竜馬の偉人説はねつ造ではないでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 坂本竜馬は、司馬遼太郎のフィクション小説で有名になりました。
  • 薩長合体の仲介は、西郷隆盛の命を受けて動いたともいわれとります。
  • 船中八策は、元の原案は後藤象二郎が書いたものだと言われとります。つまりは竜馬のオリジナルではないということです。
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竜馬の偉人説はねつ造ではないでしょうか?

坂本竜馬は、司馬遼太郎のフィクション小説で有名になりました。 薩長合体の仲介は、西郷隆盛の命を受けて動いたともいわれとります。 つまりは、薩摩のスパイ要因わかりやすく言うと西郷のパシリだった可能性があります。 船中八策は、元の原案は後藤象二郎が書いたものだと言われとります。 つまりは竜馬のオリジナルではないということです。 船の船長になったのも、今でいうと海外旅行に憧れたからであって 天下国家を考えての事とは違うのではないでしょうか? つまり竜馬は、偉人でもなんでもなくて あの時代のちょと変わった人だった可能性が高いと思うとります。 そこで質問ですが竜馬は、維新の立役者の一人に数えられるような 偉人だったのでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • isoken
  • ベストアンサー率32% (595/1819)
回答No.9

>竜馬の偉人説はねつ造ではないでしょうか? 皆様の御卓説、何れも説得力に富んだ御回答だとは思いますが、1つだけ抜けているとすれば、維新政府での旧土佐勢力の位置付けが完全なる傍流であったという事。 即ち主流の薩長閥に対し、土佐藩の大物は殆んど維新前夜の非業に倒れ、維新政府に参加したのは小物或いは板垣退助の様に戊辰戦争直前に現れた人物であって、新政権での発言力が無きに等しかった。 依ってその事を嘆いた土佐系の(例えば旧土佐藩士ではなかったが陸奥宗光等)人物が口走った、「彼さえ生きていれば」という伝聞が、実態以上にデフォルメされて拡散し、例えば司馬遼太郎氏の小説にフィード・バックされた可能性は否定出来ないでしょう。 生前の龍馬はそれなりの人物であり、功績も確かにあったとは思いますが、殆んど神の如き先見性を始めとする現在の評価には、正直疑問を禁じ得ません。 尚日露戦争開戦前、龍馬が皇后様の夢枕に立ったとの噂の裏には、宮内省付き旧土佐藩士某の存在があったやに仄聞しておりますが。

daigakudaigaku
質問者

お礼

非常に卓越した見解だと思うとります。 とても誠実な回答ありがとうございます。

その他の回答 (10)

回答No.11

#1です。 実際に中岡慎太郎と坂本竜馬を知る親から聞いたとするおじいちゃんがホームページで語っていました。坂本はなにもせず、あぐらをかいていた。中岡がすべておぜん立てをする。そのいいところを竜馬がかっさらっていったが、中岡は人柄がいいので、自分の手柄にはしなかった。と。 そのおじいちゃん、竜馬の人気の割に中岡が埋もれているのに腹が立つらしく、本当はこうこうこういうことでした。というように記述したサイトでした。 竜馬が有名になり、そのサイトも探すのが困難になりました。 継続して探しますが、どなたか知らないかなぁ。 高知の近所に住むひとですわ。 相当鼻息が荒かったと記憶しています。

daigakudaigaku
質問者

お礼

今の高評価は過剰だということがわかりますね。 それにしても歴史上の人物でしか 希望を見いだされない今の現状の人材不足が やばいと思うとります。 もうあかんと思うとります。

