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なぜ飛脚は馬ではなく人力で走るのか?

mekuriyaの回答

  • mekuriya
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回答No.5

江戸時代は馬に乗るのは武士の特権とされていたのです。また飛脚は下賎の者の仕事だとも位置づけられていました。武士でも下級武士は馬に乗ることが許されなかった時代なのです。士農工商といいまして、農民は農作業用に馬を使うことは許されていました。しかし、それは手綱を引っ張るだけで農民が馬に乗ることが許されていませんでした。飛脚は商の一番下っ端という位置づけなので論外なのです。元禄赤穂事件で赤穂藩の江戸藩邸の下級武士が事件の急を地元に伝えるために江戸を出立したわけですが、それでも馬に乗ることは許されなかった。駕籠を乗り継いで帰郷したわけです。 飛脚は東京から大阪まで一人で走った訳ではありません。宿場町で交代です。宿場町には問屋場という人足手配所というか駅みたいな場所があって、飛脚は問屋場の役人の命令に従って、次の宿場町の問屋場に荷物を届けるのが仕事です。飛脚は、そこで休憩を取って、「おーい、誰かいないか?」と声がかかるのを待つ。この繰り返しです。東海道五十三次といって東海道には53の宿場町がありました。つまり一人が走るのはたかだか10kmあるかどうかというところです。 徳川家康は江戸を中心に五街道の整備を諸大名に命じました。それは、こういう仕組も含めて街道と宿場町を整備することでありました。

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