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小林一茶の俳句の意味が知りたいです

小林一茶の俳句に、 めでたさも中くらいなり、おらが春 という句があると思うのですが、 どのような意味なのでしょうか? よろしくお願いします

  • opus18
  • お礼率82% (107/130)

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  • a375
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回答No.5

小林一茶の生涯は、よくもこれだけ不幸が続くなあと思えるほどの悲惨な生涯といっていいでしょう。3歳で母を亡くし、継母とはなじめず、口減らしのため15歳で奉公に出されます。39歳で故郷に戻ると、看病の甲斐なく父を亡くし、遺産相続問題が継母・異母弟との間に起こります。結婚してから授かった4人の子供は次々と夭逝し、妻とも死別します。その後、再々婚した妻との間に授かった娘は、一茶の没後に生まれます。極めつけは一茶は亡くなる直前に大火に遭い家を失い土蔵の中で病死しますが、病気の数も半端でなくよくもこれだけと思うほどの病もちと化します。さてこの句は「おらが春」という連句の発句で、本来は「目出度さもちう位也おらが春」とかかれています。 「中位」でなく「ちう位」でこれは昔一茶の生地である長野のほうで「ちう位」は、一般が解釈するような「中位」とはやや違ったニュアンスで「いい加減な」ところがある意味で使われることがありまた「たいしたことではない」という風にも取れます。この句が成立したころも長女「さと」をなくしており、不遇続きの一茶からすれば、「世の中、初春でめでたいとか何とか言ってもそんなことどうでもいいことだ。そんなにうれしいもんかな。私にはどうでもいいことだけど、強いていうならめでたいんだろう」というように私には思えます。一茶は常にやや斜めから世の中を見ており、「めでたい」という世間の言葉に少しすねた言い方で表現したのではないかと思っています。一茶の生涯を見てみますとさもありなんという気がします。これは私の個人的な解釈ですが、すんなりと解釈してしまうと何の面白みのない句で、どうも句の裏に「すねた」一茶がいるような気がしてなりません。「めでたさも 中位なり おらが春」 http://www2j.biglobe.ne.jp/~sim_g/his_life.htm#point32   

参考URL:
http://www2j.biglobe.ne.jp/~sim_g/his_life.htm#point32

その他の回答 (7)

  • IXTYS
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回答No.8

小林一茶は『本音』で生きた人です。 われと来て 遊べや親の ないすずめ すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る 滲み出る優しさが、一茶の句の特徴と言えます。 その優しさは、彼の不遇な一生で学んだもの。 しかし、当時の庶民の暮らしはもっと悲惨なものでした。  宗教界は本来は庶民の救済が主眼であるべきでしたが、江戸時代はそうではありませんでした。 徳川幕府は、五人組といって、五軒をひとまとめにして、お互いを監視させ、密告させるシステムを構築し、お寺にそのまとめをさせていました。 庶民の味方であるべきお寺が、監視体制の元締めだったのです。  こういう寺院の姿に異議を唱え、庶民の姿に徹しようとした一茶の姿勢に私達は打たれるのです。  この俳句にも少し『すねた』印象がうかがえます。 正月が来ると『めでたい、めでたい』と建前ばかり。 現実の庶民の姿は、『間引き』といって、幼い子供を口減らしのために密かに殺したりしていたのです。 そういう、現実を見れば、正月だといって、ただ『めでたい』とばかりいってはおられない。 社会派の一茶らしいレジスタンスが精神が伺い知れます。

回答No.7

俳句は短い文章なので、作者が作った時から読者へゆだねられていくものだと思います。 ましてや二百年前とすれば、それぞれの解釈があると思いますが、私の感じでは 一休さんの 門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし の俳諧化だと思います。 江戸時代の57歳といえばあと何年正月を迎えることができるだろうかと考えるのではないでしょうか。

  • n34156
  • ベストアンサー率15% (53/352)
回答No.6

「春」は、「新春」とも一般的な「春」とも考えらえます。その共通点は「誰にとっても、なぜか心はずむ時季」という事でしょう。しかし一茶にとっては、そうではなかったのです。これまでの不遇から考えても、自分には一般的な「春」ではない。それが「中くらい」の「おらが」(私の)「春」なんでしょうね。手放しで喜べないところに、一茶の悲哀さえ感じられます。作者の生き方を醸し出す名句の一つです。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.4

大伴家持の万葉集最後の和歌 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事 を踏まえていると考えるのは、私だけでしょうか

  • danke3
  • ベストアンサー率38% (556/1455)
回答No.3

一茶は、39歳の時、ふるさとに帰って父の看病をしました 父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなります この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きます 50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました 借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年やっと和解しました 52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、 次々に子どもが生まれましたが、3人とも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました ■そんな中で、正月を迎えた心境を、”中くらいのめでたさ”と詠んだものでしょう (まだ、子どもを失ってない頃)

  • fronteye
  • ベストアンサー率43% (118/271)
回答No.2

「めでたい」と言っていますから、ここでの春は「新春」つまり正月のことなのではないでしょうか。 そう解釈すれば、後はおのずと理解できるでしょう。

noname#20181
noname#20181
回答No.1

「新春を迎えて目出度いのであるが、そんなに目出度いかと言えばそうでもない。幸せでもないけれど、不幸でもない。そんな中途半端が、まあ自分にはお似合いなのだな~。」と言った心情を詠った、一茶57歳の時の句です。

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