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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?)

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

noname#155457の回答

noname#155457
noname#155457
回答No.13

>>エホバの証人さんですね。 >> イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だと >>は認めないという。 エホバの聖人が世界に何万人いますか? 彼らが『まれな存在』と言えますか? >> もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けが >>れなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。 それはすでに述べましたよね。もう一度いいますか? ********************************************** この世界は神の世界から追放された幻であるため、この人間世界に生まれるには、『汚れ』という条件が必要なのです。それは、『性欲』です。性欲のない天使(神の子)はこの人間界に生まれることはできません。 もう少し具体的にいいますと、父親と母親が性交します。そのとき、父親に嫉妬をしてその中に入ってくる霊は男。また、母親に嫉妬をして入って来る霊は女としてその母親が妊娠するのです。 天使の世界(神の国)には性欲はありません。性欲があったら天使にはなれないからです。このように『性欲と嫉妬』がない天使は、性欲によって生まれることはできません。だからマリアは処女懐妊という形をとる方法しかないのです。 ********************************************** >> イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお) >>が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理 >>論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こ >>う問うています。 >> 人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみご >>もったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に >>一体であると見れば 何の問題もないというものです。 聖書の何処に三位一体と書いてありますか? イエスキリストは神の子(天使)ではあるが、神ではありません。 人間が神を身ごもることは不可能です。 神は人を造られたが、神自身が自分の造った人間に生まれることは不可能なのです。 『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。 >> ▲ 私は道であり、真理であり、命である。 >> ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっき >>りとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》 >>のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカ >>ラのことです。 概念があいまいなまま信じてはいけません。 『道』とは神の国に生まれるための道です。 『命』とは、この世界は幻の世界であるため、誰一人命を持っていないのです。夢の中に命がないのと同じです。眠っている自分の本体だけが生きているのです。 これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。 >> つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。 >>一体となった。ことは はっきりとしています。 確かに聖書にありますが、これは解釈の間違いです。 イエスキリストは人間に神のことばを伝えるためのみによって生まれました。だから、肉体が神ではないのです。イエスキリストが神から預かっている『神のことば』が神なのです。 『神のことばを伝えるためのみによって生まれた』という意味です。 たとえば『あいつは人間の皮をかぶったオオカミだ』といいますが、これとまったく同じ表現です。 『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。 しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  1.  ☆☆(趣旨説明欄) ~~~  2. 母マリアは 遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけた( a )のであるが それは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたち( b )です 物語のうえでは。後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です。人格( a )と神格( b )の両方の側面が 同時に一体として あります。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ そのご説明はまったくコメントのしようがないほどのしろものですが 確かにこの(2)の命題のことを とおくはるかに説明しようとしている。とは思いました。ですが 哲学ではありません。どこが? 指摘するなら こちらが哲学ではなくなります。  2.  イエスキリスト=天使の議論は 済みました。  3.  次の二つの命題は 互いに矛盾しています。  ★( a ) ~~~~  エホバの聖人が世界に何万人いますか?  彼らが『まれな存在』と言えますか?  ★( b ) ~~~~  『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。  ~~~~~~~~  4.  ★ 概念があいまいなまま信じてはいけません。  ☆ それは多少は想像を交えた《考える》という行為です。《概念》が経験思考であることを物語っています。  《信じる》は《考える》とは何の関係もありません。《非思考》なのです。  なぜなら 神が《非経験の場ないしそのチカラ》だからです。これを心に受け容れるのが 《信じる》ことです。  信じる対象は じつは非経験の場なのですから 非対象ですが 信じるというその行為じたいは 経験行為である人間の心的現象です。  5.   ★ これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。  ☆ ぢゃあその《生きていない》あなたが 何を言っても ただの錯乱でしかないとなりませんか?  6.  ★ ~~~  『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。  しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。  ~~~~~  ☆ イエスとキリストのことをご存じではない。趣旨説明欄にも説明しています。  あるいはつまり 《イエスキリスト》とすでに言っているのなら 人間(イエス)と神(キリスト)とが 同時にひとりの存在の中にあると言っているぢゃありませんか。

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