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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英語教育、高校からでは遅い?)

英語教育、高校からでは遅い?

yuu024の回答

  • yuu024
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回答No.18

ヒカルさんとお話しが盛り上がってる中で私のような若輩がしゃしゃり出るのも気後れなんですが・・・。 結論から申し上げると私は学問としての英語は平均的には中3くらいから始めるのが一番効率的だと思っています。それはなぜかと言えば、男性女性中性名詞とか多数の冠詞があるドイツ語やフランス語などに比較すると初級レベルの文法がとっつきやすい英語ではあっても、中1中2では抽象的概念を理解会得する能力が今ひとつ低く、その修得に余計な時間がかかり過ぎていると思うからです。 be動詞の文では否定文は動詞の次にnotを入れる、疑問文ではbe動詞を前に出す。さらには受動態にもその原則は適用され、それは助動詞でも同じであり、もっと言えば一般動詞の文であっても結局はそこに隠れている助動詞としてのdo(does)が同じようにnotをつけて否定文になり、文頭に出て疑問文になる。 こんな単純な構造が中1中2では理解にかなりの困難が伴うのです。 ただ簡単なSVCのbe動詞の文を疑問文否定文にするという小テストでも100点をとる子供は中1のクラスの上位数%しかいないのです。 ここで小学生が2ケタの掛け算を初めて習ったときのように練習問題を何十問も解き、数週間の時間をかけて、そしてやっと次に進むみたいな時間をかけて実施する暇があったら、中学生の大事な時期に勉強する必要あるものはもっともっとあると思っています。 ところでヒカルさんと私の考えで根本的に異なる点が2つあると思っています。 まずひとつはヒカルさんは日本に居るだけで周りの人間が自殺をするだとか、東京人はほとんどが愛の無い人間の集まりだととしかお感じにならないようで、外国人と交流することこそ素晴らしいのだとかなりの比重を感じていられるようです。 その点私は全然前提が違うのでこの点はひとまず横においておきます。 それよりも私がここで思うのはコミュニケーション・ツールとしての英会話と、学問としての英語学習の違いです。 私が常日頃疑問を感じているのが「日本の英語教育は読み書きだけは凄いが・・・」という、世間で当たり前のように言われていることです。 日本人ってそんなに文法や読み書きが達者でしょうか? 私は一応偏差値70以上の某大学に通っていますが、周りの学生を見渡しても欧米の学生と充分に渡りあえるだけの英語読み書きが出来る学生はかなりその割合が少ないと思っています。 一部できる学生はといえば、それは帰国子女であったり、かなり英語を趣味としてのめり込んでいる学生だけです。それはちょうど柔道が日本の伝統スポーツ・国技と言っても柔道がかなりのレベルで出来る学生は中高柔道部に居たなど特殊な一部の存在しか居ないのと同様です。 一部充分な英語力がある大学生も居るとはいえ、一般大学生は充分な読み書きができません。 欧米いや、中国やインドでさえエリートである大学生は、大学であたりまえのように英語で書かれた専門論文を読み込み、専門分野の能力を高めているのに、日本の学生は専門論文どころか軽いペーパーバックを読むのさえ辞書を引き引き。英語で1000ワード程度のレポートを書くという課題でさえ 「1000ワードとかマジ地獄!!」とか言っていたりします。 これは広く開かれた文化学術交流のある現代社会において、資源の無い日本の大学教育という視点から観るととても切迫した事態ではないでしょうか。 長くなったので一度締めます。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 yuu024さんもユニークなご意見をお持ちですね。 >結論から申し上げると私は学問としての英語は平均的には中3くらいから始めるのが一番効率的だと思っています。 ただ、中3と言うのが半端ですね。高校からでも大した差はないと思いますが。 >それはなぜかと言えば、男性女性中性名詞とか多数の冠詞があるドイツ語やフランス語などに比較すると初級レベルの文法がとっつきやすい英語ではあっても、中1中2では抽象的概念を理解会得する能力が今ひとつ低く、その修得に余計な時間がかかり過ぎていると思うからです。 確かにそうですね。例えば次の文です。 Hell, if I had a bit more money, I could buy that game. とある少年が玩具屋に行って、ゲームが欲しくなったんですが、手持ちの小遣い銭では足りなくて、悔しい気持ちを呟いているシチュエーションが目に浮かぶことと思います。内容的には日常的で何の変哲もない文です。ところが、この構文は高校に入らないと習いません。それまでに、間投詞、主語、他動詞、副詞、直接目的語、指示代名詞、過去形、比較級、助動詞、条件節、帰結説、仮定法という観念を一つ一つ段階を踏んで理解しなければなりませんね。 >欧米いや、中国やインドでさえエリートである大学生は、大学であたりまえのように英語で書かれた専門論文を読み込み、専門分野の能力を高めているのに、日本の学生は専門論文どころか軽いペーパーバックを読むのさえ辞書を引き引き。英語で1000ワード程度のレポートを書くという課題でさえ 「1000ワードとかマジ地獄!!」とか言っていたりします。 中国やインドとは一緒に出来ません。中国やインドでは大学に進学するのは一握りの学力の高い人たちだけなので、底辺の生徒でさえ 日本の偏差値に換算したら80以上はあるんじゃないでしょうか? それでも、人口が日本の10倍もいるので、絶対数では日本と引けを取らないでしょうから、余計にそう感じるのもあるでしょう。

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