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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?)

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

このQ&Aのポイント
  • 神は人間の精神だと言う人にかぎってこのけがれなき身ごもりをあたかも信じているのではないでしょうか?
  • 母マリアは遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけたがそれは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたちです 物語のうえでは 後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です 人格と神格の両方の側面が 同時に一体として あります
  • 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ( a )、 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた( b )のです。 この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • o-sai
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回答No.15

現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。 そういう娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。 いわゆる一神教の歴史とは差別の歴史であり、理想として「博愛」「平等」を謳います。 後の世界ではカトリックとプロテスタントが殺戮し合い、自由を求めた新世界(アメリカ)は、 奴隷による綿花農耕で栄えます。 マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。 質問者さんは宗派の細かい設定に疑問を持っているようですが、 大局的な視野でキリスト教とはなんなのかを眺めなおしてみたほうがいいように感じます。 聖書も「例え話の講話」ですから。

bragelonne
質問者

お礼

 お‐さいさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。  ★ マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。  ☆ 《差別》という《大局的な視野で》ユダヤ民族およびイエス以後の世界を見直せというご指摘でしょうか?  M.ヱーバーでしたか わたしはこの人物が嫌いですからあまり出したくないのですが そういった視点からユダヤ民族=《パリア民》説を打ち出しましたね。外部からは エジプトによる奴隷化を初めとしてそのようにいろんな意味で虐げられて来た民族であると見得るとして そのユダヤ民族の内部では こんどはさらに別に  ★  民族によって強姦された・・・娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。  ☆ という歴史もあるのだと。のちから見てでしょうが マリアはその典型となったのだと。  そしてイエス以降の世界史においても ユダヤ民族もまだまださらに迫害を受けるわけですが そのほかの民族にしても 同じような社会的立ち場に追いやられているとしたら 言わば疑似体験のようなものを共有し その象徴としてまたはその心の拠り所として聖母マリアを 抱きつづけるようになったのだと。  ただですね。まづ この《除け者》論については 別の質問でやっているのです。  ○ 【Q:イエスは 排除された《第三項》か?】    http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7322517.html  そうして この本質問は あくまで《けがれなき身ごもり》をどう解釈しておけばよいかを問うています。    ○ 物語としてはですが 聖霊によるけがれ無き身ごもりという《神格》の貌(かお)とそして同時に DNA によるふつうの人間としての受胎という《人格》の貌 これらふたつの貌があるのだ。こう認識するなら 無理なく――たとえおとぎ話としてであっても―― 一般に共有することが出来るのではないか?  こういう問いです。  ひとつの民族が他のそれらから虐げられたということは どういうわけか 歴史的事実のようです。そしてその内部でも 除け者にされいわゆる犠牲に供される人びとがいるということも 歴史の示すところだと思います。  ただ  ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば  ☆ という切り口からの発議だとすれば それは違うと考えます。  1. もとは――遠くさかのぼれば―― 個人の《非経験のナゾ》との邂逅にあります。アブラム(のちのアブラハム)という個人に 神が《この父祖の土地を去って どこかへ行け》とささやいたという《非思考ないしヒラメキ》にそもそもの初めがあります。  2. その子孫にもこの神が受け継がれ それぞれにおいて《信仰》が生きた動態となって現われたが たとえばアブラハムはその子イサクをいけにえとして捧げることを止めて 《人は人を殺さない》という命題を得た。これは 人間という存在にとっての《自由》という公理ですね。  3. ところが この公理は モーセのときに《なんぢ ころすなかれ》という倫理規範としての命題となって持たれるようになった。つまり それまでは 個人個人の信仰において持たれていた公理が 人間の言葉に翻訳されてその言語表現が規範(戒め)として持たれるようになった。  4. 信仰における神が 人びと共同の倫理規範を共有することにおいて あらたに・別様に 持たれるようになった。律法とも言いますが。  5. このような人びと共同の規範が 人間の言葉に翻訳した信仰の内容であるとして持たれるということ これが 宗教の初めである。  と考えるからです。《除け者の排除》問題とは 議論を起こす切り口もその発生の情況も違うと考えるからです。  どうでしょう? と言っても問うている問題が違うのではありますが。

