滝澤武太夫の墓碑に刻まれた漢詩の読み方は?
- 滝澤武太夫の墓碑に記された漢詩の読み方が分からず困っています。
- 滝澤武太夫の母の100歳を記念して母の年史を作成しようと思っています。
- 墓碑は松代の明徳寺にあり、高坂弾正や栗林大将が祀られています。
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漢詩の読み
以前に漢字の読みでお願いした事がありますが、先祖(宝暦9年生~天保4年没、松代藩に仕えた武術者、滝澤武太夫)の墓碑に記されている漢詩の読み方が分からないので読んで戴きたくお願いします。 滝澤武太夫から何代目かになる母の100歳を記念して母の年史を作リ、漢詩の読みを載せたく、何方か宜しくお願いします。 尚、墓碑は松代、明徳寺にあり、高坂弾正、栗林大将等が祀られています。 柗操山は典厩寺(武田信繁の墓) 墓碑、正面 「直傳本流居士」 墓碑、右側面 銘日 術業専攻 馳名武門 身心相得 宜讎宜恩 淺岳烟起 曲水波飜 直傳正綂 和之根元 柗操山僧忍杜多撰 以上
- th1331
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当方素人です。 詩ですかね? 下に「撰」という字はあるのですが、なんかふつうの墓碑銘のような気も。 > 術業専攻 馳名武門 じゅつぎょうをせんこうし (もっぱらおさめ) ぶもんのなをはす > 身心相得 宜讎宜恩 しんしんあいえて (みとこころをあいえて) ?宜 よろしく、うべ ? まさにしゅうまさにおん ? > 淺岳烟起 曲水波飜 せんがく けむりたち きょくすい はほんす (なみひるがえる) > 直傳正綂 和之根元 じきでん せいとう わのこんげんなり (2) 小説家的意訳 剣術のワザを専ら修め、武門としての名を高らしめた 体と心の両方を鍛え得て、時に讐、時に恩を与えた (それはあたかも) 浅間山に噴煙がたち、曲がりくねった急流に波しぶきがたつような人生であった 彼が伝えた正統極意は、和の根源である ※典厩寺は浅間山の近くだったような気がして f(^^;
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- kine-ore
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>信州埴科郡(現、長野市松代町)の滝澤家の墓にありますので、武澤は滝澤の間違いではと思います。 さっそく「武藝流派辞典」の当該箇所に加筆訂正を入れました。 このような顕彰碑文を銘(しる)すことを、「銘を勒(ロク)す」ともいいます。 この場合の「撰」は「詩文をつくる」意味を指します。 この僧忍杜多は、漢文の基本に則った詩文を撰(の)べています。 韓愈「師説」において、「聞道有先後、術業有専攻」とあります。 【術業】(じゅつぎょう) わざ。学術。技芸。 【専攻】(せんこう) あることだけをもっぱら研究する。専修。専習。 【相得】(あいう)お互いに心が合う。[史・灌夫伝]「相得驩甚、無厭」 【讎】(しゅう/むくいる) [解字]讎(しゅう)が音を表し、対(こた)える意の語原「答(とう)」からきている。返答する意。また「仇(きゅう)」に通じて、あだの意に借用される。 (以上「角川漢和中辞典」) なお、全体の二字熟語の語調に即して、「淺岳に煙り起(た)ち、曲水は波(なみ)飜(ひるがえ)す」のくだりもわざと調子を合せました。一方、「直傳正綂、和之根元」の方は、そのまま「直伝の正統とは和の根本なり」といった感じなのでしょうが、あえて「之」を読み入れて強調体にしてみました。
お礼
有難う御座いました。 大変参考になりました。 和は「やわら:居合術」と思います。 百歳になる母の記念誌に解説を載せる事が出来ます。
- kine-ore
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手元の本には次のような記述があります。 「直伝本流(剣、柔、棒、居合、袋竹、木刀) 信州埴科郡の人、武沢武太夫登愛が二十五代。」 (「武藝流派辞典」人物往来社 昭和38年刊) 姓の頭文字が<滝(たき)⇔武(たけ)>と異なりますが、如何なものでしょう。 もしも天保で25代とすれば、初代創始は平安はおろか奈良時代にまで連綿と遡れそうで、武芸としては実に稀有な道統として、まさに「馳名の武門」ですね。 とまれ、この人物の顕彰碑文を見ます。 術業(ジュツギョウ)を専攻(センコウ)せし、馳名(チメイ)の武門(ブモン)なり。 (この武芸を専心深耕した、著名な武門である) 身心(シンシン)を相得(アイウ)れば、宜讎宜恩(ギシュウギオン)たり。 (心身の調和を得れば、攻めるに良くまた守るに良い) 淺岳(センガク)は烟起(エンキ)し、曲水(キョクスイ)は波飜(ハホン)す。 ((それを例えれば)浅間嶺が噴煙を発するに、(それに応えて)千曲川は波逆巻くがごとく) 直伝(ジキデン)正統(セイトウ)にては、和(ワ)こそ之(コレ)根本(コンポン)なり。 (直伝本流とは、まさに此の「和」(身心相得)を以て根本とする) 松操山典厩寺僧忍頭陀作文す。
補足
読み解き有難う御座います。 墓碑の左側面に、滝澤武太夫登愛後襲父名曰武兵衛 とあり、裏面に、意慶僧正二十四代正続とあり、 信州埴科郡(現、長野市松代町)の滝澤家の墓にありますので、武澤は滝澤の間違いではと思います。
- pandaApple
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No.2です。 漢詩の訳に気を取られていましたが、漢詩の上にある「銘日」は、「銘曰」でしょう。 つまり、 銘に曰く(いわく) で、「このお墓の(もしくは「直傳本流居士」に対する)銘文は次の通りです」という意味合いで記されています。 細かいことですが、誤字があったので追記しておきます。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 大変参考になりました。
- pandaApple
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術業を専ら攻め、名を武門に馳す。 (じゅつごうをもっぱらおさめ、なをぶもんにはす) 身心相得て、宜しく讎なるべく宜しく恩なるべし。 (しんじんあいえて、よろしくあだなるべくよろしくおんなるべし) 浅岳に烟起き、曲水に波飜る。 (せんがくにけむりおき、きょくすいになみひるがえる) 直伝の正統、和の根元なり。 (じきでんのせいとう、わのこんげんなり) 柗操山の僧、忍杜多撰す。 (しょうそうざんのそう、にんとたせんす) 訓読すると上記のような感じだと思います。 (武士としての)術や業を専門におさめ、武門に名前を馳せる。 身も心もどちらも制禦することができ、時にあだ(かたきのような存在)となり、時に情け(ありがたい存在)となる。 浅間山には(噴火の)煙がたちのぼり、曲がりくねった川には波が翻る。 (この居士の伝えた)直伝の正当は、和の根元である。 松操山の僧侶忍頭陀がこれを詠み書いた。 だいたい上記のような感じだと思います。 「浅岳」は浅間山のことだと思いますが、「曲水」が具体的に何という川なのか、地理に不案内なので分かりません。「典厩寺」近くに大きな川があれば、その川のことだと思います。 「松操山僧忍杜多」については、「忍」という一文字が付くお坊さんだと思いますが、具体的な僧侶の名前はお寺に聞けば分かると思います。 「杜多(とた)」は「頭陀(ずだ)」に同じで、「乞食(こつじき)をして修行を重ねる僧」といったような意味です。 ですから、もしかしたら「典厩寺」の住職ではなく、たまたま修行で「典厩寺」に投宿していたお坊さんかもしれません。
お礼
有難うございました 大変参考になりました 川は千曲川だと思います
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