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一般的にいう欲望とは期待である

個人的に最も美しい瞬間はのっぺらぼうの世界からカタチがたちあがる時です。逆に言えば、その為に、世界の見方を解体しなければならず、その瞬間は面白い。結局、世界像は生滅を繰り返し、期待の成就を願うという欲望よりも瞬間に現れる美を愛でるようになります。 よって、欲望とは自らの内部にある期待を愛でることであり、本質的に世界と触れ合うことはないと思われます。 これに似た結論を得た哲学者がいると思うのでご存知の方は教えて頂きたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • t-ka
  • ベストアンサー率28% (14/50)
回答No.3

「 嘘とは、私がつくったものではなく、階級に分かれた社会に生まれたものである。 だから、私は生まれながら嘘を相続している。 」ジャン=ポール・サルトル 哲学者であれば誰しも似た感覚になるのでは

MOG56222
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • under12
  • ベストアンサー率12% (202/1671)
回答No.4

哲学というより言葉遊びでしかないように思えますが・・・。 ・期待(きたい)は、過去の経験あるいは現在の状況に基づき、 ある現象や事件などが発生することを待ち続ける状態のことである。 まあ、Wikipediaからの引用ですが、結局は字のとおり、「期を待つ」事ではないのか。 であるならば、質問文の「欲望とは自らの内部にある期待を愛でること」の”期待”は 願望と置き換えた方が適切ではなかろうか。 昨今言われている肉食系の方からすれば、欲望を満たす課程において、期待する という受動的な意味合いやスタイルはふさわしくないでしょう。 ヒキコモリが妄想の中で自己満足するようなスタイルにしか感じられません。

MOG56222
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 誤解だと反論したいところですが、円満に分かり易く述べる力も自信も時間もありませんので止めておきます。 これぞ、不可能なもの、出来ないものは望まないのは期待や願望ではないからなんだなあと打ちながら思う。つまり、真の欲望とは願望ではなく意志なのでしょう。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

頭の中で何かがまとまってくるのも外の世界からはいってきた要素の組み合わせではないでしょうか。つまり初めから頭の中にあったものがまとまってくるのではないと思います。現在自分のものとしているものも必ず誰かからの無断借用です。この意味で欲望も誰かからの借り物ではないでしょうか。

MOG56222
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 斬新な意見ですね。確かにそう思います。

  • kusama1
  • ベストアンサー率32% (162/493)
回答No.1

一昨日のYahooニュースで共通する思想があるのかなと思ったのでよろしかったらURLご覧ください。 哲学と呼べるのか解らないのでご希望に添えるようなもので無いかもしれません、ご気分害されましたら申し訳ございません。

参考URL:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000050-zdn_mkt-ind
MOG56222
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 至るところに仏性はやどっている気がします。 その記事をヒントとできるかは私次第です。

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