• 締切済み

日本の鎧

平清盛を見ていて、昔から疑問に思っていたことを思い出したのですが、 日本の鎧はかなり隙間だらけなのですが、あれで十分に防御できたのでしょうか? 西洋の鎧だと前身くまなく覆って隙間も鎖かたびらで防いでいますが、日本の それだと、隙間を狙われるとかなり弱い感じがします。 あと、なぜ手持ちの盾を装備していないのも不思議です。

  • 歴史
  • 回答数7
  • ありがとう数2

みんなの回答

  • kuroneko3
  • ベストアンサー率42% (250/589)
回答No.7

 鎧については,西洋でも時代による変遷があります。全身をくまなく覆ったプレートアーマーが発達するのは15世紀頃からで,それ以前は西洋でもチェインメイルやスケールアーマー,ブリガンディンといった鎧が重武装の主流でした。特にブリガンディンは,革鎧などの内側に鉄板を規則正しく並べて防御力を高めたもので,基本的な発想も防御力の程度も日本の鎧と大して変わらないと思われます。  プレートアーマーが発達したのは,銃による攻撃から身を守るためですが,機動性をかなり犠牲にしており,騎士が落馬すると身動きが取れなくなってしまうような代物もありました。16世紀に入り,さらに銃が発達すると,もはやプレートアーマーでも銃による攻撃を防ぐことができなくなり,実戦で用いられる鎧は腕や足の防御を諦めた胸甲などが中心となり,次第に甲冑そのものが用いられなくなっていきました。  日本人の多くが知っている全身をくまなく覆ったプレートアーマーは,実は馬上試合用や儀礼用,装飾用といったものが多く,実戦であのような鎧が多用された時期はそれほど長くありません。金属加工技術や発達すると,比較的軽くて丈夫な金属鎧も開発されたようですが,その防御力も銃の前には絶対的なものではなく,しかも実際には高価すぎて一部の王侯貴族しか着用できませんでした。  盾については,西洋でもそれほど意味があったわけではなく,あまり丈夫で重いものを作っても戦闘に支障を来すので,むしろ木製などわざと壊れやすい素材で作り,敵の攻撃を盾で防ぐと,敵の武器が盾に食い込んで使えなくなってしまうようにするのが盾の主な役割でした。盾は単なる使い捨てで,使えなくなったら武器だけを持って戦うのです。しかも,最初に投げ槍などで攻撃されれば,それを防ぐ段階で盾が壊れてしまうので,防具としてもあまり有用とはいえませんでした。  日本では,武器として両手持ちの刀が発達し,それを使いこなすための剣術も発達したほか,西洋のような使い捨ての盾という発想も日本人の美意識には合わなかったでしょうから,盾があまり普及しなかったのも不思議ではありません。

  • izuhara
  • ベストアンサー率31% (97/310)
回答No.6

平清盛の時代の甲冑に限定してお答えしますと、騎射に特化した大鎧で、騎乗すると全身を守るのに非常に合理的な構造となります。 札による構成は柔軟な動きができる上に、馬上ではゆれて矢の威力を半減させます。 また、一見隙間だらけの肩から首にかけても馬上で弓を持っていると大袖が肩から胸を覆い、頭も下げるので庇で顔も防御できます。 このため、馬上での弓矢の打ち合いは遠距離ではほとんど効果がなく、接近してのすれ違いざまにわずかな隙間に矢を放つという高度なテクニックが必要でした。 大鎧に関しては、主流であった馬上での弓矢の戦いでは全身を防御できていたのです。 この基本構造は騎射が廃れ歩兵戦が主流になった時代でも通用しました(不足部分は喉輪や佩楯などが補う)。ちなみに戦国時代でも合戦の死傷率はあまり高くありません。 特に肩の袖は小型化しましたが、武器を持った際に前にたらすことにより両手を塞ぐことなく肩・胸を守ることができました。日本の戦闘においては盾を持つよりも合理的だったわけです。 動きやすさと防御のバランスを上手くとった構造といえるでしょう。 動きやすさを犠牲にして防御に特化した鎧とそれを砕く武器との競合が続いた西洋とは別の面白みがありますね。

noname#229784
noname#229784
回答No.5

 日本は山が多く、軽量な鎧が必要でした。  また、実戦では斜面などの戦闘で   片手で武器を扱わざるえない場面の方が多くあったようです。   なので盾は邪魔になるだけのようでした。  西洋鎧は後期のものになると、技術が進み、   転んでも自力で起き上がれたり、   人によっては鎧を着たまま逆立ちをすることができたようです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

