哲学的『生命』とは、何を指しているのか?

このQ&Aのポイント
  • 哲学的生命とは、哲学や宗教の文脈で使われる概念であり、生物が持つものではなく、魂や魂魄、生気や念など非物質的な存在を指すことがある。
  • 生命科学や医学とは異なり、哲学的生命は生死を超越して転生や宿業といった概念と結びついている。
  • 仏教書や哲学の中でよく使われる生命という言葉は、物理的な存在だけでなく、精神的や宗教的な次元も含んでおり、深い意味を持っている。
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哲学的『生命』とは、何を指しているのか?

私は創価学会 壮年部の者です。 よく仏教書や哲学の中では『生命』という表現を使用 しますが、生命科学や医学などでは生命の概念が 哲学的『生命』とは違い、<生きものが生きている状態を 指して「生命を持っている」「生命を宿している」と呼び、、、> と、生死を離れてはおりません。 しかし、『三世の生命』や『生命の流転』、あるいは宿業論など いたるところで『生命』という言葉を目にします。 この仏教書、哲学で言うところの『生命』とは 哲学的『生命』とは、何を指しているのか? 哲学的・宗教的な『生命』とは、何と言い表わせば良いのか? という疑問が出てきます。 『魂』や『魂魄』、『生気』や『念』ということなのでしょうか?

  • ks5518
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質問者が選んだベストアンサー

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  • mmky
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回答No.6

哲学的『生命』とは、何を指しているのか? 哲学的・宗教的な『生命』とは、何と言い表わせば良いのか? ○答えは簡単なものです。「思考する主体」それが哲学的・宗教的な『生命』ですね。 哲学では「我思う故に我あり。」と表現しますね。宗教では「霊的生命、魂」などと呼びますが、呼び方は違えど「思考主体」そのものですね。 まあ、現代風に言えば「思考する個性エネルギー」というものですね。 医学では肉体を生命と呼んでいますが、哲学・宗教では肉体はロボットでしかないですね。全ての生き物は肉体がありますが、全て寿命がありますね。それゆえ無常観があるのですね。諸行無常は肉体生命に対しての言葉ですから医者も諸行無常のなかで悪戦苦闘してますね。 無常観を覚めた目で観ている主体が哲学的・宗教的な『生命』ですね。この生命は不老不死ですからね。 こういっても理解できないかもしれませんが、このカテで質問し、回答を見れば、質問者や回答者の年齢性別存在環境など一切無関に互いの思考が行きかってますね。これは時空を超えていますので、それが「思考存在」の証明ですね。 真理というのは簡単なものの中にあるのですね。難しい言葉を如何に羅列しても真理を掴んでいないものは所詮迷うだけですね。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >「思考する主体」それが哲学的・宗教的な『生命』ですね。 死んでしまったら、思考出来ない様な気がしますが。 >この生命は不老不死ですからね。 そうです。この“生命”の事なんですよ。 やはり、『生命』で良いのかな?? あぁ~っ、また分からなくなっちゃった。 >真理というのは簡単なものの中にあるのですね。 そうなのですよ。仰る通り心理は「南無妙法蓮華経」の中にあり ますから。先ほど、少し自問自答しておりまして、釈尊、天台が 本当に現したかったのは、『念心』なのかなって思ったりして。 日蓮大聖人も『心』という表現しかしていない様なのです。 こういうと語弊がありますが、あくまでも法体(御本尊)は『南無 妙法蓮華経』の七文字なのですが。

その他の回答 (7)

回答No.8

 No.5です。  どちらかというと、「生命」という事ではなくて、『生命の作用』というか、生命の発露ですね。  そうかもしれません。発露であり作用。いい言葉ですね。  生命がそういう性格であり、本質だからそういう発露となり作用となるのではないでしょうか。  だから作用としての発露としての【No.5で掲げたこと】を見、その源流を辿れば同じような水源があり、そこにはその景色もあるのでして、私はそれに三昧になることで満足しています。  そして其処で更に精進するだけです。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >その源流を辿れば同じような水源があり、そこにはその景色もあるのでして これは仏法で言うところの「依正不二」においての、“依”の 部分であり、問うているところは“正”の部分です。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.7

