解決済みの質問
封建制の始まりは、西欧圏が、末期のメロヴィング朝やカロリング朝によって、
ようやくはっきりと姿をあらわし始めた7世紀から8世紀頃のようです。
終わりは、地域によって異なるし、「中世封建制」と仰る「中世」の定義にもよります。
というのも封建制自体は、ドイツやイタリアでは、なんと19世紀まで続くからです。
どちらも非常に中世的なシステムを濃厚に引き継いでいますが、中世自体は少なくとも
西欧では終わっています。
封建制の終わりは、基本的には中央集権、つまり、数多存在した封建領主による
権力の拡散状態から、一つの中心に権力が集中したことによります。そして、
統一国家が形成されていくのですね。領主の権力が弱まり、他に集中したこと
の理由は No.2 の方が挙げている理由の最初の二つです。中世から近世に
かけてというのは、逆に身分制度が決定的に固まった時期で、「身分制度の崩壊」
とは言えないでしょう。「身分制度の崩壊」は、18世紀末から19世紀、産業革命と
市民革命の時代です。
中央集権自体は、フランスでは13世紀にすでに始まっています。16世紀のイタリア
の凋落というのは、主に、イタリア外で中央集権国家が形成されたためですから、
この時期には、フランスやスペインなどでは、完全な王政国家が生まれていたわけです。
それと、「ウェストファリア条約」は全く関係ないでしょう。逆に、この条約によって、
ドイツのその後の封建制の持続が決定付けられたわけですしね。この条約
の時代である17世紀というのは、中央集権の究極の形である絶対王政の時代
ですから、これはナンセンスです。
投稿日時 - 2003-05-18 01:01:18
お礼
とても詳しくお答え頂き、ありがとうございました。
いろんな原因があって、封建制度の崩壊に結びついていったのですね。国によってもそれぞれだと、よく分かりました(^-^!
投稿日時 - 2003-05-18 11:19:24
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ベストアンサー以外の回答(5件中 1~5件目)
えーと、No.4 ですけど、No.2 の方は本当に専門家の方でしょうか・・
私は、特にルネサンスという時代を専心しているのですが、ルネサンスを中世と近代の
混交状態と見るのは常識で、また、中にはルネサンスを中世の終わりと考える学者
(少数派)もいますが、17世紀・18世紀、デカルトやニュートンの時代を中世と考える学説
なんて聞いたことがないです、はい。
ルネサンス人による、古代/中世/近代(正確に言えば、古代/中間の時代/現代)
などという歴史の3分割は、すで19世紀末の歴史学で克服されています。
現在では、かつては「近代 modern」と呼ばれていた15~18世紀頃を、中世とも異なり、
また現代と直接に繋がる時代概念である「近代」とも区別して、「近世 early modern」
と考えるのが常識だと思いますが。あなたの仰る「中世の終焉」は、「近世の終焉」
のことでしょう。参照: http://www.bartleby.com/67/toc4.html#s4.2
>封建制が崩壊したと見られる市民革命期までを中世
封建制が市民革命で崩壊した仰いますが、これは完全に崩壊した時代であって、
システム上、絶対王政が地方貴族を残さなければやっていけないからです。
絶対王政の時代まで、封建制度の時代と捉えている本を読んだことがありません。
なぜなら、正しく中央集権と絶対王政が、中世的封建主義の対概念だからです。
封建制の完全な崩壊の年代を求めれば、ドイツでは19世紀中葉、ロシアでは20世紀
初頭ですよ。まさか、ドストイェフスキーやチャイコフスキーはおろか、スクリャービン
やストラヴィンスキー、カンディンスキーを中世の藝術家とはお考えではないでしょう!
それと、もう一つ。中世・近世・近代という時代概念は、単なる政治形態の区分
ではありません。思考・感情・行動様式、それから思想・文化・経済機構、これと
政治形態を加えて、考えられる概念です。例えば、ドイツやイタリアでは封建制は
残りますけど、文化は完全に中世から脱しています。レオナルドやアリオスト、
ガリレオから、ティエポロやカナレット、ルターやケプラーからカント、J.S.バッハ、
ゲーテまで、誰が考えたって中世じゃないでしょう。
すでに克服されたところも多いのですが、ホイジンガの「中世の秋」を読んでください。
「中世」がどういったものかわかりますから。
投稿日時 - 2003-05-18 18:42:15
お礼
再びありがとうございました!(^-^
参考にさせていただきます★
投稿日時 - 2003-06-15 01:16:02
#4の方のようなご意見をお待ちしておりました・・
といいますのは、私は中世の終焉を、まさに市民革命・産業革命の時代におきたいと考えているからです。
高校教科書などにおける時代区分ではルネサンス以降を近代としますが、これは実はルネサンス期の人々が自分たちの時代を誇るべく言い出したことです。東方貿易とビザンツ帝国の崩壊をきっかけとしてギリシア・ローマの栄光を発見したイタリア人たちは、自らをその文化の再生(ルネサンス)者と考えたわけですが、その間(古典ローマ期と彼ら自身の現代)に挟まれた時期を中世と呼んだわけです。
ですから、中世と封建制とはイコールには繋がらないことは承知の上で、私は封建制が崩壊したと見られる市民革命期までを中世と考えています。
投稿日時 - 2003-05-18 06:19:14
お礼
再びお答え頂きありがとうございました!!
人の考え方によっても、とらえ方が違ってくるのでしょうか。なかなか難しいですね(^^;;
がんばってまとめてみます(^^
投稿日時 - 2003-05-18 11:21:45
始まりははっきりしないでしょう。というより実証できないと思います。ちゃんとした歴史が残っていないからです。ローマ帝国が崩壊してから、ゴート帝国が出来たとされる810年まで歴史らしい歴史はありませんし、それすら確証できるものではないでしょう。しかしこの間に中世を特徴ずける荘園や宗教的権威が作られていったことだけは間違いないと思います。終わりはウエストファリア条約によって主権国家が確立したときであり、1648年のことです。これによって法王の宗教的権力や皇帝による国をこえた世俗的権力から国家が独立し、排他的な主権が成立したわけです。
投稿日時 - 2003-05-17 21:06:29
お礼
まだまだハッキリしていない部分も多いのですね!
ちゃんとした記録も残っていないんですか(・・;
やはり昔のことですもんね。
回答ありがとうございました!
投稿日時 - 2003-05-18 11:16:03
ヨーロッパ中世封建時代についてですが、中世という時代をどのように捉えるかで答えは変わってきます。しかしながら、高校教科書レベルで答えますと、西ローマ帝国の滅亡(476年)からルネサンス(14~16世紀)までです。
中世の崩壊過程ですが、これも結局は上に述べたように「中世」をどう理解するかの問題となってしまいます。一般的には以下のような要因で封建制が崩壊して近代化されていくとされますが、実際には地域によりその年代が異なっている(イギリスやフランスは早いがドイツ・ロシアでは遅いなど)ためになんとも言えません。
1.都市と商業の発達による領主層の没落
2.荘園制の崩壊
3.身分制度の崩壊
簡単で申し訳ありませんが、下のURLを参考にしてください。
参考URL:http://www.geocities.jp/timeway/index.html
投稿日時 - 2003-05-17 20:01:27
お礼
回答ありがとうございました。
やはり、とても長い間続いていたのですね~(^^;;
崩壊過程についても、詳しく教えていただきありがとうございました!
HPも参考にします(^^
投稿日時 - 2003-05-18 11:12:21