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調査。各グループの代表の決め方。

stomachmanの回答

  • stomachman
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回答No.10

ANo.9へのコメントについてです。 > データを何に使うかというその第一段が、優勢のものを決めるのに使われた訳ですよね。  ただラベルを付けるのは、使ったうちには数えません。 > 念押しさせて頂きますが、この分野に限定しておりません。  アイデアをどうやって出すか、という話を聞きたいんですか?フロに浸かって思いつき、リンゴが落ちる音で思い至る。多量のデータを眺めている内にひらめき、詩の言葉からヒントを掴む。様々ですね。 > クラスター名を割り振る、優勢者の判定作業自体が、統計学ではなくて、仮説であった、ということになりますでしょうか  仮説になりえません。仮説と呼ばれる命題は、反証可能であることが最低の条件です。 > この研究や、似たような研究であれば、まるで、統計学的ではない、というのが正体になるように思います  いささか短絡的かと。本当に「似たような研究」か否かを見極められますか?羹に懲りて慎重に膾を吹くのは良いけれども、糞味噌ごっちゃにして廃棄というのはいけませんよ。もしこの本がゴミなら、こだわってないで他の本をお読みになれば良いのに。 > 回答者さんには実際の読書をしていただけたらなと思いつつ  この本この分野とは無関係な、とおっしゃいながら、この本のことしかお考えでないようです。しかし、ゴミらしいと仰る本をわざわざ読む訳ないでしょ(笑) > 三つの主要な仮説――混血説、転換説、置換説――  データを根拠にして、これらの仮説のどれが落第なのかを見極める、ということをやってるんでしょうね。 > 樹形図が出来た後におけるクラスター分析  樹形図を作るところまでがクラスター分析です。それでおしまい。どう使うかは、個々の分野、あるいは分析を行った人の目的によることであって、そこはクラスター分析の知ったことじゃありません。 > 系統樹のクラスターの分析からは という所以下の総括の話は、(これだけじゃさっぱり分かりませんが)、「(「三つの主要な仮説」のどれでもない)良く確立している仮説だけに基づいてデータを解釈すると、「三つの主要な仮説」のどれかが落第だと判断できる」という話であるなら結構なのです。  が、なんかちょっと違う気配がする。もしかすると、「ある仮説A(「三つの主要な仮説」のどれか)に基づく解釈によれば、別の仮説Bが破綻する」と言っているんではないか。もしそうだとすると、その議論自体が特定の仮説Aの上に乗っかってますから、論理が自己撞着しているかもしれませんね。  こういうことです:その本が、もしクラスターを作った所で話がおしまいになっているのであれば、クラスターを解釈する枠組みこそが仮説Aに含まれているのではないか。仮説Aに基づいて、仮説B, Cを攻撃しようとしているんじゃなかろうか。だとするならば「仮説Aが正しいとすると仮説Aが正しくて他は間違い」とトートロジーを言っているだけですから、これと同じことは仮説B, Cの側からも出来る訳で、子供の喧嘩です。仮にそういう本であるならば、これは科学書ではありませんね。 > 科学というより美術文芸になって、権威の勝手になりますよね。  失礼ながら、「権威の勝手」とは、権威を認めた上で反発する、という倒錯したスタンスからしか出てこない言葉かと思います。  もし、「誰かに勝手に「権威」と呼ばれてしまった人は、ただの心情ヒラメキ思いつきを語る自由を奪われねばならない」としたら、それはずいぶん理不尽な話だと思います。 > 決して個人の気まぐれの影響を受けないという科学の真髄の欠如している研究モドキ  うーん。僭越ながら、科学を絶対視なさっていながらその営みをご存じない、ということじゃないかと。  純粋にデータだけに基づいて科学が機械的に出来上がるのなら、無人の「科学工場」が作れるわけですが、いや、そうは行かない。まさしく個人的な、アイデアヒラメキ思いつきがなければ、何も始まりません。それを仮説として立て、洗練し、いろいろな記録や実験との矛盾をチェックして修正していく過程そのものが科学です。ですから「 決して個人の気まぐれの影響を受けない」科学などないでしょう。 > できレース的研究じゃありませんかね  お説によれば、先に仮説があれば何でも「できレース」になってしまうんじゃありませんか?しかし、仮説を立てて検討するのが科学ですから、当然、仮説が先にあるんです。  さて、科学において、実験・調査や統計処理は、その仮説が成立たないことを証明(反証)するのに用います。上述の「仮説Aが正しいとすると仮説Aが正しい」とは対極のものです。そして、様々な攻撃に耐え続けた仮説だけが、科学として意味のあるものなのですよ。 > クラスター名選び(=優勢選び)が科学的に一般性のある機械的手法で処理されたも >のでなければ。そういう代物を科学として受け入れるほど、自然科学が間口を広げて >、はしたくなる必要はないと思います。  まだラベルの話ですか~  ラベルに頼って議論しているならそれはただのゴミ。即座にヤキイモ用燃料です。そんなゴミと一緒にされたら科学が怒りまっせ。  実際、トンデモ本の多くはこの構造を持っています。「××であるから、これを『○○』と呼称しうる」…「○○であるから、△△だ」。ラベルだったはずの『○○』がいつのまにかカギ括弧から外へ出てきてしまうんですよね。  ラベルを付けるために、つまり無意味なものを作るためにわざわざ「科学的に一般性のある機械的手法」などでっち上げてる本があるなら、それこそトンデモ本コーナーに収蔵してやっても良いなあ。