noname#148592
noname#148592
回答No.10

裏を探る癖の人は、どんな人物でも言いたがります。 そういえば「よくしっているんだ!」って自慢できますからね。

daigakudaigaku
質問者

お礼

朝鮮半島関係では特におおいですね。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.8

竜馬が無名だったと言うのは当たりません。 明治24年維新への功績により、明治政府から 正四位を贈られています。 無名の土佐藩の(元)下士ですから相当な評価です。 その後の人が不勉強で司馬氏が見出しただけです。 実際の功績としては、バシリかパクリかは定かでは ありませんが、情報を得ての行動力は OSKA さんの ご説の通り抜群です。 竜馬がいなければ明治維新はならなかったと思う人は いないでしょうが、彼がいなかったならば幾分遅れた ことは確かでしょう。 ただ偉人かというとこれは疑問ですね。 偉人というと生前にある程度功績が認められた人で 横死したとしてもその時代すでにに評価されていた ようです。 竜馬は時代の変化に貢献した名脇役と言うべきです。 「おもしろき事もなき世をおもしろく」した竜馬はこの 評価で満足でしょう。

daigakudaigaku
質問者

お礼

今の評価と人気は 過剰ですね。 というよりも芸能人的な扱いと言う気がしとります。 もうあかんと思うとります。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

土佐出身の坂崎紫瀾の小説が有名になった のが発端。 その後、日露戦争の時、皇后の夢枕に立った、という話が 全国紙に載り、全国的に有名になりました。 薩摩と長州を結びつけた、という説もあやふやだし どうも、明治政府が人工的に造った英雄という 感じがします。

daigakudaigaku
質問者

お礼

明治政府が作り出した偉人ですね!! やっぱりわしが睨んだとおりじゃぁ(笑)

  • oska
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回答No.6

>坂本竜馬は、司馬遼太郎のフィクション小説で有名になりました。 その通りですね。 世間一般では、この小説が出るまでは龍馬は無名でした。 地元土佐及び土佐出身者の間では、そこそこ有名でしたがね、 >薩長合体の仲介は、西郷隆盛の命を受けて動いたともいわれとります。 >船中八策は、元の原案は後藤象二郎が書いたものだと言われとります。 これは、私の考えとは異なりますね。 龍馬は、徳川幕府に批判的だった政商グラバーの駒の一つに過ぎません。 薩長同盟・亀山社中・海援隊・船中八策は、グラバーからの指示だと聞いています。 その証拠は? グラバーの日誌とか、グラバーと一緒に酒を飲んだ外国人の日記に記載があります。 >竜馬は、維新の立役者の一人に数えられるような、偉人だったのでしょうか? こればかりは、偉人です。 幕末でも今でも「口で色んな事を言う方が多いですが、行動・実行しない者が多い」ですよね。 「米軍基地は、最低でも県外」と叫ぶだけで、何ら行動を伴わなかったポッポッポー鳩ポッポ。 「俺は、原発の専門家だ!」と豪語していても、何ら対策を取る事が出来なかった枯れた菅。 今の国立国会遊技場でも、子供の喧嘩ばかりで政策論争は一切していません。 政策論争をすれば、「じゃ、やってみろ!」と言われますから・・・。 評論家・反対は、責任を持ちませんから誰でも成れますよね。 ところが、実行するとなると手を上げる人はいません。 グラバーを通して世界観・薩摩・長州と関係を持ったとしても、その行動力は偉人です。

daigakudaigaku
質問者

お礼

トーマスグラバーの手ごまそれも優秀なスパイだったのですね。 後半の部分は 昔と今とは時代背景が違うので同意しかねます。 それにしても鳩ぽっぽさんは ロシアか中国かに引っ越したらいいと思うとります。

回答No.5

ここでねつ造という言葉はふさわしくないと思いますが 新撰組というのは 司馬遼太郎以前に 「新撰組」白井喬二や「新撰組始末記」子母澤寛などの作家によって 昭和の初めの頃になってようやく 一般の人に知られる存在になりました それまでは日本人は 新撰組なんて歴史家以外では ほとんど知られていなかったんですね つまり歴史の力というよりは 小説の力ですね 小説ですから 誰に焦点をあたえるか、誰をヒーローにするか 誰を主人公にするか ここでおおいにちがってきますよね 歴史を題材にした創作の主人公と考えたほうが いいのではないでしょうか

daigakudaigaku
質問者

お礼

つまりはフィックションであり創作の人物評価だということですね (*^_^*)

