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日本独自の宗教についての質問です。

kadowakiの回答

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.5

>現代(第二次世界大戦後)の日本社会に単一の宗教が根付かなかった理由は何だ、と思われますでしょうか? 「日本社会に単一の宗教が根付かなかった理由」を解明するには、「現代(第二次世界大戦後)」の社会事情に限るのでなく、もっと歴史を遡って考えた方が良さそうな気がします。 なぜなら、たとえば、江戸時代、明治~戦前、戦後等の各時代をそれぞれ比較しても、「単一の宗教が根付かなかった」歴史的、社会的事情となると、さほど大きな違いを見出せそうにないからです。 >「『国家神道』への信仰」が重視されていた、と思われますので この点については、逆に、戦前の国家権力があれほど徹底的な宗教的統制、露骨な国家神道への誘導をしたににもかかわらず、同時になぜキリスト教の布教や仏教への弾圧をほとんどしなかったのか?(明治維新直後の一時期を除く。)と考えた方がより興味深いとは思いませんか。 ところで、和辻哲郎『風土』は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教等の一神教が厳しい気候風土(砂漠)という条件下で生み出されたことや、日本古来の多神教(八百万神)信仰が日本の気候風土(モンスーン)が育んだ精神構造と無縁でないことを説いていますね。 また、ユング派の河合隼雄『母性社会日本の病理』は、「母性社会日本」にはそもそも強力なリーダー(父性、絶対神)を生み育てる歴史的、社会的必然性が欠落していたことを分かりやすく説明しています。 で、私としては、日本語が、公文書においてさえ、漢字(古代外来語)・ひらがな(倭語)、カタカナ(近代外来語)という3種類もの文字を平気で使い分けるという、世界でも類例のないユニークな書記言語であるという点にこそ、実は「単一の宗教が根付かなかった(根本的な)理由」が潜在しているのではないかとひそかに思っています。 たとえば、同じ大漢帝国の周縁に位置する衛星国、日本と韓国を比較しても、文字をハングルに統一した韓国の方がキリスト教徒の比率が高いというのも興味深いところです。 もしかして、日本の天皇制そのものが、ひらがな(倭語=呪術性、身体性)と漢字(中国語=政治性、観念性)とカタカナ(西洋語=模倣性、無自性)を最も典型的な形で象徴し、このことが日本の「単一の宗教が根付かなかった(根本的な)理由」と通底するのではないか、と。 その意味では、日本人が、たとえ象徴的レベルであるにせよ、原始的な呪術・祭司の長であると同時に、大漢帝国の衛星国(倭国)や擬似近代国家の政治権力の長でもある天皇を戴いている限り、どんなに信仰の自由、布教活動の自由が保障され、かつどんなに各キリスト教団が頑張っても、この日本で他国ほど信徒の数を増やすのは容易ではないような気がします。 なお、カトリック作家の遠藤周作が日本でのキリスト教弾圧を題材にした『沈黙』』は、「日本で単一の宗教が根付きにくい根本的な理由」についての、遠藤ならではの解釈を示そうとした小説と解することができるかもしれません。 なお、その点、神社では神意を映し出す《鏡》がご神体として祀られているのも興味深いですよね。 こういう日本だからこそ、唯一絶対の神を崇拝するキリスト教より、我・法の《空性》や《無自性》を説く仏教の方が抵抗なく受け入れられやすかったのではないでしょうか。

codotjtp
質問者

お礼

ベストアンサー選びの際に冷静な判断が出来ていませんでして、 失礼を致しました。 「統合の象徴」という見方を失念してはいけませんので、 関連事項をスピンオフさせましたから、もし支障が御座いませんでしたら、畏れ入りますが、下記のページでも御教授を下さいませ。 http://okwave.jp/qa/q6780739.html

codotjtp
質問者

補足

質問文の主題に即した回答を有り難う御座います。 帝から神格性が剥奪されていましても、 象徴に相応しい影響力が「天皇制」に残っている、 という可能性を見落としていました。

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