぬと土に帰り、その心は宇宙空間に放たれ、希薄になって最後には無になる。 我々の肉体は土に帰り、その土からは新たな生命が生まれる。 だからあの世とはこの世のことであるゆーこと、皆も分かったか。  

  • あの世 = この世 ー 自分

      素朴集合論による関係式で表現するとこーなるとゆー。 ここで人は死ねば無になるので、自分 → Φ となる。 これを上の関係式に代入すると、 あの世 = この世 ー Φ = この世 が成り立つ。 つまり、いずれ人は死ぬのであるから、 あの世 = この世 と考えて間違いないのではないか。  

  • 戒名があると、あの世でも死ぬのではないか

    戒名があるとあの世でもこの世と同じようにもう一度死ぬのでは。あの世で死んだらこの世に戻ってきますが、それが墓碑に刻まれた戒名とどんな関係があるのか。戒名がなければ静かに死んでいられるようにも思いますがいったいどういうことでしょうか。

  • あの世とはこの世のことである

      色即是空、空即是色。 この世のあらゆるものは空であり、無である。 またあの世はこの世のことである。 何故ならあの世はこの世が作り出したものだからである。 あの世のあらゆるものもまた空であり、無である。 故に極楽浄土は空であり、地獄は無である。 このように考えるとお経も、成仏も、戒名も、極楽浄土も、・・・およそ坊主の考える一切が空であり無となるのである。  

  • あの世は存在しない

      宇宙の公理を用いて「あの世は存在しない」ことを証明します。 証明: 仮にあの世が存在したとする。 このとき第3公理より宇宙の法則は宇宙の全現象を支配するのであるから、あの世の現象も宇宙の法則が支配することになる。 また第4公理より宇宙の法則は唯一絶対であるから、あの世の法則は宇宙の法則自体でなければならない。 また第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、あの世とあの世の法則は宇宙と宇宙の法則と一体でなければならない。 結局、あの世とあの世の法則はこの世とこの世の法則と一体でなければならない。 すなわちあの世とはこの世のこととなり、あの世はこの世とは別には存在し得ない。 故にあの世は存在しないと結論できる。 証明終わり。           宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • あの世は平等?

    「占い」ジャンルで投稿すべきものか分かりませんでしたが、霊的なものなのでこちらにさせて頂きました。 現世でいいことをした人、苦労した人にはそれ相応のご褒美を、悪いことをした人にはそれ相応のおとがめを、あの世で受けるのが平等ではないかと思うのですが、非常にショックな話を聞きました。 現世では散々ひどい目に遭い、若くして壮絶な苦しみを受けながら亡くなった方がいました。しかしその人は死後何百年とその苦しみを引き摺ったまま成仏できていないというのです。 これを聞いて、これまで「あの世は平等なんだから大丈夫」「この世で苦しい思いをしても、あの世でその分幸せになれるんだから」という安心が壊れ、なにかにつけて心配になってしまいました。苦しい思いをして亡くなった人の冥福を、笑顔で祈ることなんてできません。 現世で苦しい思いをした分、あの世で幸せになれるというのが平等ではないのでしょうか? ついでに、現世で悪事を働いた人にはちゃんと罰が与えられるべきではないでしょうか・・・? 真実を知ろうと読み漁った霊学者さんの話はとてもアテにはならず、不安は募るばかりです。 あの世って、平等なんでしょうか?

  • あの世があるとしたら何故あると思いますか?

    よく江原さんとかがあの世があるとおっしゃっていますが、自分は何故あって最終的な目的が何なのかが気になってしょうがないです。 まず無の状態からビッグバンが起きて地球が生まれて命というものが突然できたというのが不思議です。 無の状態が最初なら命という概念って絶対考えられないですよね。 そういう不思議な思いがあるので、自分はあの世があるかもしれないと思っています。 でもあの世=物質世界ではないとすると、その存在の意義も不思議でしょうがありません。科学では全く証明できないと思います。 もしかしたら自分たちをトレーニングさせにこの世にこさせられてるのかもしれません。辛い経験とか楽しい経験とかしにきてるのかもしれません。 自分は不思議でしょうがないのですが、みなさんはあの世があるとしたら何故あると思いますか? よろしくお願いします。

  • 自分の体はあの世ではないか

    自分はこの世に生きていると思っていますが、自分の体は現在もあの世(に属しているので)ではないかという疑問です。この場合のあの世というのはいわゆる自然界と同じ意味と考えています。