”日本の鎧はかなり隙間だらけなのですが、あれで十分に防御できたのでしょうか”     ↑ 十分ではありませんでした。 鎧通という小さいが堅牢な刀で、隙間を狙い ました。 ただこれにはメリットもあります。 (1)自由に動き回ることができる。  間接まで防御している西洋鎧では動きが鈍い。 (2)湿気が多い日本では、密封式の鎧では耐えられない。  特に長時間の行軍などでは不可能。 ”手持ちの盾を装備していないのも不思議です”          ↑ 日本刀が専ら両手で扱う刀だったからです。 身体の小さい日本人が片手で相手に致命傷を 負わせるのは困難です。 だから、両手刀が発達しました。 従って、盾を持つことが出来ません。 その反面、両手で扱うので、威力とスピードに おいて西洋剣術を凌駕しています。 幕末、英国人水夫二人が、榊原健吉の道場に乗り込んで サーブルVS竹刀 の試合が行われたことが あります。 日本の習いとして、一番弱い弟子が相手をしましたが 圧勝した、という記録が残っています。 これなどは両手刀と片手刀の違いだと思っています。 尚、その水兵二人は、榊原健吉の弟子になっています。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.3

日本の鎧、つまり日本兜・甲冑は、今の剣道の防具に名残があります。 動き回れますよね。高校くらいだと暴れ回っていますよね。戦国時代の当世具足もこのくらい動き回れます。 西洋の甲冑は、機動性が悪く、一人で装着できません。時期によっては落馬、もしくは転倒すると自力で立てないので、死、あるのみです。基本的にプレートを重ねて作っているからです。 日本の甲冑は、プレートやチェイン・メイルを布と紐で組み合わせて、スネからアタマまで防護しています。スネは今でも薙刀で使っていますが、このようにカラダの各部各部にあわせたパーツを装着していきますが、あるパーツが他のパーツの機能・動きに邪魔にならないように組み合わされています。 無理に隙間をなくして機動性を犠牲にしたのが西洋の甲冑です。日本の鎧兜はまぐれのような隙間へのヒットより、機動性と、量産することにウェイトがありました。 両手を使うこと前提に作ってあるので刀を両手で保持し強力な打突を可能にしています。馬上から弓をいることも簡単です。また、戦国時代末期には西洋の甲冑技術も入ってきており、鉄砲の導入にあわせるように、南蛮甲冑のようなボディプレートにも出てきます。そして、隙間にチェイン・メイルを使うようになります。同じ時代の欧州ではネーデルランド反乱戦争をしていましたが、日本の甲冑・具足ほど兵士の装備はよくありません。 日本の鎧兜は暑くて湿度の高い日本で使うこと前提に進化しました。 剣道では小手で一本とれますが、実戦で小手をやると刀が持てなくなるので非常に効果があります。面・胴だと即死ですよね。でも、竹刀でふせげるのできれいに一本とるのは至難の業です。盾、いりません。 体育とかで剣道やるとわかりますが、あれでかなり防げます。私、一応三段で、イタイ思いはたくさんしました。経験から回答していますが、お納めください。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

力の差です。体格が違うのです。西洋人はひたすら肉を食べてフィジカルを鍛えます。日本人はひたすら技を磨いて術を鍛えるのです。非力を技術で補うのが日本人の戦い方だった。鎧は、ひたすら軽量化が求められました。片手では力が無いから打撃を与えられない。だから両手刀が発達しました。両手とも攻撃に使いますから、盾を持つ手が空いていないわけです。日本の盾は地面において矢を防ぐためのものでした。皮を切らせて肉を斬る。肉を切らせて骨を絶つ。攻撃は最大の防御。

noname#177763
noname#177763
回答No.1

隙間だらけで塞ぎ切れなかったでしょうね。 それでも鎧の重さは30kg近くあったそうですね。 盾が無いのは扱いにくいからだと思います。 馬に乗る武士の槍の長さは、馬に乗りながら扱える長さ。 しかし足軽の槍は馬に乗る武士よりも長い槍を使います。 とても盾を使える状態ではないと考えられます。

関連するQ&A

  • 日本では盾を使わない?

