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未完成の価値と無常

島崎 信也(@zakky74)の回答

回答No.10

zakky74でございます。 諸行無常ですが、よく誤った理解をされている方を見かけるのですが・・・今日は時間がありませんので、触れませんが次回は機会がありましたら再びサムライ(若しくは気分によっては、わびさび美学)と繋げて、本来在るべき姿の諸行無常についてhetanosukeさんと語ってみたいなぁ、と。 次回を楽しみにしております。 >ありがとうございます。 >私もサムライになれるかな・・・ >素人の剣は棒がゆっくりと倒れてくるように見える・・・といったように(失礼) なれますよ。 ただし、21世紀では剣をもてませんからね(笑)。 21世紀サムライという事ですね。 21世紀サムライ、これはカッコいいですよ。 一緒にやりましょう! >大変に真面目な方でいらっしゃいますね。 >私のように無常に晒されて毒気の多い人間ではないようです。 >ご精進を期待いたします。 >ありがとうございました。 真に無常でしたら、毒気はないのではないでしょうか(笑)。無常は、本来お釈迦さまが伝えたかった無常とは違う形で伝わっているケースも非常に多い様ですよ。 その場合、無常は虚無や虚空の様な、何かはかなくなります。実際は、違うんですよね。もっとサムライですし、わびさびですし、積極的なモンですよ。無常って。 そういう意味で、主題「未完成の価値と無常」はとても面白いと思っているんです。日本らしさを感じました。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 わびさび、ですか? 一つだけ提供しておきましょう。 京都の竜安寺の石庭は、庭園芸術が写実から抽象へと変わった事においての金字塔ともいえるものですが この庭園の解釈は枯山水という、大海を模したものであるとされています。 しかし、私はもっと人間臭いものなのではないかと思っています。 それは、組まれた石の裏側に作者と思われる名前が刻まれているからです。 山水河原者という被差別民による、不浄賎民の芸術という見方もされています。 きれい「わび」、きれい「さび」という表面だけが真実ではないのです。 そこにこそ、無常と人の有り様があるようにも思えるのです。 枯山水とは、未完の可能性を限りなく秘めた芸術のように思います。 また、自然というものに対しての人の感性の極みをも示しているようにも思えるのです。 結果として、わびさびとして私達が受け取る事になつたのか、或いは最初からその意図があったのかは不明です。 作者とおぼしき名前が石に刻まれて、今もなお残っているという事実の重味こそが、作品の超自然的な表現に対しての人間らしさの証明のようでもあります。 名を残すという行為は、無常に打ち勝とうとする人間らしさでもあります。 そこに見えてくるものは・・・ この辺にしておきましょう。 おしゃべりも過ぎるとつまらなくなりますので・・・ やっぱり未完成の方が面白いようです。 ではまた。

noname#156094
質問者

補足

zakky74さんへ この質問をして良かったと思っています。(本音) それは、わび、さび、という言葉を聞く事ができたからです。 当初は私の頭の中には、その言葉がなかったのです。 無常観から人や人の作り上げたものを見るという事にこだわる余り 集約された結論というものを期待していなかったのです。(本音) たぶん、といっては失礼ですが zakky74さんの中には、未完成の完成とは侘びである、といったヒラメキがあったものと思われます。 そして、その事は正解だと思うのです。 私の見方と違う点は、zakky74さんの場合には、物事をきれいに美しく捉えようとなさっている感じです。(少し本音) 私の場合は、どちらかというと、人の心の底辺から見てみたい、という泥臭さがあります。 それは、無常の中の人の生き様を写し出してみたいという愚かな願望のようでもあります。 暗さの中にこそ真実があるという錯覚なのかもしれません。 いずれにせよ、侘び、という言葉を聞く事ができただけでも幸いです。 少し上段に構えて、竜安寺の話など持ち出してしまいましたが、隙間だらけのようです。 最後に私なりの、侘び、さび、の解釈を載せます。 侘び、とは無常の中の存在感、存在の美 さび、とは無常の重なり、重なりの美 侘び、とは未完成の完成、一瞬の美 さび、とは完成を終えた完成、時の味わい 毒気もこれぐらいにしておきましょう。 それでは、いつかまた。

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