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小林一茶の「めでたさも…」の句について

小林一茶の「めでたさも中くらいなりおらが春」という句がありますが、中くらい=ほどほと、「である」なのか「であってほしい」なのか、どちらでしょうか。また、どうして「中くらい」なのですか。一茶にそう言わせる背景があったのですか。調べるための資料やサイトがあったら、あわせて教えて下さい。

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  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.2

【めでたさも中くらいなりおらが春】 この句は一茶の生涯を調べていくと どのような意味を持つ句かわかります。 1763年、小林一茶は信濃の国に生まれ 3歳で母を失います。 8歳の時から継母に育てられたという不遇の子供時代を送りました。 その後、江戸で奉公をしながら俳諧を学びました。 1791年、25歳の時に帰郷し「帰郷日記」を著述しました。 再び俳諧修業の流浪の旅に出た後、50歳で故郷に帰りました。 52歳で結婚しますがすぐに妻子に先立たれます。 1819 年の元旦から悲喜転変の思いを57歳のから 歳末に至る随想におりおりの句綴った「おらが春」を発表します。 1819 年 (文政 2) の元旦その時の句ですね。 正月でめでたいことだが、私の周りには色々なことがあって 私の気持ちはそれほどめでたいという気持ちにならない。 どちらかというと中ぐらいというところかという意味の句ですね。

参考URL:
http://www.mitsubishi-fuso.com/jp/pr2003/0310/travel/
apple-apple
質問者

お礼

ありがとうございます。たいへんよくわかりました。参考URLも見ました。とてもわかりやすいものでした。

その他の回答 (2)

noname#50891
noname#50891
回答No.3

補足読みました。 >一茶自身それを「中くらい」程度と思っていたのか、せめて「中くらい」であってほしいという願いを込めていたのか、が質問の意図でした。 >言葉が不十分ですみません。その上でご存じのことがあれば教えて下さい。 私は初めてこの質問を読んだ時から、 この質問は、「中くらい」を 「である」と取るか、 「であってほしい」と取るかを問うものと、 思っています。 何故、再確認されるのか、わかりません。 さて、 「中くらい」の解釈に対する回答です。 apple-appleさんはエピソードをご存知で、 それを踏まえた上で、 句を読んでいるのですよね? apple-appleさんは、 どう思います? どう解釈されましたか? …それが答えだと思います。 apple-appleさんがやろうとしていることは、 「俳句の鑑賞」ですよね? 俳句に限らず何にでも言えることですが、 鑑賞において大切なのは、 「何を感じ取り、どう思うか」です。 ですので、先の回答も、 「読めば分かる」としました。 apple-appleさんが「どう思うか」。 それ以上、何を求めるのでしょうか。 私にはapple-appleさんが何か 「解答」を探してように見えますし、 こちらはまるで、 宿題の答え合わせをしている気分です。 (もしも宿題だったら、残念だけれど) (これ以上答えません)

apple-apple
質問者

補足

宿題か否かと問われれば、やや宿題に近いものでした。それで、私自身の解釈が正しいのかどうかを確かめたいという思いもあり、質問しました。 私は、俳句や短歌、詩などは、個人の鑑賞の範囲にとどめておきたいと思っていますが、「解答」を求められてしまう場合も、往々にしてあります。 いろいろとアドバイスありがとうございました。

noname#50891
noname#50891
回答No.1

>中くらい=ほどほと、「である」なのか「であってほしい」なのか、どちらでしょうか。 句を読めば分かると思いますが…? >どうして「中くらい」なのですか。一茶にそう言わせる背景があったのですか。 ありました。 大変有名なエピソードですので、 ネットで一茶について調べれば、 出て来ると思いますが…調べたのかな? では頑張って。

apple-apple
質問者

補足

「なり」が現在の状況を表す語であるのはわかっています。一茶の当時置かれていた状況が、かなりつらいものだったのも知っています。(ここまでは何を調べても載っているので。)ただ、それだけに、一茶自身それを「中くらい」程度と思っていたのか、せめて「中くらい」であってほしいという願いを込めていたのか、が質問の意図でした。言葉が不十分ですみません。 その上でご存じのことがあれば教えて下さい。

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