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宗教拡大において消滅、吸収された小宗教について。

宗教拡大において消滅、吸収された小宗教について知りたいです。 キリスト教が広がっていく中で、地方の固有宗教は邪教とされたり、吸収され土着の神は聖人とされたりしたそうです。 そういった情報を多く得たいのですが、どなたか情報源について心当たりはありませんでしょうか? HPでも、書籍でもかまわないのですが・・・。 また、これらは具体的にどの地方で起きたことなのでしょうか? こちらの情報も知り得る方法があれば、教えていただけないでしょうか?

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回答No.1

 キリスト教にせよ、仏教にせよ、他の文化に伝播するときにはそういう現象が多々あったでしょうね。  思いつくのはチベット仏教は、仏教の伝播ということもあり、それを支配の道具としようとする古代の中国の方の応援と利用があったそうですね。  その結果チベット固有の信仰を、インドの悪女の名前をつけて葬り、その要所に仏教寺院を建立したそうです。ダライラマは尊敬しているし、チベットの今を同情はしていますが。  そしていわゆる盆教とかいう日本の神道に似ているものも衰退に押しやられたそうです。  日本でも聖徳太子たちは統治に仏教の活用をしましたが、これで古来の素朴なアニミズムは習合したり、なくなったりしていったのですね。  ヨ-ロッパでもキリスト教以前にはもっと素朴な神話や信仰があったでしょう。それが習合してキリスト教自体もひん曲がったと存じます。  優れた文化、優れた知性、優れた人格は文化圏や個人の自己性とその継続性を失わせたり、忘却させないように配慮すべきだと存じます。  異文化論でそんなことを扱っている先生が居たら、もう80に突進していますが勉強に行きたいと存じます。  どうかご紹介下さい。

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回答No.3

メソポタミアのカナアンの地で信仰されていた神バールは聖書に取り込まれて、悪魔ベルゼブブになってしまっていますね。 北欧神話の美の女神フレイヤもその神格が零落し、童話のホレおばさんに姿を変えたとも言われています。 こうした具体的な話は、比較神話学や民俗学、文化人類学の棚に並んでいる本に載っていると思います。 クリスマスももともとは異教の冬至祭をキリスト教化したものです。イエス・キリストの誕生日は聖書に書かれていませんが、その降誕の際に羊飼いが訪れていますから、夜に羊の放牧が可能だった時期であったことは間違いなく、真冬となる12月はそういう意味でもあり得ないとも言われています。同じくクリスマスツリーも異教の樹木信仰から来ています。 サンタクロースも異教の歳神を原型としていると言われています。年の暮に訪れてくる神のことですね。日本だとなまはげが有名かと…なまはげとサンタ、全然別のイメージですが、原型をたどると接点が見えてくるというのも面白いんじゃないでしょうか。もともとサンタは全ての子供にプレゼントをくれたわけじゃなく、もらえるのはいい子だけでした。悪い子は鞭打ちされたり、連れ去られたり…なまはげの「悪い子はいねえがぁ~」に相通じるものがあるかもしれません。 キリスト教は布教の際に確かに異教を邪教と排斥もしましたが、根強い異教徒を取り込むために、異教の習慣を取り込んでもいます。非常に複雑ですから、ヨーロッパの祭りを一つずつ検証していくのも面白いと思いますよ。 祭りは民俗学で調べてみてください。 地域としてはメソポタミアから南欧まで広範囲にわたるだろうと思いますから、ある程度、興味のおありの地域に絞って調べた方がいいかもしれません。

  • kigurumi
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回答No.2

http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%83%BB%E4%BC%9D%E6%89%BF%E4%BA%8B%E5%85%B8%E2%80%95%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%A8%A9-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%A9-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC/dp/4469012203 学者なので、すごい詳しく調べ上げています。 本文にどの文献を参考にしたか記載されています。 「それもこれもすべてキリスト教のものに何一つオリジナルは無いじゃないか。全部盗作 あるいは借り物じゃないか」といわんばかりに、もりもり元のソースが書かれて、それだけではなく、どうして地元で信仰されたものが、キリスト教によって悪魔となってしまったかも書いてあります。 聖書より分厚いです。 時々 索引にあるページを見ても、そこに無いときがあります Orz。 英語でなんと呼ぶか考え直して英語の索引の方でひかないとヒットしなかったり、ちょっとお茶目さがある索引が巻末にある。 書かれてあるキーワードを元に巻末の索引から調べて、さらにそこに書かれたキーワードから別のページにとび  とやると、ジグソーパズルの絵が完成して時の感動を味わえます。 なんだー こんな絵だったのかー って。 要するに、元は一緒で、それが各地に分散して、カスタマイズされていき、まさかオリジナルは一緒だと知らず、自ら崇める神をも悪魔と呼び忌み嫌うようになったというパロディー。 辞典がパロディーといっているのではなく、キリスト教がパロディー。 一種のギリシャ悲劇に通じると思う。 自分の父親とも知らずに殺し、母親とも知らずに交わったオイデプスは、真実を知ったとき目を潰した。 このギリシャ悲劇並みの悲劇がキリスト教なわけで、キリスト教はオイデプスなわけです。

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