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なぜ飛脚は馬ではなく人力で走るのか?

noname#143837の回答

noname#143837
noname#143837
回答No.4

他の回答者様と被る部分がありますが、ご了承を・・・・ 馬を使った時代もあったそうです。それは鎌倉時代から戦国時代にかけてだそうです。大阪から東京までと言えばおよそ550キロです。550キロの道のりを3日で到着したとなれば1日につき180キロ以上は走らなければならず、フルマラソンの実に4.1倍です。 私が思うに、途中途中に馬を交代させる場所があったか、それこそ駅伝みたいに飛脚から飛脚への繋ぎがあったんではないか?と。そうでもなければ、1日に180キロは普通じゃありませんよ。 またよし、5日かかったとしても、それでも1日110キロ、フルマラソンの2.6倍。まぁ人間業では無いですね。馬だってたった1匹の馬でそれだけ踏破できたとは思えません。(花の慶次の松風なら可能かも) 何か飛脚は飛脚でも色々な種類があったんじゃないでしょうか。食べ物を運ぶ食料専門飛脚、普通郵便を扱う飛脚、速達を扱う飛脚、等。 あくまでも私の私見ですけれども・・・・。

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