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進化論以前の考えin日本

neil_2112の回答

  • neil_2112
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回答No.3

進化論は日本では反感をまねくことなく、新しい学問として概ね肯定的に受け入れられたのではないでしょうか。 進化論が日本でよく知られるようになったのは、明治の初めに来日したE.S.モースによるところが大きいとされていますね。腕足類の研究で日本を訪れ、大森貝塚の発見に至ったわけですが、彼は来日前にダーウィニズムを信奉する旨を公式に表明し、後には直接ダーウィンに師事した熱心な進化論者でした。 以下はモースにまつわる言わば状況証拠なのですが… そのモースは望んだわけでもないのに東京大学初代動物学部教授の職を与えられ、結果的に2クラス90人の優秀な子弟たちに進化論をベースに講義を行うことになりました。また、彼ら弟子はモース教授を敬愛し、後に医学、植物学、考古学など多岐の分野で日本の教育界の指導者となっていきます。さらにモース自身が学外で盛んに講演を依頼されて盛んに進化論を語ったこと、モースの講義録である『動物進化論』が日本語による最初の動物学の教科書として明治16年に出版されたこと…こういった事柄を眺めてみると、総じて進化論は当時の趨勢であった「科学的な学問」を代表するものとして、少なくとも知識層には広く受け入れられたように伺えます。 特に、モースの通算滞日期間はあまり長くありませんが、それでも彼がその後の日米交流全般にもたらした大きな好影響をみれば、彼が人間的にも学者としても尊敬に足る人物として受け入れられたことは間違いありません。このことは間接的に、進化論に根ざす彼の学説が信頼をもって受け入れられたことを意味すると思います。 モースの弟子である石川千代松の述懐によると、モースがもたらした進化論を攻撃したのは日本人よりもむしろ東京大学で既に講義を行っていた「お雇い外国人」たちであったようです。彼ら外国人教師の多くは宣教師でもありましたから、キリスト教の教えに反する説を吹聴するモースは非常に疎ましい存在に映ったのでしょう。 進化論がわが国でさほど反感を招かなかったのは、それなりの背景があったと思います。特に日本の宗教は仏教であれ神道であれ、変化していくこの世の現象の意味づけに比べて、「始源」や「起源」と関係する歴史の意味づけに淡白です。そもそも仏教は起源について語りませんし、本来は世界の成立の起源について語るものである神話も、日本では「作る(創る)」という意図よりむしろ「成る」という感覚が表明されているに過ぎません。 実際、『古事記』の始まりは、造化三神という神々が世の中をより分けていくうちに新しい神が地面から葦のように生まれてきて、この神が泥を仕分けるなどして働くうちに木の神や動物の神が生まれてきた、やがて人間の祖である男と女の神も生まれ、彼らが(柱をまわるなどして)働くうちに山の神が生まれ…といった具合で、なりなりて成っていく姿を単に擬人的に語ったに過ぎないとも言えます。要はわが国ではある意図や意味にのっとってこの世を説明しようとする気がもともと希薄なのです。 結果、その表れとして、キリスト教が人間を神の御姿である存在として重視するのに比べ、日本では人間を自然のなかの一部分として受けとめて、あまり特別視しないわけですね。逆にその意味では、日本では西洋的なヒューマニズムの意識、つまり「同じ人間という特別な特質に基いた共感」は希薄だったわけですが。 もちろん、こういった「日本人論」的なことは絶対的な指標にたって言うものではなくて、西洋的な他者の眼に照らされて初めていい得るわけですが、例えば幕末から明治初頭に日本を訪れた西洋人たちの残した記録がいろいろと出版されていますが、こういったものは参考になるのではないかと思います。 上述したようにモース「日本その日その日」(東洋文庫)にもこの類の日本人の特質についての記述が多くありますし、ブラウンという宣教師の記録である「S.R.ブラウン書簡集」(日本基督教団出版部)にも、日本人と一緒に漢訳の創世記を読んだ際、人間が神の最高目的である創造物だという内容にその日本人がいたく驚いて、「人間が植物や動物より優れたものである」ことをなかなか納得しなかった旨の記載があります。

humihiro2003
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 ご紹介していただいた書物、とても興味深いです。

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