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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?)

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

noname#155457の回答

noname#155457
noname#155457
回答No.6

>> ★ 科学とは根本的に違った考えに立っているのです。 >> ☆ でたらめです。めちゃくちゃの出鱈目です。信仰の世界は こ >>の経験世界を超えているのです。空観を超えています。しかも この >>経験世界を見る目は まったく科学と同じ経験合理性にもとづき認識 >>をおよぼすのです。ええ加減にしてちょ。 >> ★ つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。 >> ☆ いったいどこまで寝ぼけていれば済むのです? 空の意味についてですが、 仏典には ************************************** 『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真実有ること無ければなり。』(阿含経) ************************************** この世は空であり、寂静であり、生まれる者、死んで行く者、これらは幻化であり、実在するものではない。という意味です。 このように書かれています。 この世界が幻の世界なら、幻を造った方がいなければなりません。 次に新約聖書の記述です。 ********************************************** 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって、造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』 (ヨハネの福音書) ********************************************** このことばは、仏教の空(幻)を意味しています。 仏教ではこの世は幻で造られているといいます。 つまり幻は催眠術のように、ことばで造られます。 したがって、『この世界は神のことばで造られている。』という意味です。 このように仏典も聖書もこの世界は幻の世界だと説いているのです。 仏教もキリスト教も真理は一つであり同じなのです。 阿含経を読み、新約聖書を読まれると、宗教の真髄がお分かりいただけると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  魑魅魍魎の跋扈!!!!  仏教は どうでもよろしい。  ★ 空  ☆ というのは たしかに世の中のものごとは ぜんぶ無常であり無我(――実体というものはなく ただ現象しているのみ――)だと言えますが そのうつろいゆく相対性の世界においても われわれ人間の心の真実というものもあるのです。  つまり 一応のこととして言いますが あなたがこのように――その当否は別として――熱心に空観のことを説こうとしている。その姿その心には それとしての真実があるのです。しかも 朽ちるべき存在ではあってもその朽ちるまでの生涯には 真実を超えておそらく空観をも超えるとうとい現実性ということも ときとして 起こるのです。    だから 世の中のことはみな空だと見られますが その空が 世の中のものごとでもあるという見方の転換が起きるのです。世界は とうとい存在だと言っています。まぼろしなどは どうでもよろしい。  ヨハネ福音の冒頭にかんしては    ○ その《ことば》が キリストのことです。  ○ 父なる神とともにあった。しかもすでに初めにです。父なる神の存在と時間的な隔たりがなくという意味です。  ○ 神は 霊です。聖霊です。この聖霊が 世界を覆っている。もしくは 聖霊で出来ている。といった見方を提出していると思われます。  ○ つまりは これが 《信仰》という非思考の場でのあり方を わざわざ言葉にして表わそうとすれば そうなるというものです。つまりは 仮りに表現して示したものです。  ○ 世界は そのままものごとの事象であり現象です。言わばそれらを聖霊が覆うというのは すべてに生命のチカラがやどるといった意味でしょう。仏性がやどるというふうに――もしそれが分かりやすいのなら―― 言って説明してもよいでしょう。  ★ まぼろし  ☆ は どうでもよろしい。経験世界とそしてそれを超えた場 これらから世界は――信仰の庭をも含めて捉えるなら――成り立っている。こういうことです。まぼろしは どうでもよろしい。  以上が 《真髄》です。勉強してください。  回答をお寄せください。

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