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その他の回答 (23)

noname#155457
noname#155457
回答No.13

>>エホバの証人さんですね。 >> イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だと >>は認めないという。 エホバの聖人が世界に何万人いますか? 彼らが『まれな存在』と言えますか? >> もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けが >>れなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。 それはすでに述べましたよね。もう一度いいますか? ********************************************** この世界は神の世界から追放された幻であるため、この人間世界に生まれるには、『汚れ』という条件が必要なのです。それは、『性欲』です。性欲のない天使(神の子)はこの人間界に生まれることはできません。 もう少し具体的にいいますと、父親と母親が性交します。そのとき、父親に嫉妬をしてその中に入ってくる霊は男。また、母親に嫉妬をして入って来る霊は女としてその母親が妊娠するのです。 天使の世界(神の国)には性欲はありません。性欲があったら天使にはなれないからです。このように『性欲と嫉妬』がない天使は、性欲によって生まれることはできません。だからマリアは処女懐妊という形をとる方法しかないのです。 ********************************************** >> イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお) >>が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理 >>論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こ >>う問うています。 >> 人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみご >>もったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に >>一体であると見れば 何の問題もないというものです。 聖書の何処に三位一体と書いてありますか? イエスキリストは神の子(天使)ではあるが、神ではありません。 人間が神を身ごもることは不可能です。 神は人を造られたが、神自身が自分の造った人間に生まれることは不可能なのです。 『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。 >> ▲ 私は道であり、真理であり、命である。 >> ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっき >>りとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》 >>のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカ >>ラのことです。 概念があいまいなまま信じてはいけません。 『道』とは神の国に生まれるための道です。 『命』とは、この世界は幻の世界であるため、誰一人命を持っていないのです。夢の中に命がないのと同じです。眠っている自分の本体だけが生きているのです。 これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。 >> つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。 >>一体となった。ことは はっきりとしています。 確かに聖書にありますが、これは解釈の間違いです。 イエスキリストは人間に神のことばを伝えるためのみによって生まれました。だから、肉体が神ではないのです。イエスキリストが神から預かっている『神のことば』が神なのです。 『神のことばを伝えるためのみによって生まれた』という意味です。 たとえば『あいつは人間の皮をかぶったオオカミだ』といいますが、これとまったく同じ表現です。 『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。 しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  1.  ☆☆(趣旨説明欄) ~~~  2. 母マリアは 遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけた( a )のであるが それは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたち( b )です 物語のうえでは。後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です。人格( a )と神格( b )の両方の側面が 同時に一体として あります。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ そのご説明はまったくコメントのしようがないほどのしろものですが 確かにこの(2)の命題のことを とおくはるかに説明しようとしている。とは思いました。ですが 哲学ではありません。どこが? 指摘するなら こちらが哲学ではなくなります。  2.  イエスキリスト=天使の議論は 済みました。  3.  次の二つの命題は 互いに矛盾しています。  ★( a ) ~~~~  エホバの聖人が世界に何万人いますか?  彼らが『まれな存在』と言えますか?  ★( b ) ~~~~  『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。  ~~~~~~~~  4.  ★ 概念があいまいなまま信じてはいけません。  ☆ それは多少は想像を交えた《考える》という行為です。《概念》が経験思考であることを物語っています。  《信じる》は《考える》とは何の関係もありません。《非思考》なのです。  なぜなら 神が《非経験の場ないしそのチカラ》だからです。これを心に受け容れるのが 《信じる》ことです。  信じる対象は じつは非経験の場なのですから 非対象ですが 信じるというその行為じたいは 経験行為である人間の心的現象です。  5.   ★ これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。  ☆ ぢゃあその《生きていない》あなたが 何を言っても ただの錯乱でしかないとなりませんか?  6.  ★ ~~~  『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。  しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。  ~~~~~  ☆ イエスとキリストのことをご存じではない。趣旨説明欄にも説明しています。  あるいはつまり 《イエスキリスト》とすでに言っているのなら 人間(イエス)と神(キリスト)とが 同時にひとりの存在の中にあると言っているぢゃありませんか。