回答No.4

「偉人」の定義って難しいですよね。 ・エジソン = 白熱電球や蓄音機等、小学校も出てないのに努力で発明王となった。・・・・しかし裏では、 弟子が発明したものを自分のものにしたり、色々な権謀術数を行っている。 ・野口英世 = 極貧の家に生まれたが、懸命に勉強し、細菌学者になった。・・・・しかし、金にはだらしがなく、あればあるだけ使ってしまう浪費家であった。 ・ガロア = 数学の天才と呼ばれた人物。10代にして「循環連分数」の理論を学会に送るも「あなたの言いたい事は分からない」とつき返されてしまうが、その正しさは20世紀になり証明された。少年時代から学者でも解答困難な数学の問題を立て板に水を通す様にスラスラ解いてしまい、先生を驚かせた。・・・・しかし、後に革命グループに入り、最後は恋人を巡って決闘をし、敗れ、死亡してしまう。投獄歴あり。 でも「偉人」なんですね。勿論、子供の読み物にはそういった事は一切書かれません。「美」の部分だけを書き上げます。子供はそれを読んで、「~は偉いんだなぁ」と思います。 坂本龍馬も例外では無いでしょう。維新に携わった事には違いないですが、偉人と言えるかどうか・・・・。 生涯は「京都近江屋」で同士の中岡慎太郎と共に暗殺され、終わりました。この「暗殺された」という事実が、龍馬を伝説化させたのだと思います。ケネディ米大統領、リンカーン米大統領、伊藤博文・・・・。皮肉な事に暗殺された事により伝説の人になりました。そういった背景があると思います。

daigakudaigaku
質問者

お礼

暗殺されなかったらヨーロッパやアメリカ旅行をしとると思うとります。 (*^_^*)

回答No.3

そもそも、土佐というところは、武士の間でも厳しい階級があった土地柄。 一豊が悪いのだが、そのために、憎悪がはびこった。その抑圧が何年もの時を経て、積み重なり、明治維新へと駆り立てた。 そんな、中の一つの歯車だったんじゃないでしょうか。 長刀は、結構強かったそうだが。。

daigakudaigaku
質問者

お礼

一豊が器が小さいというのは 確かですが あの時代背景としては そんなものだったのでしょうか? 勝てばすべてを支配する時代ですよね。( ^)o(^ )

回答No.2

言葉悪いけど、ぶっちゃけパシリだよね。 偉人にしては伝書鳩のような人だ。 司馬遼太郎のフィクション小説で有名になった訳ではないと思うよ。 私はガキの頃から坂本龍馬のことを学校で習って知ってましたからね。 ブームで有名になった訳ではないと思う。 >>船の船長になったのも、今でいうと海外旅行に憧れたからであって 天下国家を考えての事とは違うのではないでしょうか? >ナポレオンとかも実は馬が乗れないそうだ。こういうのは偉人の特権だろ。 >>つまり竜馬は、偉人でもなんでもなくて あの時代のちょと変わった人だった可能性が高いと思うとります。 >侍の時代で刀を捨てろなんて言う人間ですからね。家のカギを他人に渡すようなものだ。 これは変わった奴と思われても仕方ないだろう。 でも、結果的に日本の夜明けが見れたのだから悪くないと思うね。

daigakudaigaku
質問者

お礼

評価相半ばだと思うとります。(*^_^*)

回答No.1

龍馬の里のひとで、もう、相当年配の人が言っていました。 優秀なのは、龍馬と同時に、同室で殺された人だったと。 龍馬は何にしていてなかったと。。

daigakudaigaku
質問者

お礼

もう少し具体的に教えてください。

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