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キリスト教と聖書創世記

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.2

>純学問的見地からの質問ですので、ご存じの方は自由にご回答ください。 各派閥はこの純文学を、どのように解釈しているか ってことですよね。 大雑把ですが、アメリカのキリスト教徒(多くはプロテスタント)は、創世記の部分が真実であると信じている人は、20%くらいだそうです。 キリスト教原理主義派閥の信者がそう。 ローマカトリックの教皇ですら、創世記の部分をそのまま信じる必要は無い みたいなことを言っていた。 そういえば天地創造の部分は、古事記にも書かれているんですね。 人は物以外、アイデアも携えて移動するからだと思う。 アイデア、発想。 この言葉の語源はイデアじゃないかなって思うんですね。 何か思い付きがあって、その思い付きがどこから来たのかと思う時、<天から電波で届く> と考える人もいれば、<発想となった原型があるはずだ>と考える人もいる。 ロボットと人間って脳の仕組みがすごく似ているのですが、決定的な違いはロボットは創造ができない。 どういうことかというと、ロボットは1インプットすると、出力するときちゃんと1出力する。 人間はロボットと違う記憶システムなので、1インプットしたくても正確に記憶できず、出力(思い出すこと)も正確さに欠ける。 ところが、出力を間違うことで、新しいものを創造してしまう。アイデア。 で、創世記の部分はバビロニア捕囚以降にユダヤ人が取り込んだとうい説が有力。 エヌマ・エリシュ。バビロニアと呼ばれていた地域のニネベ図書館跡から発掘された粘土板をようやく解読すると、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が聖典としている創世記の内容だった。 バビロニアに住む人たちの祖先が作った物語だったわけです。 だから、バビロニア捕囚で知ったか、そもそもアブラハムはバビロニア地方の出身ですから、自分の民族に伝わる神話を携えて移動したので、アブラハムの子孫も同じ内容を所持していたのだと考えてもおかしくないわけです。 で、エヌマ・エリシュの研究をしている人の本を読んだことがあるが、大きな力を持つ者があたり一帯を統治しており、観劇が行われており、台本として粘土板に記録したのではないかと書いてあった。 口伝じゃなくて、物に記録することで、伝言ゲームによる歪みを防ごうとしたのではないか と。 で、ユダヤ教が聖典を作ったのが1世紀。 いくつかのバージョンがあり、その中から「これは真実だろう」と思えるものを選りすぐり正典化した。 ただし、「神のことについて書いてあるものは、たとえ内容が疑わしいものであっても、消去してはならない。」という掟があるので、別バージョンの物語は残っていた。 ところが、キリスト教は古代には今とは比べ物にならないくらいたくさんの派閥があり、ドッグレース状態だったそうです。 その中から聖典を作って「これ以外は偽書、焼き捨てろ」という命令をした派閥が、ドッグレースから抜き出てゴールのテープを切ったわけです。 しかし、神のことについて書かれているものを、燃やし滅ぼすというのはとんでもない と考えたキリスト教信者が、命令に従わず巻物を隠した。 それが2千年後に出てきたわけです。 19世紀から20世紀は発見ラッシュで、古代は今とは違い、もっと多様な考えが許されていたのだと、あらためて古代の人のおおらかさを知ることとなったわけです。 「これが聖典、これ以外を信じる奴はサタンの手下だ」という今のような恐怖政治は無かった。 (ソロモンは神殿に異教徒の偶像を設置して、異教徒がイスラエルでも参拝できるようにして商業を盛んにし栄華を極めたし。) ドッグレースで抜きん出るために、正典化した派閥は、自分たちの信じるもの以外を信じる奴は許せんと迫害して、根絶しようとしたが、それでも人は神に対する畏敬の念を潰されることなく、ひそかに隠したってわけです。 何故ひそかにしまっておかなければならなかったのかというと、そうしないと生きていけなかったから。 北朝鮮のように思想統一がものすごく、別の思想を持っていると感ずかれると、迫害されていたから。 各派閥が参加して決める会議に不都合な思想を持つ派閥は出席させないなど、ありとあらゆる汚い手が公会議で行われた。 まっ、どっちにしろ、キリスト教が信じている創世記は、キリスト教が憎んでいるバビロニアの神話なわけで。笑 アメリカは進化論を教えない学校が結構ある。 創世記を知らないキリスト教徒がたくさんいる。 アメリカの信者は日本の信者ほど、聖書には関心が無いってことですね。 だから、日本の信者の20%くらいしか信じてないんじゃないかと。

politeness
質問者

お礼

具体的な数字を含むご回答ありがとうございます。 アメリカのキリスト教徒で、創世記の部分が真実であると信じている人は、20%くらいということですね。そうしますと福音派が中心になるようですね。興味深い数字でした。 ところで、ユダヤ人の間では創世記の筆者がモーセであることについて一度も疑われたことはありませんでした。具体的には、創世記は五書のうちの最初の書、つまり、明らかにこれらはもともと「トーラー」(律法)もしくは「モーセの律法の書」と呼ばれる一冊の書でしたが、取り扱いの便宜のために後に五つに分けられました。そして、イエスもモーセがこれらの筆者であることを述べています(ルカ24:44)。なお、モーセが創世記に記録する情報を、以前から保存されてきた記録文書に見いだした可能性もあります。 いわゆる高等批評家(聖書批評家)たちは聖書の史実性や由来について様々な懐疑的な主張を展開してきたことは私たちも学んでいます。しかし、詳細は割愛しますが、考古学の進歩によって、高等批評家の主張が事実ではなく、むしろ聖書の記録が信頼できることが何度も証明されてきました。 確かに、アメリカでは南部を中心に進化論を教えていない地域もあります。しかし、進化論者も認めるとおり、進化論自体証明されたものではなく、むしろ多くの難題が存在します。進化論内部にも諸説が存在しますが、いずれも仮説にすぎません。 ご回答ありがとうございました。

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