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唯物論

唯物論 来年度受験予定の高校2年生です。 世界史でどうしてもわからないところを質問させてください。 17~18世紀の文化のところです。 哲学ででてくる「唯物論」って何ですか? わかりやすい言葉で教えていただけたら嬉しいです。 出来れば例などがあればとても助かります。 ここで躓いてしまって、先に進めません。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.5

 こんにちは。  図式的な早わかりです。  唯物論あるいは唯心論というのは 究極のものを物質あるいは精神(心)だと想定して唱えるヨーロッパ人の持った世界観です。  鍵語は つぎのごとくです。  ○ 形式と内容 / 形相と質料 / 精神(第一形相)と物質(第一質料)  1. わたしの顔が丸いとすると その《丸い》が 《形 式( eidos / form )》 で 顔の素材が 《質 料( hyre / matter )》 です。このときには ひとの顔ですから 《形式と質料》は一体となっています。形式と一体となった質料は 《内 容( content )》とも呼びます。  2. 家の場合 その骨格が形式で 建築材が質料です。この場合も 両者は一体ですが 設計図と建築材料とを分けて捉えることができます。  3. そこで そのように分けて捉えたところの形式を 《形 相(エイドス / フォルム )》 と呼び 質料は そのまま《質料(ヒュレー / マター)》と呼びます。  4. 一般に世界観は 《質料‐形相》の理論ないし体系として表現されます。  5. かれらは この《質料‐形相》から成る世界を その根源にまで突き詰めて行こうとしましたし じっさいその究極の原理を仮説として明らかにしました。  6. すべてを端折って言うならば ここで二つの仮説理論に分かれます。  7. ひとつは 質料を持たぬ形相 言いかえれば《第 一 形 相》 すなわちその意味での精神ないし《世 界 精 神》 これが 宇宙の根源であるとする説で いわゆる《唯 心 論( spiritualism; idealism )》です。  8. もうひとつは その対極で 形相を持たぬ質料 言いかえると 第一質料 つまりはその意味での《物 質( matter )》 これを根源だと想定する立ち場が 《唯 物 論( materialism )》です。  9. したがって 唯物論における《物質》は げんみつには質料ではないわけです。モノではありません。言ってみれば 質料のお化け つまりモノのケです。  10. つまり 或る種の仕方で唯物論も 観念論なのです。きわめてのかたちで形而上学として出発しています。私的所有の廃止だとか拝金主義の排斥だとかそういう主張とは 直截にはつながりません。  ただしその立脚点は 系譜として質料というモノないしその観点になりますから 一般にモノとしてもその平等を訴えます。  11. それに対して 唯心論は どうでしょう? だいたい精神のあり方のほうを第一にとうとぶということのようですが お任せすることにしましょう。  12. ここでは 究極のものを 世界精神とするにしろ物質とするにしろ それでは これらと所謂《神》とはどう違うのか? という主題も持ち上がるはずです。  13. 物質根源論にしても もしそれが精神による観念論であることに甘んじることを嫌うのならば けっきょくその《物質》というものは 《神》と同等のなぞだと捉えてよいと考えられます。  14. 唯心論の《第一形相》も 想像の産物としてのイデア(観念)であるのではないと言うのならば 同じく《神》のことなのです。  15. つまり 唯心論と唯物論とは かたちや表現を替えた有神論と無神論とだと言ってもいいのではないでしょうか? しかも 無神論は もし悪しき唯物(ただもの)論でないならば 有神論と同じ非思考つまり信仰の形態であるとなります。

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.4

「唯物論」と「観念論」:世界は何でできているか? 「唯物論」では、世界は物質からできている、と考えます。 「観念論」では、世界は意識(観念)からできている、と考えます。 世界は、どのように存在しているか? 運動、変化、生成、発展、消滅を繰り返しながら存在している:「弁証法」 変化しない、変化しても、同じことの繰り返し:「機械論」 17世紀というと、ニュートン力学で力学的世界観(機械的唯物論)のところでしょうか?

回答No.3

1.「全ての根底にあるものが物(もの)のみ」であり、「それのみで説明できる」という概念になるでしょう。 「物(もの)」のみを対象に、「理論」を構築し、説明しようとするのは、まさに「物・理」です。 すなわち、「全ては物理学で扱いうる」という概念が「唯物論」といって過言ではありません。 でも、それだけでは説明不可能な「こと」があると思う人々もいるわけです。そういった人々の考え方も、 2.物理だけで説明不可能な「こと」の根底に「何か」がある(存在する)という考え方。 と、 3.その、「何か」こそが根本であって、「物」もその「何か」にて構成されているという考え方。 があります。 「2」は、二元論(根底に二つの元がある)であり、「1」と「3」は一元論(根底に一つの元がある)とされています。 以上は基本的な捉え方になるでしょうが、実際には様々な考え方があるようです。 参考: 一元論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%85%83%E8%AB%96 二元論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 唯物論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96

