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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:“終わりは始まり”(2))

終わりは始まり

kigurumiの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

前の質問は読んでいなくて、今回の質問がいまいち何をたずねているのかわからないのですが、、、 ぼんやりと思うことは、宗教信者にしろ信仰が無いものにしろ、「幸福でありたい」と望んでいるわけです。 今の状態に満足している人は、一握りだと思う。 その満足している人にすら「終わりがくるぞ」とか「将来年金制度が崩壊することは確実なので、もっと貯蓄するため、もっともっと働いたほうがいい」とか、脅す人がいるわけです。 決して悪気があるわけではなく、将来が不明で、先行きが良いという風に楽天的に考えず、悪くなることを想定しておいて、悪くなかったら、それはそれでよかった ってことで、リスクを常に考えて生きた方が、ダメージが少ない という助言なわけです。 で、ふと思ったのですが、ほんと頭くるのですが、銀行口座から近くの他行銀行より下すと、手数料を取られる。 そりゃ わかります。 他の銀行が私の銀行の口座から取り出して現金を渡すという仕事をするわけですから。 でも、営業時間以外に、自分の銀行の自分のお金を取り出すとき、やはり手数料を取られる。 なんで、自分のお金を引き出すのに、手数料を取られるのか。 借りるわけじゃなく自分のお金から一部取るわけです。 機械がやっているわけで、人間がやっているわけじゃないのに。 機械は年金や保険や給料やいらないのに。  ボーナスを要求して、あげないと働かないぞとストライキを起こさないのに。 なにより預けていた私のお金を引き出すのに、なんで私のお金から一部とるの? 給料の総額のうち三分の一が取られれてる。 「道路代でしょ、 小学校の授業料援助代でしょ、図書館建築費用代でしょ、健康保険でしょ、年金でしょ、所得税でしょ。住民税でしょ、市県民税でしょ、」といろんな名目で差っぴかれてしまう。 3月になると、あっちこっちできれいな道路をひっぺがして工事している。 予算が余ったから全部使わないと、来期は今期と同じくらいもれないから って。 わかりますよ きれいな道路を破壊して、また道路を舗装する仕事をする人が、その仕事があることで、給料が安定してもらえるわけですから、その人たちのために、きれいな道路をめちゃくちゃに破壊して、やり直しをする必要がある。 保険料も余ってしまうが、各人に返金したり、保険料を減らしてしまうと、また必要になっても、簡単に値上げできないから、余った保険料を返金しないわけで。 福利施設を建築して、被保険者に安く娯楽施設を利用してもらうという形で、返金をしないわけで。 で、困ったら、その2億で作った施設を10万円で売却し、2億の損額を被保険者にかぶっておらうわけで。 みんなが稼いだお金を取り、それが他の人に支払われる。 社会全体の総額は減らないから 社会はまわっている。 みんなで消費すればするほどお金は回る、貯蓄してもらっては困る、使わないと。 というわけで、将来が不安定だから投資をした方がいいといって、手数料を取るわけです。 映画にあった。 自分の口座からお金を下そうとしたら、手数料をひかれるので、最低引き出し額を満たさなくなり、残高があるのに下せない。 「なんで俺のお金なのに、引き出せないんだよ」と頭にきたわけです。 かたや銀行強盗が、銀行がみんなから盗んだ手数料を銀行から奪おうとしていた。 みんなから盗んだお金を盗まれた銀行は、それをさらに盗んだ人を泥棒呼ばわりできない。 おもしろかったです。 何度も盗んでいると、やがて気づかれるので、何度もしない というのが成功のコツ。 銀行や国は国民からずーっと盗んでおり、それに、気づいちゃったんですけど。。。かえせーー この大泥棒。 1人1人が出すことで、社会全体がうまく機能する とか言って、一人一人が税金を払わないと、結局は社会全体が活性化せず、仕事がなくなり、結局めぐりめぐって 自分が困ることになる  という理屈はわかりますよ。 だからといって 国民や他人から盗んじゃいけないですよね。 って つらつら思いました。

krya1998
質問者

お礼

 扨、新たに木胡桃さん今日は。  宗教信者というものではありませんが、私も勉強と精進はしております。  「幸福でありたい」とかどうかは日常的には考えていないんです。  不幸は困るでしょうが。  幸福とかどうとかのカテゴリーではて考えていないんです。  そういうことばでは思考も志向もしていないんです。  後は何か、いろいろ有り難う御座いました。

krya1998
質問者

補足

 此処をお借りして補足。武士の美学は死です。  担保力のある借用書は、期日までに返却できない時は、お笑い下さい。という文言です。  武士は人に笑われたら死ななければいけなかった。     ヒンドゥではバガヴァン・クリシュナとアルジュナのself-controlという領地支配はぎらぎらの照り輝くagressiveではなく、humbleでunassumingな半月の影に自己をおく。  ヒンドゥの一つの武士道です。  つまりNo.2であり、白鳥(臨在の偈では白馬)入蘆花です。  日本における忠孝は支配者側が儒教をひん曲げた悪用の社会強制です。そこでは孔子の己に忠を求めていない。  それに反し、周恩来もその意味で理想的なNo.2です。  中国の本来の孔孟はそういう武士道です。士大夫とはその教養人です。  各国に武士道はあるのですね。

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