ゾマホンの発言について

このQ&Aのポイント
  • ゾマホンこと、ゾマホンルフィン氏の発言について調査すると、アフリカが400年間の奴隷貿易と300年間の植民地政策を受けたことは事実であると言えます。
  • ただし、奴隷貿易に関してはよく知られている歴史的な事実ですが、植民地政策の期間については紛争があります。
  • 一部の歴史家はアフリカへのヨーロッパによる植民地政策が19世紀のアフリカ分割から始まったと主張していますが、確定的な統一見解はないようです。
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ゾマホンの発言について

 昔、TBSのバラエティー番組で、「ここが変だよ日本人」という外国人を集めての討論番組に出演していた、ゾマホンこと、ゾマホンルフィン氏の発言で、母国であるアフリカは、400年間の奴隷貿易と300年間の植民地政策を受けてきたと語っていますが、これは本当の話なのでしょうか?奴隷貿易の話はわかりますが、アフリカ諸国へのヨーロッパによる植民地政策が進んだのが、19世紀のアフリカ分割と呼ばれる辺りからだと思われますが、単純に計算しても300年間には至らないのでは?と思います。この発言は、どのように解釈したらよいのでしょうか?また、実際にアフリカでは、300年間以上も植民地政策は行われたのでしょうか?詳しい方、ご教授をお願いいたします。

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  • mekuriya
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回答No.4

本当の話です。コンゴ王国はポルトガルによって16世紀後半には植民地化されています。大航海時代の第一世代であるスペインとポルトガルは1494年にローマ教皇アレクサンデル6世の仲介で、トルデシリャス条約を結びお互いの勢力圏を定めて、直接対決を回避しました。早い話がアフリカ大陸はポルトガルのもの、アメリカ大陸はスペインのものという取り決めです。19世紀のアフリカ分割は産業革命後の帝国主義時代に植民地獲得競争で列強の利害対立が激化して、戦争を回避する為に話し合いでそれぞれの植民地を線引きしたというものです。16世紀にはまだイギリスもオランダもフランスもアフリカ大陸には本格進出していない。アメリカは影も形もまだない。ポルトガルは競争相手もなく悠々アフリカに進出できたのです。ポルトガルは最初は交易とカトリック布教を名目にして目標国に接近し、機を見て植民地化するのが常套手段でありました。アフリカ内部の国家対立や部族対立を巧妙に利用して、一方に味方をする振りをして恩を売って植民地化を進めるのであります。奴隷貿易もポルトガルが先駆者です。ローマ教皇は、キリスト教徒を奴隷にするのはまかりならぬが異教徒なら全然OKと声明しました。だからキリスト教徒の黒人は、異教徒の黒人を奴隷にして売り飛ばしても全然心が痛まないという仕組なのです。 歴史の教科書は大航海時代についてコロンブスが1492年に「東洋の国と思ったコロンブス」といった事しか教えていません。その後、アフリカ大陸がどうなった、アメリカ大陸がどうなったという話は全然教えていない。なぜなら歴史の教師はキリスト教が奴隷貿易と植民地化に果たした役割を説明したくないからです。

その他の回答 (3)

  • zep19
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回答No.3

個人的にゾマホンという人好きじゃないんですよね なぜなら彼の母国ベナン共和国、改名前のダホメー共和国の前身のダホメー王国と ベナンの国名の元になったベニン王国の歴史を少なからず知っていたからです 彼が「白人が奴隷貿易によって・・」と話す度に腹立たしい想いが込み上げました なぜなら女兵軍という女性戦士部隊があったというダホメー王国やベニン王国こそが 他部族に対する奴隷狩りを行い欧州商人に売り飛ばし暴利を得ていたのです そしてその得た利益で欧州商人から武器・弾薬を購入しさらなる奴隷狩りを行う ベニン王国には王国旗がありますが、ご存知でしょうか? なんと戦士が剣で人間の首を切る図柄です 王国の最後は象徴的でした 王国を滅ぼしたフランス軍は王国の奴隷狩りの被害を受けていたヨルバ族を大量に雇い報復させたのでした 自らベニン王国の奴隷狩りで売られた奴隷で後にロンドンで奴隷廃止運動を行ったイボ族のグスタブス・バサはその著書で 奴隷取引は欧州人商人だけでなくアフリカ現地の奴隷狩りを行う王や首長の協力なしでは無し得なかったと主張しているのです 東南アジアやインドなど元植民地が現代経済的繁栄を享受しているのに アフリカは石油等鉱物資源、観光などレンティア(不労収益)収益以外なぜ繁栄できないのでしょうか? 自らの部族主義や政治腐敗、汚職などを棚に上げ 莫大な経済支援を受けながら何の向上的努力もせず 悪い事全てを他人のせいになすりつけることが妥当なでしょうか 長文失礼致しました

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.2

アフリカと言っても広いです。エジプトなんてのは四大文明の発祥地でもあります。 カルタゴも古いですね。地中海沿岸は昔から開けていました。 コロンブス以前から少しくらいあった奴隷貿易を拡大解釈しているんでしょう。 ヨーロッパ人は当初ボジャドール岬から南は怖がって行きませんでした。ボジャドール岬というのはモロッコの更に南の西サハラにあります。 逆に言うと西サハラまでは行っていたわけですからそこらあたりはエジプトのように開けていなかったので原住民を拉致してヨーロッパで奴隷にしたんじゃないでしょうか。推測ですが・・・

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0 最初のケープ定住は、1652年にオランダ東インド会社が本国=東インド諸島間のオランダ艦船の供給所及び停留地としたことで始まった。 このへんを踏まえているのかと http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%BF このへんだと 600年かぁ

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