noname#131234
noname#131234
回答No.2

長文です。 序 集約的に定言すると 「唯物論」とは、 相対論を前提とする主観的宇宙論です。 第一部 唯物論は、アラブ系逍遥学派の堕落として、成立しました。 物理の永遠を無限と取り違え、質料が有限であると勘違いしたことがきっかけです。 アラブ神学(Mutakalimun)の哲学的大前提を読まずにアリストテレス翻訳が進んだ結果、ヨーロッパ(とくにギリシャ語が不得意な人の住むフランス)に広がることになったようです。 人的センサーを通じた同期フィルタ機能の副産物であるアラッド(arad表象的プロパティ・英語ではaccidentと誤訳されています。)を、永遠性と切り離すことで、「物理と精神を切り離すことに成功」したと信じる人たちが考え出した「幻」です。具体的に、アラッドの内容は、色・味・動きとしてのモーメント・停止感などです。 アラッドは、存在の根底と、副次的関係にある現象的表徴です。アラッドの偶然的コンビネーションは、観察者の感性フィルタを受容者として、湧き上がる受動的仮象であり、対象としての物自体に直接影響を与えることが出来ない波=リズムであるということです。アラッドは、存在や定義に働きかけて実態的作用を及ぼせない(更に実態・実体的把握も不可能)ともいえます。 ユダヤ系カリム神学者のサーディアの言葉をかりるとすると、唯物論者が、どんなに背伸びをしても、理解・説明・体験できない知識内容は、「精神は、アラッド=仮象ではなく、知恵・歓喜・愛が実態的側面として存在する」という事実です。 すなわち、知恵・歓喜・愛が、「他人からの恵み」であるという考え方は、唯物論的であるといいかえることも出来るでしょう。 18世紀、啓蒙時代の唯物論を説明すると、 一番ひどいのは、衣料製造職人の子息ラ・メトリ。デカルトの機械論(IQ不足のかわいそうな著作)をお手本にしてしまっているからです。霊魂を否定し、人間機械論を発表したことで有名です。彼のガチ!無知理論は、「足は歩く筋肉であり、脳は、考える筋肉である」というものです。脳筋という考え方が非常に現代的であるということがうかがえます。1742年以降、軍医として実戦に参加。チョキチョキチョッキンチョッキンなのプロとして大活躍。チョットまずい性癖があり、彼が、その道のクロウトの方と結婚しているというのも有名な話です。 哲学者を名乗る経済学者(アキンド)の典型ともいえるのは、ドルバッハ。貴族の特権に猛反対した下級貴族。「キリスト教毒舌暴露」「臭い神父はうつる!」というセンセーショナルな本で売名効果を上げたジャーナリスト兼翻訳者でもある方。 著書「自然学体系」では、ややまじめに、「自然は独自のダイナミズムで発展する」という、アリストテレス(仏語浅読)的無神論・自然機械論・決定論的運命論を展開、出版。出版の目的は神の存在証明に対する批判。 この本の中で、「この世に存在するのは、キリスト教的神をなんとなく信じている人たち=恐れおののく下層民・思考停止の愚民・昔はよかったという老いぼれたち=オバカサンたちだけでアル!」とものべた。ラプラース的無神論を受け入れる世論土壌を固めた典型的OX主義者。 神は存在しない!神なんか信じちゃダメ!人間貧乏人じゃなきゃいけません!と唱えながら、革命に参加し 死んでしまいました。「神は しんだの伝統」を踏襲する、ある意味面白い人www。 ラプラースも代表者です。ご自分でお調べください。 第二部 (宗教にorで いじめられた方へ) 唯物主義とは 法律(組織約定)的には、「彼女」を自分の家財に内蔵して、 カモフラージュし、 次の武力蜂起(テロ)に備える残党たちの回顧旋律です。 日本人の唯物論は、 うれひ に満ちた闇の中で、 願いと祈りを感じながらも、 祈る力のない自分を無視しながら、 「答えは、常に相対的なものだ」と ふれまわる呪いのかかった主観的呪文体系のことです。 宗教がいじめているのではなく あなたを含めた「ひとそのもの」が、いじめているのです。

8yukicchi8
質問者

お礼

お礼が遅くなってすいません。 たくさん書いてくださってありがとうございます。 頑張って読んでみたのですが、私の理解力では混乱してばかりでイメージがつきません。 もっと勉強してから読み返して、きちんと回答下さった事を理解したいと思います。 ありがとうございました。

noname#136007
noname#136007
回答No.1

  さっきの演繹法でもそうだけど・・・ 何で、ネット(wiki等)で、検索しないの? 分かりやすい説明が、いくらでも出てくるよ。  

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