ドイツのポーランド侵攻はルーズベルトの陰謀?

このQ&Aのポイント
  • ドイツのポーランド侵攻はルーズベルトの陰謀だったのか?歴史の謎を解明!
  • ルーズベルトの工作がなければヒトラーもポーランド侵攻をしていなかった可能性とは?
  • ハミルトンフィッシュの著書『TRAGIC DECEPTION』によると、ルーズベルトはポーランド侵攻を引き起こしたかもしれない。
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ドイツのポーランド侵攻はルーズベルトの陰謀?

ハミルトンフィッシュの日米・開戦の悲劇についてのレビューに次のようなものをみつけました。 ~~~~~~~~ ポーランドの、緩慢な行動は、第二次世界大戦を発火させるスパークの役割を果たした。 ルーズベルト大統領は、平和のための偉大な功績者となるチャンスがあったが、彼は、チェ ンバレン首相の要請を拒否し、事態の解決を遅れさせたので、第二次大戦の勃発を防ぐため に何もすることができなかった。  当時のルーズベルトの対ポーランド政策は、一九三〇年代、ポーランドの駐米大使であっ たイェルジー・ポトツキーの報告に詳しい。  この報告は、ワルシャワで、ドイツ側に押収されたポーランドの外交文書の中から見つか り、後に、当時、南米に住んでいたポトツキーにより確認されたものである。  以下の発言は、一九三九年一月十六日、ルーズベルトのヨーロッパにおける重要な代表で あったウィリアム・ブリット駐仏大使が、パリに帰任する際に、ポトツキー大使と会談した 時に行われたものである。 「英仏は、全体主義国家と、いかなる種類の妥協もやめなければならないというのが、大統 領の確固とした意見である。領土的変更を目的としたどんな議論も許されてはならない。 合衆国は、孤立政策から脱却し、戦争の際には英仏の側に立って、積極的に介入する用意が ある旨を同義的に確約する。」  これこそが、介入を約し、ダンチヒ問題に関して、いかなる平和のための妥協に対しても、 はっきりと反対した、ルーズベルト大統領の戦前の干渉政策の忌むべき証拠である。ルーズ ベルトが、一九三九年の初めから「全体主義国家とのいかなる種類の妥協もやめなければな らない」として、英仏に対し、影響力を行使していたのを証明しているのだ。ブリット大使 は、合衆国は、 「戦争の際には、英仏の側に立って、積極的に介入する用意がある」  ということを確約しているのである。  ブリット大使の発言は、アメリカの不干渉主義者たちが、ヨーロッパで戦争が勃発する前 に主張していたことを、まさに裏ずけるものである。それはまた、もしルーズベルトが、余 計な介入をせず、英仏を戦争に追い込まなかったならば、ヨーロッパで戦争は起きず、ダン チヒ問題も、平和的に解決されていたであろうとする、対ルーズベルト非難が正しかったこ とを証明するために極めて重要なものである。  チェンバレン英国首相とジョルジュ・ボネ仏外務大臣の二人も、ドイツに対して戦争を起 こすよう、ルーズベルトからの圧力があったことを公に認めている。  このブリット大使との会談についてのポトツキー大使の報告は、ルーズベルト大統領が、 ブリット大使を通じて、また直接チェンバレン首相に対して、強力な戦争を起こすための影 響力を行使したことの明確な証拠の一つである。  合衆国大統領が、ヨーロッパの政治に直接介入し、平和ではなく、戦争を推進したのはア メリカの歴史が始まって以来の出来事である。  私は、歴史と行政学で優等の成績で卒業した後、ハーバード大学の歴史の講師の地位を オファーされたことがある。今では、それを引き受けなかったことを後悔している。しかし、 私は議会の外交委員会に二十年間籍を置き、わが国の外交政策に関しては、だいたいフォロ ーしてきていた。その中で、合衆国大統領が、大使やその他のチャンネルを使って、ヨーロ ッパで戦争を起こそうとした例は知らない。  われわれの大統領は、全員が不変の政策として、平和に賛成であった。かつて戦争を扇動 したり、推し進めようとするために、自己の影響力を用いたような大統領はいなかった。  ルーズベルト大統領が、ヨーロッパで、枢軸勢力に対抗するために、戦争を使そうしたと いうことは、ブリット大使の行動と発言やジョルジュ・ボネ仏外相からの手紙、またチェン バレン英国首相からケネディ大使に宛てた同様の発言、フォレスタル海軍長官宛ての同趣旨 の発言--これは長官の日誌にも引用されている--からも明らかである。  また、第三章で引用した、ピアソンとアレンの書きものは、どうやってルーズベルト大統 領が、チェンバレン首相にドイツとの戦争を強いたのかを教えている。  これらすべての記述は、ルーズベルトが、英・仏・ポーランドをヒットラーと戦わせよう として、影響力を行使したことを証明しているのだ。 (本書143~145ページより) (原題は TRAGIC DECEPTION (Hamilton Fish 1983)) ~~~~~~~~ ルーズベルトの工作がなければヒトラーもポーランド侵攻をしていなかったのではないでしょうか?