>他の宗派については、皆「外道」を説いておりますので、それ程、人間の内奥には、影響がありません。 確かにまだ何も解っていない初心者のうちは、偉い人がそう言ったんだからそうなんだろうと思い込む態度は、その分野で前進するために生産的な態度であることに同感です。しかし、それは初心者でいる場合にのみ生産的だと言うことです。逆に、ある理解の段階に来たら、何故「外道」なんだろうと、一先ず日蓮や先人などの言ったことを疑ってみることが、物事を理解する上で決定的になります。その過程を踏まないで来た人は、いつまで経っても未熟な初心者であり、説得力がなく、限りなく浅い段階に止まってしまいます。 多分、貴方は創価学会に入ってある程度の時間が経っている方なのでしょうから、日蓮の言っていることを骨身に沁みて理解するために、日蓮の主張を徹底的に疑ってみたらどうでしょうか。彼に向って、貴方が思い付く限りの反論を問い掛け、疑って疑って、トコトン疑って、日蓮を折伏する論理を探してみる。その過程を踏んだ後になって、やっと貴方は日蓮の言っていることが解るようになるのだと思います。 初心者から脱却するためにも、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊なんて日蓮の言葉を鸚鵡返しに言っているのではなくて、日蓮に楯突いて、  真言立国、禅天神、念仏極楽、律国誉 と言う立場を貫いて、それも日蓮の反論でたじろがないぐらいトコトンその立場を擁護する論理を抉り出して、何処まで行けるかやってみる必要があると思います。その過程を踏んだ者のみが日蓮の偉大さを理解出来るのだと思います。ご成長を祈ります。

ks5518
質問者

お礼

再度、ご回答をよせていただきまして、ありがとうございます。

回答No.5

 創価学会のことは存じません。宗教者としては認めており、熱心すぎる活動もあるようですね。それは仕方が無い。友人の会員には二三人間として実にずるい人がいて、偏見となっています。  哲学や宗教での生命って、宇宙やみんなに関ろう、語りかけよう、手を気持ちを差し伸べようとする初々しいというかみずみずしい気持ちだと存じます。  自分の真情から自ら入っていき、世の中や全て、そして人に入ってもらう。そういう期待と行動、やむに已まれない気持ちだと存じます。   

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >友人の会員には二三人間として実にずるい人がいて、偏見となっています。 摂に困った事ですね。 まぁ、創価学会と言っても、いろんな方がいらっしゃいますからね。 >哲学や宗教での生命って、宇宙やみんなに関ろう、語りかけよう、手を気持ちを差し伸べようとする初々しいというかみずみずしい気持ちだと存じます。  自分の真情から自ら入っていき、世の中や全て、そして人に入ってもらう。そういう期待と行動、やむに已まれない気持ちだと存じます。 どちらかというと、「生命」という事ではなくて、『生命の作用』と いうか、生命の発露ですね。

  • nontro_08
  • ベストアンサー率19% (33/173)
回答No.4

創価学会の戸田二代会長が、戦時中、思想犯として東京拘置所に拘禁されていた時のことです。独房の中で、法華経の開経である「無量義経徳行品第一」を読んでいましたが、次の仏を讃嘆する「偈」の意味がどうしてもわかりませんでした。 其身非有亦非無(ごしんひうやくひむ) 非因非縁非自他(ひいんじえんひじた) 非方非円非短長(ひほうひえんひたんじょう) 非出非没非生滅(ひしゅつひもつひしょうめつ) 非造非起非為作(ひぞうひきひいき) 非坐非臥非行住(ひざひがひぎょうじゅう) 非動非転非閑静(ひどうひてんひげんじょう) 非進非退非安危(ひしんひたいひあんき) 非是非非非得失(ひぜひひひとくしつ) 非彼非此非去来(ひひひしひこらい) 非青非黄非赤白(ひしようひおうひしゃくびゃく) 非紅非紫種種色(ひくひししゅじゅしき) 「其の身」とは、一体何を意味しているのか。この偈の意味を何としても理解するのだと、真剣な唱題を重ねていると、突然「生命」という言葉が脳裡にひらめいたのです。 「生命」は有に非(あら)ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず 方に非ず円に非ず短長に非ず …… 紅(く)に非ず紫(し)種種の色に非ず 「ここの『其の身』とは、まさしく『生命』のことではないか。知ってみれば、なんの不可解なことがあるものか。仏とは生命のことなんだ! 仏とは、生命なんだ! 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分目身の命にあるのだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」と、悟られたのです。 詳しくは、池田名誉会長著、『小説・人間革命』第四巻、「生命の庭」を御覧ください。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 あ、あ、あのねぇ。 そこは良いのですよ、nontroさん。 そこは通り過ぎてください。 逆に聞きたいのは、法華経若しくは、摩詞止観または日蓮大聖人 御書全集の中に『生命』という文字があり、何らかの説明や特定が されているのかどうかということなのです。 また、『生命』についての貴方の私観が伺いたい。 もし貴方が、本部に関係されるのでしたら、是非、この『生命』という 解釈についても伺っていただきたいと思います。 それまで、この質問は締めきらないようにしたいと思います。 まぁ、違う意味で、死ぬまでには一度貴方に会いたいとは思います が。