thegenus
質問者

お礼

ラベルという用語は回答者さんが導入された単語だと思います。 私は「その分類作業」の結果の全てだと思っています。 そこが全ての(≒唯一の)分岐点でしょうね。その他が全て同意見だったとしても上流で分かれてしまったら軒並み齟齬が生じますからね。 故人であり欠席している著者を勝手に押し立てて、三つ巴になってしまったのが面白いです。 出来レースに関しては、回答者さんのいうそのラベル付けが、終了した時点で、「このレース」は終了していると言いたかったのです。実際の出来レースもそうですが、ゲームに参加するすべてのプレイヤーを出来レースの協力者にする必要は有りません。有力なパートを取り込めるように、ルール設定をすれば、それは出来レース化したのですよ。そのルール設定次第です。たとえるならば、スキーのジャンプで日本を不利にするルールの正当性ですね。 ラベル付けのところの作業が全てなのです。そこが勘と同等の方法であれば結論も勘と同等です。科学は樹形図を作ったところまでです。そこでストップ、それ以降を科学に出来なければ、口にチャックですよ。樹形図の前後ろでは分裂しているのです。科学の境界線をまたいでいるのに結論しています。たとえば、説明が、サンプルをどこでなん人集めましたと統計らしくスタートしても、そのサンプル数などの統計学的体裁は、科学の境界線の向こうにある結論を支援できるものではありません。しかし流れに逆らわない読者は一緒に境界線を越えて、サンプル調査の内容などに、結論の統計学的説得性を感じてしまうと思います。サンプル数の多少ではなく、統計学的手続きを踏んではいるのだというポーズに。

thegenus
質問者

補足

>『 もし、「誰かに勝手に「権威」と呼ばれてしまった人は、ただの心情ヒラメキ思いつきを語る自由を奪われねばならない」としたら、それはずいぶん理不尽な話だと思います。』 そういう事なのでしょうね。つまり、権威を守る安全策で、質問者を否定しておけば、事足りるという。 心情的ヒラメキが正解かどうかを検証しなければならないのですよ。どうやって検証するんですか? たぶん回答者さんは、科学の特性、つまり科学の価値を、普通とは別の点に感じているのかもしれません。私が科学を絶対視しているかのように見えた事も含めて。普通、科学は直感・霊感の対義語みたいな存在ですよね。恣意的なままで成立する科学はありませんよね。単なるヒラメキをヒラメキのまま利用し続けて出た結論は科学ではありませんよね。そこのチェックを譲らないのが科学なのですが。最低条件は、ヒラメキよりも一般性でしょ、科学は。同じデータを用いた研究者ごとの結論が相反したら両方の事実が科学ですか?検証された一般的な説が絶対的に正しい(=絶対視)とか、そういう以前の話をしているのですよ。 >『仮説になりえません。仮説と呼ばれる命題は、反証可能であることが最低の条件です。』 だからそれが権威を絶対視して迎合している証拠ですよ。反証可能でないって。 >『ラベルに頼って議論しているならそれはただのゴミ。即座にヤキイモ用燃料です。そんなゴミと一緒にされたら科学が怒りまっせ。』 要するに科学の権威をゴミ質問と同じにするなという姑息な暗示表現でしょうか。権威を守るための反語表現だと判りました。 >『ラベルを付けるために、つまり無意味なものを作るためにわざわざ「科学的に一般性のある機械的手法」などでっち上げてる本があるなら、それこそトンデモ本コーナーに収蔵してやっても良いなあ。』 だから…単なるラベルじゃないのですよ。すくなくとも地域名なのです。どこが無意味なのですか?それが結論の文章を裏付ける意味になっているのに。結論が日本語としての意味を成さないじゃないですか?処理上のラベルじゃないのですよ。 事実は、stomachmanさんのゴ回答が反証不可能なのです。 本書にこだわっているのは私ではありません。 クラスター(2)の中で中国人が優勢であると出来る理由が単純に数の大小ですと説明した方がその後、本書にこだわってお茶を濁しているのです。 仮説の話もそうですが、話が噛み合っていません。 >『ですから「 決して個人の気まぐれの影響を受けない」科学などないでしょう。』 それは間違っています。科学は影響されないのですよ。当り前ですよ。 科学を創造する原理の話(つまり科学未満の状況)と、科学者がその場その場のヒラメキでしかない結論を出した話、がゴタマゼになっていますよ。 優勢を決められるかどうかが私の質問です。その趣旨が理解できないのならばNo.1までの回答で観念です。No.1のように、案はあったのです。質問は成立しているのです。それ以上の案がなくても質問行為の否定に路線変更する必要はありません。 No.10で風呂につかられるまでもなく…… (No.1) >『(もちろんもっと手の込んだ手法はいくらもありますが、そうすると「クラスタnは日本人が多い」のような単純な答にはならず、複雑な(たとえば「韓国人と中国人の人数の差と日本人の人数の1.2倍との和が大きい」みたいな)特徴量が現れてきますから、ご質問の文脈には沿いません。)』 遠慮なくどうぞ。

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