  • y1892a
  • お礼率91% (210/230)
  • 歴史
  • 回答数4
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

これは湾岸戦争を彷彿させますね。 湾岸戦争ではアメリカのエイプリル・グラスピー 駐イラク特命全権大使が、不介入を表明。 安心して侵略したイラクを、米国は待ってましたと 叩きました。 イラクはこの約束を暴露しましたが、マスコミは無視。 エイプリル大使はその後、公の場には一切 姿を見せず。 (放送大学 国際政治学 より) ルーズベルトはどうしても戦争をやりたかったのでしょう。 ○米国の公文書を調べた結果、ルーズベルト大統領が、 巧妙な策略によって日本を対米戦争へと追い込んだ。 (チャールズ コロンビア大学教授) ○ルーズベルトを、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った 狂気の男と発言。 (フーバー31代大統領) 1930年代の大不況の為、GDPは半分に、株価は1/10 失業率は30%近く。 ニューデール政策もさっぱり。 しかし、戦争をやって米国経済は見事復活しました。 米国はこういう陰謀が好き、というか得意技ではないですか。 ルーズベルト工作が無ければ、というのは説得力が あると思います。

y1892a
質問者

お礼

コミンテルンが日本、中国国民党、アメリカにスパイを送り込んでいたことは事実ですが、こういうルーズベルトの陰謀はアメリカに潜り込んでいたスパイの功績かもしれませんね。アメリカはドイツや日本と戦うのではなく、ソ連と戦うべきだったのです。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.3

例えばルーズベルトが「「戦争の際には、ドイツの側に立って、積極的に介入する用意がある」とドイツ側に約束したのであれば「ドイツがポーランドに侵攻した理由」にはなり得るかもしれません。 ですが質問者様の引用している内容では「米英がドイツに参戦した理由」にはなっても「ドイツがポーランドに侵攻した理由」にはなりません。つまり >ルーズベルトの工作がなければヒトラーもポーランド侵攻をしていなかったのではないでしょうか? この質問に関しては「否」ということになります。 また当然ながら「戦争になれば英仏の側に立って介入する」と米国が確約したとしても、それで「戦争を強いた」とは言えません。 現代のNATOのように軍事同盟を結んでいるわけでもない以上、ただ「介入する」というだけでは、どこまでやるのかも不明ですし、仮に大統領がそう約束したところで議会などとの駆け引きのために僅かな援助でお茶を濁す事だって別に不思議でも何でもありません。 事実、英仏は戦争準備が整っていなかったという理由はあるにしろ、結果的にポーランドを見捨てています。当然、同じ事が自国にだってあり得ると考えるでしょう。 つまりルーズベルトの工作が実在したとしても、戦争を決定したのはあくまでも英仏政府であり、両政府共に米国の「介入する」の口約束でホイホイ戦争を起こすような国でも無い以上、ルーズベルトの工作が第二次大戦を招いたとは言えません。 なお余談ではありますが現代のドイツでも「第二次大戦はルーズベルトの陰謀にドイツがはめられた」とする立場の主張は唱えられており、連邦功労十字勲章を授与された事もあるアルフレート・シッケルなどがそういう主張を唱えています(このあたりは「ドイツ戦争責任論争」未来社に記述があります)。

y1892a
質問者

お礼

>ですが質問者様の引用している内容では「米英がドイツに参戦した理由」にはなっても「ドイツがポーランドに侵攻した理由」にはなりません。 そうではなくて、ポーランドがドイツとの和平交渉に前向きな姿勢を取っていればドイツもポーランド侵攻しなかったかもしれませんし、その延長として英仏との和平もすすんでいたのではないか、ということです。 ハミルトンフィッシュは読んだことがありますか?

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

第一次世界大戦後、ポーランドはロシア革命、ドイツ革命に乗じてロシア・ドイツの植民地から脱却して独立を果たしました。 1939年独ソは独ソ不可侵条約を結び、再びポーランドを独ソで分割する密約を結んだ。 そして独ソは、東西からポーランドに侵攻しました。

y1892a
質問者

お礼

ありがとうございます。 独ソ不可侵条約の前にポーランドとドイツの和平交渉が決裂していたのでしょうか?

  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2910)
回答No.1

第一次世界大戦の戦後処理で不満を持っていたドイツは いずれにせよどこかで攻撃する可能性は高かったです。 問題は第一次世界大戦と第二次世界大戦を分けて考えないことです。 第一次から傍観しているように見えたアメリカは 既に影で参戦していたのです。 アメリカは狡猾に世界を動かしてきました。 日本の戦争ですら日中戦争からアメリカによって仕掛けられたものです。

y1892a
質問者

お礼

ありがとうございます。 ハミルトンフィッシュはポーランドの態度によってはドイツは侵攻しなかった、という解釈みたいです。 アメリカが英仏に圧力をかけ、ドイツとの和平交渉が決裂するように仕向けていたのでは無いかと思います。

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