    いつもありがとうございます。 ふと、思ったのですが、西洋などでは剣で戦う時に利き手と反対側に盾を持って戦うことがあるかと思います。 「矛盾」という言葉ができたのは中国だと認識しているので、中国等でも盾は使うのでしょう。 でも日本の武士が戦う時に盾を持っているのを見たことがない、と思いました。鎧を着けている、と言っても西洋でも鎧は装着しているでしょうし。 つたない知識で申し訳ありません。お時間あったらなぜ日本では盾を使わないのか教えて下さい。

  • 甲冑の騎士が盾を持つ意味ってあるのですか?

    足から手まで金属の鎧で覆われ、隙間なく防御しているのだから あえて盾を持たなくてもいいのでないでしょうか? 矢も剣もきかないでしょうし

  • dq3で呪文が効かなかった、ブレスが効かなかったはありうるか?

    補助呪文においては運のよさに応じて効かなくなる確率が高くなりますよね?でも普通のメラとかギラって味方に対して効かなかったはdq3では聞いたことがありませんが。運のよさを上げてもだめですか。 それでは、光のよろい、勇者の盾を装備してフバーハを唱えてかつ防御してかえんムカデの火の息をくらったらどうなるんでしょうね?

  • ドラクエ4の攻略本に掲載されていたおすすめコーディネート

    よろしくお願いします! かなり前の話ですが ドラクエ4の攻略本に各キャラクターのおすすめコーディネートのようなものが掲載されていたと思うのですが、 覚えている方はいらっしゃいますか。 というより、まだその攻略本を持っている方はいらっしゃいますか。 私の記憶している限りでは、 勇者:天空の剣、天空の鎧、天空の盾、天空の兜 ライアン:奇跡の剣、刃の鎧、風神の盾、鉄仮面 アリーナ:キラーピアス、忘れた、装備無し、忘れた クリフト:はぐれメタルの剣、はぐれメタル鎧、はぐれメタルの盾、はぐれメタルヘルム ブライ:マグマの杖、不思議なボレロ、鱗の盾、幸せの帽子 トルネコ:正義のそろばん、鉄の前掛け、忘れた、鉄兜 ミネア:銀のタロット、安らぎのローブ、装備無し、金の髪飾り マーニャ:鉄の扇、踊子の服、装備無し、金の髪飾り です。 上記の忘れたところと誤っている所を どなたか教えてください。 ところでこのコーディネート、 何のために掲載されたのでしょうかね。 勇者、ライアン、クリフトあたりはともかく 他のメンツは、とてもデスピサロに立ち向かえるような装備ではない気がするのですが・・・。

  • 完全にオリジナル装備の国って過去にありますか?

     例えば、日本の戦国時代  旗の模様や家紋、兜の形などはいろんな物がありますが  鎧を装備し、武器は刀・槍などで陣形を組んで戦う。といった事は  基本どこも同じです    そうではなく、日本でも外国でもいいのですが  武器や鎧・装備などが他国にない  その国(軍)限定のオリジナル装備の国ってありましたか?  模様や色が違うだけではなく  例えば、今の世の中の戦争である国の軍隊だけ槍と盾だったら貧弱ですが  相当目立ちますし、そこだけ逸脱してますよね  こんな感じの意味です  

  • 平清盛が生きていた頃の薬

    こんにちは 最近なんですが、たまたまYouTubeに大河ドラマ『義経』がアップされており、いくつか話を見ていたのですが、平清盛に法皇が薬を贈るシーンがありました。 平清盛は周知の通り、熱病で死亡する訳ですが、この頃の薬はどのようなものだったのでしょうか? 効能は薄いにしても、一応は風邪に効能があるものとか、腹痛に効くとか、そういう効能があるものはあったのでしょうか? それともまったくでたらめで、身体には良いだろう程度のものしか無かったのでしょうか? 私は昔から普通の薬(西洋医学の薬)が合わなくて、葛根湯とか麻黄湯とか、そういう漢方薬的な薬にお世話になってきたので、昔の人達の薬に興味があり質問しました。

  • DQ8について

    DQ8について いまさらですがDQ8にハマってしまいました。闇の遺跡にいって太陽の鏡をはめるところまで行ったのですが、ドルマゲスというボスがいるようなのですがどのくらいのレベルで倒せるでしょうか? 主人公 23Lv 装備 ゾンビキラー 青銅のよろい 鉄のたて 毛皮のフード ごうけつの腕輪 ヤンガス23Lv 装備 鉄の斧 くさりかたびら ターバン スラィムピアス 鉄のたて ククール21Lv 装備 墜天使のレイピア みかわしの服 騎士団の盾 理性のリング ゼシカ21Lv 装備 チェーンクロス バニースーツ キトンシールド 銀の髪飾り ガーターベルト 見たいな感じですね。主人公は剣・ゆうきスキルを上げていて、ヤンガスがオノ・人情を上げていて ククールは剣・弓をちょこっととゼシカがムチ・杖を上げています。 回答お願いします。