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.12

> 質問者にとっては この解釈は まづ動かないものです。ですから 問い方としては なぜそれでも広く受け容れられていないのか? というかたちです。 それは、貴方の解釈が一般的ではないからです。 詳しくは知りませんが、アリウス派やネストリウス派を 信じているのですか。 >他の人が見たらどう思うか これについては、貴方がしつこく「処女懐胎はありえない」と主張しているので 私は、非常識な回答を書いていることは承知していますが、この言葉は 貴方に対してそのままお返しします。 ここは、質問するところであり貴方の哲学的思想を広めるところでは ありません。そういったことがご希望であればブログかホームページを 作成してやってください。

bragelonne
質問者

お礼

 ご投稿をありがとうございます。  ★ それは、貴方の解釈が一般的ではないからです。  ☆ その説明は いかがなりましょう?  あとは 回答ではない回答をただちにやめなさい。

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noname#155457
noname#155457
回答No.11

>>☆ イエスは キリストと呼ばれる神の子であり みづからも神であ >>るという聖書のくだりを示します。 確かにイエスキリストはメシアであり神の使いであり預言者です。しかし、唯一の神ではありません。 >>「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、 >>  だれも父のもとに行くことができない。 >>   あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知るこ >>とに  なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見て >>いる。」 確かにイエスキリストはこのようにいいましたが、私は道であり、真理であり、命である。私を通さなければ父のもとに行くことはできない。 という言葉は、イエスが預かった神のことばが直接喋っているのです。 だから、イエスキリストを通さなければ神のもとへ行けないということではなく、『神から預かった道、真理、命を通らなければ父のもと(神の国)に生まれることはできない』という意味です。 昔、プロ野球の審判官で試合中に『オレがルールブックだ』といった人がいました。これと同じ意味なのです。 キリスト教徒は世界に何人いるでしょうか。 100万人?いやいやもっといますよね。彼らは自分の頭で考えず牧師や神父の言葉を鵜呑みにしています。 次の聖句を読んでください。 ********************************************** 『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』 (新約聖書) ********************************************** 何百万人も何千万人もいるクリスチャンは『まれな者』ですか? 滅びに至る門からゾロゾロと入っていませんか? 誰でも聖書が理解されるものではありません。本当に聖書を理解できる者は『まれ』なのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  エホバの証人さんですね。  イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だとは認めないという。  もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けがれなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。  イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお)が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こう問うています。  人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみごもったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に一体であると見れば 何の問題もないというものです。  質問者にとっては この解釈は まづ動かないものです。ですから 問い方としては なぜそれでも広く受け容れられていないのか? というかたちです。  これまででは その《なぜ 普及しないのか?》ではなく まづその解釈をめぐって反論があったわけです。  でも すでにお分かりのように批判にも何にもなっていない。と言ってよいでしょう。    信仰する者が何人いるかということは いまの問い求めにとって どうでもよいことです。  おのれがキリスト者であると確信しているなら その立ち場に立って 質問に沿って回答を寄せてください。つまり これまでのように趣旨説明の見解を批判するものでもかまいません。   ただし 聖書にもとづいたしっかりとした見解をのべてください。  ▲ 私は道であり、真理であり、命である。  ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっきりとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカラのことです。  つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。一体となった。ことは はっきりとしています。

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.10

> ○ 処女懐胎    を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね? 回答が前後しますが、文字通りの「処女懐胎」は医学上ありえることです。 医師で小説家の志賀貢氏が研修医時代 女子高生が「彼氏がパンツの上から射精したら妊娠してしまった」 という相談を受けたことがあるそうです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご投稿をありがとうございます。  これって訪問者のみなさんが見たら いったいどう反応されましょうか。  ここから出発しなくちゃならない。わけだ。  懐胎は 経験事象です。ゆえに 非経験の場を受け容れるという意味での《非思考の庭がわが心に成る》という信仰とは まったく関係がありません。