noname#176957
noname#176957
回答No.3

存在確率が1になるように「私」は「誰でもありえ」て「必ず誰かでなければならない」という、現代の哲学ではSSAと呼ばれる自己同定観による「私」のこと。 ではないかと思います。 言い表す?のは定義の問題なので、そのまま「生命」でも良いと思いますが、より互換性を高めるのであれば「自我」「認識主体」などで良い気がします。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >そのまま「生命」でも良いと思いますが それでも良いと思うのですが、生物的、医学的においては、 生命というものが「生死を出るものではない」というか、死後、 誕生前は確認が出来ないためだと思いますが、生まれてから 死亡するまの認識しか持てないので、そのまま『生命』と使用 してしまうと、誤解が生じる可能性があるのかなと考えました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

あたし逆に聞きたいんだけど、貴方のところの宗教じゃ、なんで、「生命」がそんなに重要なキーワードになっているのですか。世界中にいろんいろな宗教が哲学が人間の生き様や死後の世界なんか論じているけど、貴方の所ほど生命々々ってそれを前面に出して来ないですよね。何でだろう。勿論、どの宗教でも生命だ命だと言う言葉は出て来ますが、あなた方ほどそれを前面に出して来ているようには思えない。確かに、「生命」って言葉には響きの良い格好良さがあるけど、きっと、その言葉をいじくり回していても何ら生産性がないので他の宗教や哲学のキーワードにはなっていないと考えているからじゃないか、なんて言うような可能性はないのですか。 別な言い方をすると、哲学的な生命と言う概念が何でそんなに重要な概念であるかを明らかにしたいと言うのなら、あなた方以外の人達があなた方ほど生命々々と言わない理由は何故なのだろうか、と言うことを明らかにすれば、今まで貴方が見えなかった側面が見えて来るのではないですか。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >貴方の所ほど生命々々ってそれを前面に出して来ないですよね。何でだろう。 法門のベースに天台の「一念三千」があるからです。だから生命を 定義する事は、大変重要なことなのです。 >あなた方以外の人達があなた方ほど生命々々と言わない理由は何故なのだろうか、と言うことを明らかにすれば、今まで貴方が見えなかった側面が見えて来るのではないですか。 他の宗派については、皆「外道」を説いておりますので、それ程、 人間の内奥には、影響がありません。

回答No.1

原則としては、演算における1、ですね。 「我思うゆえに我あり」というように、全ての常識や先入観を 排除していった時に、最後に残るこの認識性、ていう。 ただし、誤解を恐れずにいえば、この場合の「認識」は、 自己の認識であって、他人の、ではありません。 その、認識性=自我仮説(時間の流れ)と相補する時空仮説 (空間の広がり)の中に射影された認識可能性としての他人 の心については、無=不確定性無限の潜在的な認識可能性 としての自己の射影に過ぎません。 ただ、「過ぎません」と書いてしまいましたが、異なる時点の 認識可能性の時系列化(プランク定数hの収束=物体収縮= 宇宙膨張)と、空間的広がりにおける認識可能性は等価であり、 その統合=自己の社会生命性の自覚化=愛は、必須であると 言えます(自己存在の本質性の自覚化の一環)。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 「我」という事でしょうか? その他にも『心』や『意識』といった言い方もします。 また、『九識心王真如の都』と言って、九識論で現され る事もあります。

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