  • ご落胤の話を知りたい

    平清盛が白河院のご落胤であったと言われています。この話は「平家物語」でも懐妊中の祇園女御を平忠盛に賜わり、その子が清盛だと言うのです。日本の歴史・中央公論社版で、明治26年に滋賀県胡宮神社の古文書にもご落胤の記載がある。清盛の母は祇園女御ではなく妹だというのである。日本書紀に記載のある仏舎利の一部を祇園女御を通じて清盛に渡し、それが奉納された(仏舎利相承図)というのである。白河院が祇園女御のところに通ううちに妹にも手をつけた。この話はNHK大河ドラマ『平清盛』でも描かれていた。 この時代、鳥羽天皇の皇子の崇徳天皇が白河院の子であることは衆知であったらしい。清盛か白河院のご落胤であっても不思議ではない。武士が公家になり太政大臣になるなど前代未聞のことであるからだ。忠盛が自分の子でもない清盛を跡取りにしたもの不思議なことです。 この真偽について質問しているのではなく、ご落胤とはこのようなものなのだろうと思っています。古くから天皇や公家や武家でご落胤はたくさんあったと思うが、隠しているのでよく分らない。源義家や源義朝のご落胤が東国源氏の家系になったことは公知のことです。天皇家や公家や武家のなかで、これは間違いないとのご落胤の話を知りたいのです。WIKIも見たが、何だか歯切れが悪い。

  • 外国人による日本文化弾圧

    外国人は昔から日本に「教化」や「文明開花」などと宣って、キリスト教を押し付けてきましたが、最近は、西洋文化が日本文化、アジア文化圏に押し付けられるほど優らないことがわかってきたのか、日本文化、アジア文化の放棄をさせるところから始めたようですね。 >外人、熊本県に元号の使用をやめるように提言 はっきり言ってうざいです。お前らが来たんだから自国文化を持ち込むな。お前らが合わせろと思います。侵略者と何も変わらない。 潜在的にアジアを下に見、日本文化を見下してるからこういうことが起こる。表だった差別はしなくなったとはいえ、これは日本差別だ。 と、いうのも、西洋人は、西洋文化圏でないものを未開、野蛮として差別して、侵略してきた歴史があるからです。彼らは歴史の過ちから何も学ばず、いまだにそういった差別意識を持ち続けてる。「日本遅れてるぅ」「日本文化を2020年になっても持ち続けてるなんて野蛮ねぇ」 彼らが言いたいのは結局こういうことでしょ。 キリスト教を盾に他文化を破壊し、他民族を滅ぼしてきた時のマインドセットとなんら変わらない。野蛮なのはどっちなのか。 こういった人たちを日本に来させない方法はないのでしょうか?

  • なぜ日本人のハイヒールは無様で、西洋人は優雅なのか?

    最初に断っておきますけど、私、「フェチ」じゃないですからね。 街角、店の中などで、ぼけっとそこら辺を見てると、 女の人の足下が見えることがあります。 ハイヒールを履いている人はたいてい不格好な歩き方をしています。 しかし、それが西洋人(白人・黒人とも)だと、だいたい優雅に履きこなしているように感じます。 ふだん 「あーいう歩き方になるなら、かえって履かない方がカッコイイのに…」 と思うことが多いのですが(余計なお世話ですね。それはおいといて)、 足下を見て、「お、カッコイイ歩き方だ」 と思って顔を見ると西洋人だったということが何度もあります。 日本人にも優雅な人がいるでしょうし、 西洋人にも無様な人がいるでしょうが、 全体的に見るとずいぶん差があると思います。 で、疑問は、 なぜこんな差があるのかと言うことです。 考えてみると、あんなものを履いて、歩き方が不格好になるのはむしろあたりまえで、 不思議なのは西洋人がなぜ格好良く歩けるかです。 教育の差か、文化の差か、骨格が違うのか。 また、西洋に行けば、無様な人も結構いるのか。 ずっと疑問に思っていました。教えてください。