道に関する俳句と詩の疑問
- 芭蕉の俳句「この道や行く人なく秋の暮」は有名ですが、他にも道に関する俳句はあるのでしょうか?
- 芭蕉以外にも道に関連する俳句や詩、辞世や偈などは存在するのでしょうか?高村光太郎の詩「僕の前に道はない、僕の後に道ができる」も知られています。
- 道という言葉が出てくる俳句や歌についての情報を教えていただきたいです。
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道
道ということばの出てくる俳句が、芭蕉に幾つかあったかのように記憶しております。 1. “この道や行く人なく秋の暮”これで正しかったでしょうか? 2. このほかに道ということばの出てくる俳句はなかったでしょうか? 3. 或いは芭蕉以外に道ということばの出てくる、俳句や歌、そのた辞世や偈などはなかったでしょうか? (高村光太郎に、『僕の前に道はない、僕の後に道ができる』という詩があることだけは存じているのですが) http://ko-suke.cocolog-nifty.com/podcast/2007/02/post_bf81.html どうかよろしくお願い申しあげます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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まず俳句から、路(じ)でもいいですか。 山路きて 何やら ゆかし すみれ草 松尾芭蕉 街道を キチキチととぶ ばったかな 村上鬼城 箱根路を わが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ 源実朝 親馬の 道をいそげば きりにぬれて 子馬も走る いななきながら 橋田東声 葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり 釋超空
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暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ どの様な回答を付けますか・・? 回答案を示してみてください・・! ---- (高村光太郎 「道程」 より) 黙って刃物を研いでいる ・・・1 もう日が傾くのにまだ研いでゐる ・・・2 裏刃とおもてをぴったり押して ・・・3 研水をかへては又研いでゐる ・・・4 何をいったい作るつもりか、 ・・・5 そんなことさへ知らないやうに、 ・・・6 一瞬の気を眉間にあつめて ・・・7 青葉のかげで刃物を研ぐ人。 ・・・8 この人の袖は次第にやぶれ、 ・・・9 この人の口ひげは白くなる。 ・・・10 憤りか必至か____か、 ・・・11 この人はただ途方もなく ・・・12 無限級数を追ってゐるのか。 ・・・13 ------------------------------------------------ 問1. 下線部に入れるのに最も適切な言葉は? ア)悲嘆 イ)無心 ウ)偶然 エ)哀惜 オ)邪念 問2. この詩の主点となっている行(1~13)を一つ選んで番号で・・ 問3-1. 全体として何をうたったものか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)研ぎつづける人 イ)永遠の時間 ウ)ゆるぎない信念 エ)労働のはげしさ オ)下町情緒 問3-2. それをどんなふうにうたったか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)説明的 イ)理知的 ウ)象徴的 エ)絵画的 オ)暗示的 問4. この詩を読んでどの様な感じを受けるか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)憤りをこめ、いらだった感じ。 イ)さわやかな、新鮮な感じ。 ウ)きびしい精神力を秘めた、静かな感じ。 エ)けだるく、無気力な感じ。 問5. 無限のおもいをこめて研がれるのは何か、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)刃物 イ)作者の技能 ウ)作者の錆びた心 エ)作者の憤怒の心 オ)作者の芸術意欲
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お礼
道、タオ検索したり先人の著書を拝読しましたが、無為自然もこの名なしということも、本当にご理解されていないか、ご披瀝が在りません。全部削除して、図書も不要としました。 失礼ながらよくネットに乗せるものだと存じました。所詮、こういうのは本当に知り、波長の合う方に出会うしかないようです。 村上鬼城の句は私たちはこの綾瀬川や荒川土手で馴染みの経験です。 実朝ゆかりの桜も倒れ、どこも開発が進み、寂しい限りです。 釋超空って、確か民俗学であの柳田のお弟子さんでもあったかのようですね。ちょいと独特の文章は独特の回路のようです。でもよく判る句ですね。 東声は何か母子の馬に注がれているまなざしが見えてきます。 ありがとう御座いました。
補足
SPS700さん、いつもありがとう御座います。 結構あるものですね。高村光太郎や北原白秋の詩は存じておりましたが、俳句や和歌は私たちの心性に食い込む短かく、リズムで開いてくれますね。下村湖人の“大いなる道というもの世にありと思う心は未だも消えず”は、和歌というより心境叙述みたいですが、55年も前はとても新鮮でした。 哲学カテにはほとほと失望したのですが、http://gtubo.gpoint.co.jp/qa5160918.htmlへの投稿は続けています。 19, 56, 63, 64に投稿していますが、最後の二つを投稿するときに、ところで和歌や俳句では“道”はどのようにうたわれているかを、思い出そうとしたのです。 第一にはやはり芭蕉でしたね。 正しくは、“この道やゆく人なしに秋の暮れ”だそうです。 その他に、“人声やこの道帰る秋の暮”というのもあるそうですね。 お礼欄へ