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なぜ飛脚は馬ではなく人力で走るのか?

sayapamaの回答

  • sayapama
  • ベストアンサー率37% (3925/10437)
回答No.1

鎌倉時代の飛脚はほとんどが馬を使用していました。 江戸時代の飛脚は、鎌倉時代と違って、馬を使わず、人間が走って運んでいました。 馬を使うと、エサ代や休憩代、宿泊代などでコストがかさみ、採算が取れなかったからです。 なにしろ、人件費の安い時代、人が交代で走り継ぐほうが経費を押さえられたのです。 江戸から京都まで、東海道を歩いていくと二週間ほどかかったが、普通便の飛脚は6日間で届けたといいます。 なお、当時の飛脚の料金は、荷物一貫匁(3.75キロ)につき、江戸ー大坂間で9匁5分(今の3500円ほど)、書類は、2000円もしなかった。 緊急用に、大坂から江戸まで3、4日で届く”速達便”もあったが、こちらは値段がとんでもなく高かった。(こちらは馬も併用したようです) 文化年間(1804~18年)ごろで、金4両2分というから36万円ほどもしていました。

nakisan2011_12
質問者

お礼

ありがとうございました。 いろいろとあったのですね。 しかし意外と早く届くもんなんですね! びっくりしました。

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