• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?)

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

noname#155457の回答

noname#155457
noname#155457
回答No.11

>>☆ イエスは キリストと呼ばれる神の子であり みづからも神であ >>るという聖書のくだりを示します。 確かにイエスキリストはメシアであり神の使いであり預言者です。しかし、唯一の神ではありません。 >>「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、 >>  だれも父のもとに行くことができない。 >>   あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知るこ >>とに  なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見て >>いる。」 確かにイエスキリストはこのようにいいましたが、私は道であり、真理であり、命である。私を通さなければ父のもとに行くことはできない。 という言葉は、イエスが預かった神のことばが直接喋っているのです。 だから、イエスキリストを通さなければ神のもとへ行けないということではなく、『神から預かった道、真理、命を通らなければ父のもと(神の国)に生まれることはできない』という意味です。 昔、プロ野球の審判官で試合中に『オレがルールブックだ』といった人がいました。これと同じ意味なのです。 キリスト教徒は世界に何人いるでしょうか。 100万人?いやいやもっといますよね。彼らは自分の頭で考えず牧師や神父の言葉を鵜呑みにしています。 次の聖句を読んでください。 ********************************************** 『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』 (新約聖書) ********************************************** 何百万人も何千万人もいるクリスチャンは『まれな者』ですか? 滅びに至る門からゾロゾロと入っていませんか? 誰でも聖書が理解されるものではありません。本当に聖書を理解できる者は『まれ』なのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  エホバの証人さんですね。  イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だとは認めないという。  もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けがれなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。  イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお)が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こう問うています。  人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみごもったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に一体であると見れば 何の問題もないというものです。  質問者にとっては この解釈は まづ動かないものです。ですから 問い方としては なぜそれでも広く受け容れられていないのか? というかたちです。  これまででは その《なぜ 普及しないのか?》ではなく まづその解釈をめぐって反論があったわけです。  でも すでにお分かりのように批判にも何にもなっていない。と言ってよいでしょう。    信仰する者が何人いるかということは いまの問い求めにとって どうでもよいことです。  おのれがキリスト者であると確信しているなら その立ち場に立って 質問に沿って回答を寄せてください。つまり これまでのように趣旨説明の見解を批判するものでもかまいません。   ただし 聖書にもとづいたしっかりとした見解をのべてください。  ▲ 私は道であり、真理であり、命である。  ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっきりとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカラのことです。  つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。一体となった。ことは はっきりとしています。

関連するQ&A

  • 処女懐胎

    宗教、哲学について何の知識もありませんので教えていただきたいのですが、(キリスト教信仰者の方には失礼ですが敬称を省かせていただきます)キリストの母のマリアは処女で懐妊してキリストを産んだことを処女懐胎とゆうことと思ってますが、素朴な疑問がいくつか出てきますので専門的用語をなるべく避けていただいて教えてもらえればありがたいです。 1、マリアはどのように受精したのでしょうか 2、マリアとキリストは神様ですか人間ですか 3、神様の定義 そのほかいろいろ知りたいのですがまずはこの3つのことを教えてください。

  • イエスはヨセフとマリアとの子であり神の子でもある。

     (あ) イエスは ナザレの人たるヨセフとマリアとのコイトスによって生まれた子であり ふつうの人間であると同時に 神の子でありみづからも神である。  言いかえると  (い) マリアは 許婚のヨセフとの性交によってイエスを身ごもり生んだと同時に 神なる聖霊によっても身ごもったと言われる。  (う) イエスは 神の子でありみづからも神であるゆえに イエス・キリストと呼ばれるわけであるが その《人間であるイエスが キリストなる神である》というのは 大嘘でありひとつの物語である。  (え) ただし この虚構によって 神は――世界のどんな名の神も 神という神は  《無い神》をもふくめて―― すでに要らないと見なされるかたちで 揚棄された。  (お) だから もう神を知れ・うやまえとか神を信じなさいとか神などはいないとか いや いるんだとか いちいちあらそうこともなくなった。理論上 そうである。  どうでしょう?

