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終わりは始まり ~60年前の卒業式~
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お礼
4、【命尽きる手前まで俳優でいて、俳優としての人生や俳優生活、俳優自体を総括する機会と時間を持ちたい】、そういう振り返りも大切ですね。 時々の初心は観世阿弥ですが、時々の振り返りも大切だし、終了したあとのこういう場面も望みたいのが人の人情かも知れませんね。 確かに【総括するためには終わらせることが必要】ではあります。そういう意味で常に終わらせ、自己と事柄を超えて客観視できるといいですね。 大変、勉強させていただきました。ありがとうございました。
補足
すみません、補足欄ってお礼欄のうえにあるのでそこから書き出させていただきます。 最初に大変素晴らしい、ご回答に心よりお礼申し上げます。 1、【目的を持ち、それを追い求める精神状態に宿るもの】を【幸福感】とする見解もありうるだろうし、幸福の一つの側面や種類ですねとだそうです。 そしてそれであるから、又、それと共に【到達できないことは成果を楽しめないということにはならない】ということもいえると存じます。 ところで私は『幸福』というタームを避けて思考し又、質問したのですが。 それにしても人や場合によっては【ゴールが見えてこない過程こそが幸福感】ということもあるでしょうね。 【ゴールが見えない】≠【ゴールがない】とは区別する事は大事ですね。 その【見えない】という状況性は多々ありますから、そこでの所論は多様になりましょうね。 【ゴールに向かっているが、そのゴールがちっとも見えてこない、ゴールに近づいていかない】であっても、確実に歩き、且つ、心を研ぎ澄ませていれば状況の変化は実感できる。 そういう状況がゴールへ向かっていることですよね。 そういう精進であればこそ、仰せのように【目的を持ち、追い求める過程における幸福感】なのでしょうね。 幸福感と充足感は違うタームでしょうし、むしろ自己の肯定が出来るという事も付加しておきたいところです。 學而時習之、不亦説(よろこばしからずや)乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍(いからず。いきどうらず。)、不亦君子乎。 正に日々精進するものの心境を尤も表していますね。 いくら儲かったを重要視する世俗・世間を脱した世界でもあり、超自己ともなっていきますね。 このように、論語を読んだことはありませんでした。【ゴールの前に学ぶべきものがまだ山ほどある】ですね。 2、求道に喜ぶ者が【満ち足りた状態に飽きるということはない】はい、その通りですね。 それは又、異端や自己的実現にもならない、堕落ですね。 3、多くの人の言葉の表現では屡々、【「ゴールがない」】と【「ゴールが見えない」】を混同することがあります。 仰せのようにこの二フレーズは【違う】でしょうね。 従ってのんべんだらりと、【「ゴール」】を目指すこともなく、従って【「ゴールがない」、或いは「ゴールを持たない」】のであれば、仰せのように【に到達点がなく、追い求める幸福感は得られない】と私も思います。 お礼欄に継続して書きます。