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「見て憶える」と言う言葉が職人やアスリートの世界、他様々な場面で使われ

「見て憶える」と言う言葉が職人やアスリートの世界、他様々な場面で使われます。 この「見て憶える」という行動が、人によって憶える事が早い遅い、その人のセンスや好みなど感覚的条件(?)により同じ人間でも差が生じるのは何故なのか興味があります。 スポーツの上達が早い。仕事の憶えが良い。 「見て憶える」事が得意な人は何故得意か何が違うのか、脳のメカニズムはどうなっているのか、もしなど参考になる書籍やサイトをご存知の方、回答よろしくお願いします。

  • 科学
  • 回答数3
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phobos
  • ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.3

いろいろ考えさせられる、興味深いご質問です。 > 「見て憶える」事が得意な人は何故得意か何が違うのか 言うまでもないことですが、「見ている」だけでは何事も上達しません。 自分でも身体を使って何かを習得しようと実践しているのが前提で、その上で師匠(上手な人)のしぐさを見た中から上達のヒントをどれくらい見つけられるかに個人差があるわけです。 その違いはどこから生じるのか?を突き詰めて考えると、 ・何かを実践するたびに、対象にどう働きかけるとどういう結果が得られるかと言うことを、普段からよく観察している。 (例:職人さんなら道具の使い方と材料の性質とか、陶芸家なら陶土の配分と捏ね方や焼き具合の関係とか、スポーツ選手なら力の加減やタイミングの関係などなど) ・練習をしているときの「失敗」を糧にする。つまり、なぜ失敗したのかを分析して、次回は別のやり方をして確かめてみるという試行錯誤を、普段から意識して練習している。 ……などを心がけている人は、 師匠の巧みな技を見たときに、ただ感心しているだけに留まらず、 ・師匠の技のレベルに近づくには自分の技のどこをどう修正したり訓練したりするべきか? ということを考えながら観察することになるでしょう。 そうすると「あっ、あういうふうにすると良いのか?」と気づくことも多々あるはず。 そして次に自分で実践するときにそれを真似してみる……が、上手く行かないことの方が多いでしょうが、その失敗を元にしてさらに師匠を観察する……その積み重ねを多く行う人が「上達が早い、仕事の覚えが良い」と言うことになるのだと思われます。 なお、さらに上達の早い人というのは、「見て覚える」の中に「上手な人の成功例」だけでなく、「下手な人の失敗例」も含めているのではないでしょうか。

yokobueman
質問者

お礼

迅速かつ丁寧な回答ありがとうございます。言葉では「見る」と表現しますが、その中に観察、試行錯誤、失敗、そして吸収と大事な要素が含まれているのですね!

その他の回答 (2)

noname#119485
noname#119485
回答No.2

例えば、料理を例にしましょう。 煮たり、いためたりするとき、漫然としていれば失敗します。手早さや手順と火加減などを頭に入れた上で、なべの中の音、湯気や煙、あわ立ち、色など、何らかの違いや変化に気づくことができればうまい料理が出来るでしょう。職人を気取っている人は、何がポイントなのかを教えたがらない傾向がある。弟子を育てることがうまい人は、ポイントをきちんと指摘し会得させる。それらを把握した上で、自分なりのものを加えていけば更に上達するのでは。何も教えずに、「見て覚えろ」といって、弟子をしごいているのは、いじめに近い。

  • sotom
  • ベストアンサー率15% (698/4470)
回答No.1

イメージを自分のモノにできるかどうかですね。想像力が豊かなのでしょう。 また、鬱病のように、不要な事で脳を稼働させていないからでしょうね。 スポーツに限定すれば、体操という言葉のとおり、身体を操る事に長けているから 可能なのでしょう。トレーニングやコーチングの分野だと思いますよ。 ビギナー向けのビジネス書にも同じ事が書いているかもしれません。 脳のメカニズムというような大げさなハナシじゃなく、意識の問題でしょう。

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