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昔の人の写真
江戸末期の武士や明治時代の政治家などの肖像写真、当時の庶民の集合写真などの「古写真貼」を見ていると、いつも思うことがあります。 それは写っている彼らの視線が決まって別の方を向いている(カメラ目線じゃない)ということです。 私の知る限りは、まともなカメラ目線なのはお札にも使われた「伊藤博文」の肖像写真ぐらいです。 岩倉使節団の集合写真なんて全員違う方向を見てるし、陸奥宗光は真横を向いてるし、大久保利通も視線それているし、有名な坂本竜馬の写真も遠くを見つめた視線です。(まぁ彼の場合は、遠い異国に想いを馳せるといったイメージにぴったりの写真ですが・・・・・。」 昔の人は写真に撮られると「魂を抜かれる」と本気で信じ込んでいた人が多かったとは聞きますが、 いつの世も迷信を信じない人はいます。迷信は長続きしません。明治の元勲をはじめ皆が皆そんなちっぽけな事にこだわってなかったと思います。 昔の写真はシャッターを押したときストロボの光線が激しかったらしく、写真技師の眉毛がよく焦げたという逸話は聞いたことありますが、写る人はまぶしいのはほんの一瞬でしょうし、これが理由を全て証明しているとも思えません。 実際前出の伊藤博文や竜馬の友人の中岡慎太郎(中岡の写りはかなりきわどいけど・・)、その他の写真で真正面に写った写真が一応あることからみても、何か他に理由があると考えています。 当時の人は遠くをみつめる視線が「男」を演出していると信じていたのかなと、ほほえましく思ったりもしましたが、集合写真ではむしろ滑稽です。岩倉使節団の写真はある意味笑えます。興味ある方は一度御覧ください。 皆様の「お考え」「想像」でも結構です。以上、どのような理由だと思われますか??
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- eroero1919
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