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.9

>イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。 これはまずいです。三位一体論の否定になってしまいます。 ここからは質問者さんへです。 経験世界といいますが、貴方は量子力学に出てくる波動関数を 複素数のまま知ることが出来る(少なくとも観測できる)のですか。 出来るのでしたら、論文を書いてください。 ノーベル物理学賞が取れると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  聖母マリアの処女懐胎の問題とどういう関係がありましょうや。

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noname#155457
noname#155457
回答No.8

>> ○ その《ことば》が キリストのことです。   イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。 夢を見ている実在の自分が夢の中に入れないのと同じ理屈です。 イエスキリストは神の国に住む天使の一人です。 >>○ 父なる神とともにあった。しかもすでに初めにです。父なる神の >>存在と時間的な隔たりがなくという意味です。 イエスキリストは神の国に住む天使であり、神のことばによって造られているので神の子というわけです。 人間も神のことばを守って神の国に生まれるときは、神の子とよばれるのです。 >> ○ 神は 霊です。聖霊です。この聖霊が 世界を覆っている。も >>しくは 聖霊で出来ている。といった見方を提出していると思われます。 神は霊であり、神のことばは聖霊です。神が世界を覆っているのではなく、世界は神のことばで造られた映像の世界です。 >> ○ つまりは これが 《信仰》という非思考の場でのあり方を  >>わざわざ言葉にして表わそうとすれば そうなるというものです。つ >>まりは 仮りに表現して示したものです。 『信仰』とはそういう意味ではありません。誰でもこの世界は自然によって出来ていると思っています。得られるものも自分の努力によって得られたと思っています。しかし、それは間違いです。 一切は神から与えられており、一切の現象は人間の祈り(願い)によって起きているのです。 これを理解し信じることを『信仰』というのです。 >> ○ 世界は そのままものごとの事象であり現象です。言わばそれ >>らを聖霊が覆うというのは すべてに生命のチカラがやどるといった >>意味でしょう。仏性がやどるというふうに――もしそれが分かりやす >>いのなら―― 言って説明してもよいでしょう。 先ほども述べたようにこの世の一切は神のことばによって造られた催眠術の世界です。また、人間の願いはどんな願いでも聞かれます。 人間は悪を行います。この悪が祈りとなって、病気事故災害が成就しているのです。 >> ★ まぼろし >> ☆ は どうでもよろしい。経験世界とそしてそれを超えた場 こ >>れらから世界は――信仰の庭をも含めて捉えるなら――成り立ってい>>る。こういうことです。まぼろしは どうでもよろしい。 この世が幻で造られているという大真理が理解できなければ、宗教を理解することは不可能です。この世は苦しみの多い世界です。その理由は、知らず知らずに悪を祈っているからです。 普通の人と同じ考えでは宗教の真髄を掴むことは不可能なのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  支離滅裂です。  ★ イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。夢を見ている実在の自分が夢の中に入れないのと同じ理屈です。  ☆ イエスは キリストと呼ばれる神の子であり みづからも神であるという聖書のくだりを示します。  ▲ (マタイによる福音 16:20) ~~~  それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。      * 16:16に ペトロの言葉として《生ける神の子》があり      イエスは それを《わたしの天の父が表わした》と答えてい     る。      《メシア(マッシーアハ)》は ギリシャ語で《クリスト     ス(キリスト)》と訳されて使われています。次の引用文を     参照。  ▲ (ヨハネによる福音4:25-26) ~~~  〔* サマリアの〕女が言った。   「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知って   います。    その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてく   ださいます。」  イエスは言われた。     「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」  ▲ (ヨハネによる福音書 14:6-14) ~~~~  イエスは言われた。   「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、   だれも父のもとに行くことができない。    あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることに   なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」  ピリポが   「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」  と言うと、イエスは言われた。   「ピリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていない   のか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を   お示しください』と言うのか。    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない   のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな   い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言う   のを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じな   さい。    はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、   また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くから   である。    わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、   父は子によって栄光をお受けになる。    わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあ   げよう。」  ~~~~~~~~~~~~~~~  ★ イエスキリストは神の国に住む天使の一人です。  ☆ 《キリストは天使にまさる》と要約されるくだりを引いておきます。  ▲ (ヘブル書1:3-6) ~~~  3: 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。  4: 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。   ◆ 御子は天使にまさる  5: いったい神は、かつて天使のだれに、    「あなたはわたしの子、     わたしは今日、あなたを産んだ」  と言われ、更にまた、    「わたしは彼の父となり、     彼はわたしの子となる」  と言われたでしょうか。  6: 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、    「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」  と言われました。  ~~~~~~~~~~