  • 聖母マリアは 聖霊と精子との両方により身ごもった

     神 信仰ならびに宗教についての一般理論  第三章 補論: 聖母マリアは 聖霊と精子と両方により身ごもった  1. 聖母マリアは 許婚のヨセフとの交渉によって人であるイエスを生み それと同時に 聖霊による受胎において キリストを生んだ。  飛躍のある理論ですが これをたたき台として ご批判をどうぞ。賛成票も どうぞ。

  • 処女懐胎(受胎)はやっぱり誤訳だったのですか

    処女懐胎(受胎)はやっぱり誤訳だったのですか 誤訳だ、いや誤訳ではない。という争いはよくあったらしいのですが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A6%E5%A5%B3%E6%87%90%E8%83%8E 欄外のところを要約すると そもそも原本から”処女”という意味合いはなかったということでしょうか そもそも聖書ってキリスト教徒からして、どれほど正しいと思ってるんでしょうか どれもキリスト本人が書いたわけではですよね キリスト教についてはかなり素人ですが、疑問に思い投稿しました

  • キリスト教の神はだれなのでしょうか?

     キリスト教の神は誰なのでしょうか?  神の子=イエス・キリストは十字架の像をとってもよく見ます。聖母マリアもよく見ます。でも、  神自体の像を見たことがありません。  (聖母マリアは処女懐胎だから父親がわからないからという、ジョークはなしで)  ユダヤ教のヤハウェ(エホバ)なんでしょうか?ユダヤ教ならいざしらず、キリスト教の  新約聖書では全然でてきません。神の子のイエス・キリストを崇めるなら、なぜ神自体を  崇めないのでしょうか?  神=神の子(イエスキリスト)=霊魂 は一体という三位一体という理論ででしょうか?  でも、それなら、イエスキリスト自体を神と言えばいいと思います。なぜ、神の子というの  でしょうか?    本当は偶像崇拝禁止がいつのまにか偶像崇拝になり(まあ、異教徒への布教があったから  仕方ないのかもしれませんが)神の子と聖母マリアはさんざん偶像になるのに、神自体は  偶像にならず、不思議な気がします。  キリスト教の神とは誰なのでしょうか?  

  • 日本人になじみ深い『聖書』のなかの記述

    よろしくお願い申し上げます。 キリスト教の聖書のなかで、日本人に一般的に知られている部分、場面、言葉といったら、どういうものがあるでしょうか。 楽園からの追放、バベルの塔、イエスの生誕(処女懐胎)、最後の晩餐、ユダの裏切り、イエスの復活といった箇所はよく知られていると思いますが。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 お好きな「聖句」も歓迎します。

  • 「三位一体」の創造主の神について

    少し疑問なんですけど「イエス・キリストの父」について、調べてると「ゼウス・アッラー・ヤハウェ(ヤコブ)」など「候補」がたくさん出てきます。 それってつまり A「創造主(イエス・キリストの父)は誰なんですか?」 B「創造主の神だよ」 A「だから、誰なんですか?」 B「なので、創造主の神だよ」 B「創造主の神ってことになってるんだよ」ってことになるんですか?

  • イエス・キリスト誕生の疑問

    キリスト教では、イエスの母マリアの夫ヨセフがダビデの家系の者なので、イエスはダビデの血筋となっていますが、マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはずなので、この部分の聖書の記述はとても矛盾していると思います。どのように理解したらいいのでしょうか。

  • キリスト教による祈り。

    キリスト教の信者になろうとしてます。 しかし、祈り方がわかりません。 誰に祈っていいのかがわからないのです。 見えない神様に対してなのか、イエスに対してなのか。 三位一体とうものがありますよね?? これは神様とイエスは同一であるということですよね?? それが私の中で理解できていないのでしょうが・・。 (主イエスキリストの名によってお祈りします)と皆さん お祈りされるときに言いますが・・・??? 意味がわかりません。 私の頭の中では神がイエスなら、上記のような言葉は不自然なんです。 たとえば神社で神様にお祈りするとき(どうか受験に合格しますように)と神様に対してお祈りしますよね? そのときってもちろん見えない神様につぶやきます。 しかし、キリスト教ってイエス様がいますね。 そのときイエスさまを思い浮かべて、イエス様に語るのでしょうか? 何を質問しているのか自分でも言葉にできないのですが・・・・。

  • 聖書の記述の信憑性について

    私は、キリスト教には詳しくない、仏教徒です。最近、聖書を読む機会があり、内容には感心したのですが、気になることがありました。 それは、聖書の内容の信ぴょう性についてです。 正直、マリアが処女懐胎したり、イエスが奇跡で病を治したり、イエスが1度死んだあとに生き返るといった記述は、実際に起こりえるとは思えません。信者の方、もしくは、協会では、聖書に記述されている出来事の信ぴょう性はどのように捉えているのでしょうか。よろしくお願いします。