• ベストアンサー

神の雫のような表現は可能でしょうか?

神の雫のような表現は可能でしょうか? ワインについて詳しく学んだ人たちは、神の雫のように、同じ表現をすることが可能なんでしょうか? 同じワインを飲んで同じ絵画を連想したり、「このワインはカシスの香りが一番強い」などと断定することは可能ですか? 気になったので、教えてください!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mouse1948
  • ベストアンサー率57% (70/121)
回答No.2

ワインの味わいや香りで、果実、たとえばカシス、ブラックベリー、ナッツ等の香り、なめし革の香りとかタバコの香り等々とか表現することは多々あります。 でも「神の雫」のように有名画家、例えばダビンチの「モナリザ」やミレーの「夕べの祈り」、モネの「日傘の女性」など、また仏像では「弥勒菩薩半跏思惟像」がワインの表現として漫画になっていること。これはあくまで漫画として読者にアピールする表現の一つと考えていいと思うのです。これは読者にとって知っているであろう有名な画家の有名な絵画をその表現のモチーフとしてることに意味があります。もしあまりにもマイナーが画家の絵画をモチーフにしても、読者の興味を喚起することはありえないからです。 これらの有名絵画がその特定のワインの表現として一般的であるとは思えません。 あくまでワイン・グルメ漫画としてストーリーの構成として楽しめばいいと思います。

kiyohacyan
質問者

お礼

なるほど~。ということは、ワインを飲んで同じ絵をイメージするのにはちょっと無理があるってことですね。 「カシスの香りが一番強い」などは、優秀なソムリエならば同じく答えることは可能と解釈していいんですね(^-^)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

noname#200949
noname#200949
回答No.1

ソムリエのコンクールではワインを当てるだけではなく、そういう表現力も求められるみたいです。田崎真也が優勝した時にもフランス語で熱く語っていました。

kiyohacyan
質問者

補足

ワインの銘柄やヴィンテージを当てるのは知っていたんですが、力のあるソムリエ(?)は、みんな同じ表現ができるのかを知りたかったんです。 説明不足ですみませんでした(>_<)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 神の雫 3巻について

    神の雫3巻の表紙に、「男たちがすなる、至福のワイン。」って書いているんですが「すなる」ってどういう意味でしょうか? 調べてみましたがわかりませんでした。気になってしかたがないので質問しました。

  • 神の雫 登場ワインのリストなど。。

    最近、ワインにはまっております。 きっかけは、ありがちですが。。テレビドラマの「神の雫」を見て漫画の存在を知り、漫画を読んでからワインがとても好きになりました。 そこで、初心者としましては、神の雫に登場するワインから知っていこうかな、と考えておりますが、そこで神の雫に登場するワインの一覧などがあればご教授いただけないかと思い、投稿させていただきました。 よろしくお願いします!

  • ワインの漫画「神の雫」の他国の場合のタイトルは?

    最近、日本のワインの漫画「神の雫」がフランスのワイン雑誌の賞を獲ったりというニュースがあってましたが、 日本以外の国でのタイトルはどんなものなんでしょうか? 色んな国の場合のものを教えて頂きたいです。<m(__)m> 特にフランスと、英語圏でのタイトルを知りたいです。 よろしくお願いします。

  • 漫画「神の雫」の主人公のようなデキャンタージュができる人

    漫画「神の雫」の主人公のようなデキャンタージュができる人 って実際いるんでしょうか? 動画も探してみたのですが、ほとんど専用の道具を使ったりしていて、 直接ボトルからあれだけ離して細くやっている人が見つかりませんでした。 自分も水でチャレンジしてみましたがとても無理です。 やはりあの技は漫画の中だけですか?

  • レバノンワインっておいしいですか?

    神の雫を見てワインにハマっています。 ワインのことを調べたらレバノンワインが歴史あると聞いたのですが、 おいしさはいかがなのでしょうか? 一度試してみたいのですが、お勧めのワイナリーとかありますか? よろしくお願いいたします。

  • ○○の神様

    日本では、何かの道を極めた人を、○○の神様と表現する事があります 例えば、ゲームの神様、釣りの神様、サッカーの神様などなど 色々な道に神様がいるので、神様は何人もいることになりまが、神様が何人もいることに対しては違和感を覚えません これは、八百万の神の考え方があるから、何人も神様がいても違和感を覚えないのでしょうか? キリスト教など、一神教の影響が強い国では、「○○の神様」という表現はしないのでしょうか?