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.7

> ○ 処女懐胎    を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね? どうも貴方は宗教が信じられないようですね。 放射能の除染さえまともに出来ない科学が絶対だと信じているなら (可能であれば)神相手に核攻撃でもしたらいかがでしょうか。 私の勝手な想像ですが、神は核攻撃などに全く傷つくことなく 貴方は地獄に落されるでしょう。まさに、天に唾するといhが このことです。 回答ではない回答が返ってくるのは 貴方がお礼ではないお礼、補足ではない補足を 書いているからです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~  放射能の除染さえまともに出来ない科学が絶対だと信じているなら (可能であれば)神相手に核攻撃でもしたらいかがでしょうか。  ~~~~~  ☆ そこらのお笑いよりも出来がよいようですね。  ★ ~~~  私の勝手な想像ですが、神は核攻撃などに全く傷つくことなく  貴方は地獄に落されるでしょう。まさに、天に唾するといhが  このことです。  ~~~~~~  ☆ だいたいわたしに対して言ったことは ご自分のことを言っているというのが ここでの相場です。  ★ ~~~~  回答ではない回答が返ってくるのは  貴方がお礼ではないお礼、補足ではない補足を  書いているからです。  ~~~~~  ☆ 狂気ここに極まれり。  また考えがまとまったら 訪ねてみてください。まとまらなくても よろしいとも言っておきます。

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noname#155457
noname#155457
回答No.6

>> ★ 科学とは根本的に違った考えに立っているのです。 >> ☆ でたらめです。めちゃくちゃの出鱈目です。信仰の世界は こ >>の経験世界を超えているのです。空観を超えています。しかも この >>経験世界を見る目は まったく科学と同じ経験合理性にもとづき認識 >>をおよぼすのです。ええ加減にしてちょ。 >> ★ つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。 >> ☆ いったいどこまで寝ぼけていれば済むのです? 空の意味についてですが、 仏典には ************************************** 『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真実有ること無ければなり。』(阿含経) ************************************** この世は空であり、寂静であり、生まれる者、死んで行く者、これらは幻化であり、実在するものではない。という意味です。 このように書かれています。 この世界が幻の世界なら、幻を造った方がいなければなりません。 次に新約聖書の記述です。 ********************************************** 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって、造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』 (ヨハネの福音書) ********************************************** このことばは、仏教の空(幻)を意味しています。 仏教ではこの世は幻で造られているといいます。 つまり幻は催眠術のように、ことばで造られます。 したがって、『この世界は神のことばで造られている。』という意味です。 このように仏典も聖書もこの世界は幻の世界だと説いているのです。 仏教もキリスト教も真理は一つであり同じなのです。 阿含経を読み、新約聖書を読まれると、宗教の真髄がお分かりいただけると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  魑魅魍魎の跋扈!!!!  仏教は どうでもよろしい。  ★ 空  ☆ というのは たしかに世の中のものごとは ぜんぶ無常であり無我(――実体というものはなく ただ現象しているのみ――)だと言えますが そのうつろいゆく相対性の世界においても われわれ人間の心の真実というものもあるのです。  つまり 一応のこととして言いますが あなたがこのように――その当否は別として――熱心に空観のことを説こうとしている。その姿その心には それとしての真実があるのです。しかも 朽ちるべき存在ではあってもその朽ちるまでの生涯には 真実を超えておそらく空観をも超えるとうとい現実性ということも ときとして 起こるのです。    だから 世の中のことはみな空だと見られますが その空が 世の中のものごとでもあるという見方の転換が起きるのです。世界は とうとい存在だと言っています。まぼろしなどは どうでもよろしい。  ヨハネ福音の冒頭にかんしては    ○ その《ことば》が キリストのことです。  ○ 父なる神とともにあった。しかもすでに初めにです。父なる神の存在と時間的な隔たりがなくという意味です。  ○ 神は 霊です。聖霊です。この聖霊が 世界を覆っている。もしくは 聖霊で出来ている。といった見方を提出していると思われます。  ○ つまりは これが 《信仰》という非思考の場でのあり方を わざわざ言葉にして表わそうとすれば そうなるというものです。つまりは 仮りに表現して示したものです。  ○ 世界は そのままものごとの事象であり現象です。言わばそれらを聖霊が覆うというのは すべてに生命のチカラがやどるといった意味でしょう。仏性がやどるというふうに――もしそれが分かりやすいのなら―― 言って説明してもよいでしょう。  ★ まぼろし  ☆ は どうでもよろしい。経験世界とそしてそれを超えた場 これらから世界は――信仰の庭をも含めて捉えるなら――成り立っている。こういうことです。まぼろしは どうでもよろしい。  以上が 《真髄》です。勉強してください。  回答をお寄せください。

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  • alwen25
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回答No.5

> 7. 日本人はもともと万葉のむかしから そんなあたまで立って逆立ちしたまま往来を歩くなどということから 無理なく自由だったのではないでしょうか? どこでどうくるったのでしょう? 万葉の昔よりはるか以前に、ギリシア語やラテン語やヘブライ語は 存在していました。その頃の記録が日本に無い(当時文字が無かった) というのは、日本の後進性を良く表していると思います。 それどころか、新約聖書には、銀行が出てくるくらいです。 当時、日本は縄文時代かそれ以前だったと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答ではないご回答をありがとうございます。  ★ 万葉の昔よりはるか以前に、ギリシア語やラテン語やヘブライ語は存在していました。その頃の記録が日本に無い(当時文字が無かった)というのは、日本の後進性を良く表していると思います。  ☆ 文字がなかっただけ。縄文人は 考えるよりはるかにゆたかな暮らしを送っていました。どんぐりでも 穴を掘って蓄えることを始めていました。ゆえに やがて戦争も始まります。収奪のために。  もし  ★ 後進性  ☆ を表わしていたとしても ギリシャ人やローマ人やユダヤ人と対等以上に現代の日本人は ゆたかに平和に共生しているぢゃないですか。何をかいわんや。  ★ ~~~~  それどころか、新約聖書には、銀行が出てくるくらいです。  当時、日本は縄文時代かそれ以前だったと思います。  ~~~~~~  ☆ 銀行くらい 私出挙・公出挙くらいそのあとやがて持つようになりますよ。いったい何が言いたいのか。  まさか  ○ 処女懐胎    を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね?  回答をお寄せください。

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  • alwen25
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回答No.4

>それくらいは読み取ってください。 それ以上のことが読み取れるなら、何故ここで質問するのですか。 答えの分かっている質問をしても意味はありません。 単にキリスト教信者と喧嘩したいだけなら他所でやってください。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 何故ここで質問するのですか。  ☆ つぎの箇所をしっかりと読んでください。  ☆☆(趣旨説明欄) ~~~  3.・・・(省略)・・・   ( a )は 事実であり ( b )は こういう想定であり 物語です。であるのですから そのコトじたいを《信仰の対象とする》謂われはないし またぎゃくに頭ごなしに突っぱねる必要も何もない。のではないでしょうか?  4. ここのところが どうしても・いつまで経っても 広くは知られるようにはならない。どうしてなのか?――という質問です。  ・・・(省略)・・・  7. 日本人はもともと万葉のむかしから そんなあたまで立って逆立ちしたまま往来を歩くなどということから 無理なく自由だったのではないでしょうか? どこでどうくるったのでしょう?  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ 単にキリスト教信者と喧嘩したいだけなら他所でやってください。  ☆ どこまで寝ぼけていましょうか。回答でない回答は 遠慮してください。

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