  • 神が天地をつくったのか (表現という問題)

     神が天地をつくったのか  ◆(α)  そう表現したに過ぎないとなぜ言わないのか?  すべては表現のもんだいであるとなぜ見ないのか?   ▲ (創世記1:1-5) ~~~~~   1.初めに、神は天地を創造した。   2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。   3.神は言った。     ――光あれ。    こうして、光があった。   4.神は光を見て、良しとした。神は光と闇を分け、   5.光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕べがあり、朝があった。第一の日である。   ~~~~~~~~~  ◆(β)  《光あれ》と神が その文字どおりに 《言った》のか?   んなわけはない。時空間を超えている〔敢えて擬人法で言えば〕存在にとって 《初めに》とか《つくる》といった時間的行為がどうして必要なものか。なじまない。  ◆(γ)  光が《ある・ない》 つまり 《なかった状態からある状態に移る》ことは 時間的・経験的・相対的な現象である。  経験世界を超えている神にとって 質料(物質)の運動はその自己運動にまかせるはずである。モノの動きは 或る意味で 神としても手に負えない。(やたら奇蹟を起こすわけには行かない)。  人としても モノはその自己運動にしたがってうごいていただくように加工し誘導するよりほかない。  そもそも手に負えないことを知ることをとおしても その存在や性質を知るようになる。  あるいは 相手をうやまってこそ 人はおのれの自由を手にすることが出来る。  という当たり前のことを 神の物語――人間にとって非思考の場をわざわざ人間の言葉で表わしたもの――はかたっているのではないか。  《神が創造主である。〔よって 経験世界そして特にヒトは 被造物である〕》という表現は そういうふうに人間にとって手に負えない不自由なこととそして〔悲願としての〕自由とについての哲学をかたっている。に過ぎないのではないか?  ◆(δ)  もしこの非思考の場にわづかにでも 《のぞみ》があるとするならば それは   ▲ 5.・・・夕べがあり、朝があった。第一の日である。  と書かれたところである。その後も《第二の日》から《第六の日》まで同じ表現で書かれている。   ▲ ゆうべがあり あさがあった。  と。《光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ》ところの《夜》は世界において現象しているにもかかわらず 人は《ゆうべがあ》ってから その夜へはじつは渡されることなく そうではなく すこやかな眠りを経て《あさがあった》と知る。  その自然本性〔の動態〕において人は 夜へは渡されないというのである。   ▲ 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。  のである。《聖なる〈あまえ〉》〔としての すこやかなねむり〕。  以上の主題をめぐって 忌憚のないご見解をおしめしください。

  • 《神は有る》のみや《神は無い》のみはアホバカ教

     神は 《神は有る》なる表現も《神は無い》なる表現をも 許容する。  どちらか一つに定まったとしたら それはどちらにしても 人間が勝手にそのように神を規定し創ったに過ぎない。  あるいはつまり その人間たる人が 神は何であるかが分かったと言っていることになる。  つまりは その人は神になったか もしくは神と同等の存在になったことを意味する。  あり得ない。  あり得るのは 神をその人の人間という見方に引き下ろして来たというだけである。  《かみ》は 言葉でもあるから いかようにも想像し作文することが出来る。  《神は存在する。これを信じないのはバカだ》派も《神などはいない。いるというのは阿呆だ》派もいづれも ひとしくアホバカ教である。  人間が神になったつもりでいる。  なんで神の心が人間に分かるのか。  という問いです。

  • 《神は有る》のみや《神は無い》のみは アホバカ教

     神は 《神は有る》なる表現も《神は無い》なる表現をも 許容する。《有無や善悪を超えている》のだから。  どちらか一つに定まったとしたら それはどちらにしても 人間が勝手にそのように神を規定し創ったに過ぎない。  あるいはつまり その人間たる人が 神は何であるかが分かったと言っていることになる。  つまりは その人は神になったか もしくは神と同等の存在になったことを意味する。  ――あり得ない。  あり得るのは 神をその人自身のいだく人間という見方に引き下ろして来たというだけである。  《かみ》は 言葉でもあるから いかようにも想像し作文することが出来る。  《神は存在する。これを信じないのはバカだ》派も 《神などはいない。いるというのは阿呆だ》派もいづれも ひとしくアホバカ教である。  人間が神になったつもりでいる。  なんで神の心が人間に分かるのか。  ちっとはへりくだったら どうなのか。  という問いです。

  • 謂われのあるワイン

    最近ワインにはまってます。 いろんな人に謂われのあるようなワインを贈りたくて仕方なくなるのですが、そんなワインを教えてください。 私が現在知っているのは以下(神の雫に記載のあるもの)です。 ・シャトー シャス・スプリーン ・シャトー カロン・セギュール ・シャトー タルボ 他にも、謂われが書いてあるような本がありましたら、紹介していただきたいなと思います。