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人間の精神は進歩しているのか?

noname#97440の回答

noname#97440
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回答No.8

哲学に親しみが無く場違いかと存じますが、思うところがありますので参加させてください。 また、上手くまとめられず、長文になってしまったことをお詫びいたします。 1.時代と共に後退したのではないかと思える点 これは、近代と比べてということで見解をまとめたいと思います。 以前、新聞のコラムで読んだことですが、現代人の精神年齢は幕末や明治維新の頃の人よりも幼くて、実年齢×0.7に相当すると言われているとか。 つまり、現代人は二十歳の人で、当時の十四歳相当の精神年齢になるという計算です。 現代は知識は容易に触れる機会があるけれど、当時に比べると人生はある程度レールが敷かれており、打破する活気や気力も少なく、経験的に身に付く機会は少ないのではないかと妙に納得したものです。 10年ほど前の話になりますが、訪れた先の薬局の店員が私に話したことです。 「今の中高生は大人よ。私たちの時代とは違うの。避妊具を自分で買いに来るんだからね」 「そうですか? 逆じゃないですか?」 と、私は反論したかったのですが言葉を飲みました。 私はただの通りすがりの客だし、店員は学生達が自分の体の管理が出来ているという意味で大人だと言ったのでしょうから。 私としては、自分で働いて自活する見通しもないのに、そちらの方面の知識が付くことを大人というのだろうか?と甚だ疑問でした。 「興味本位で、妊娠さえしなければ良いだろうというのが大人と言えるのか? 親から貰った小遣いを、内緒で そんなことに使うのが大人なんだろうか? 年齢的に必要のないことを自制できないから、道具に頼るのが果たして大人だと言えるのか?」 突っ込むと長い議論になりそうなので、その場は二言三言会話して終わりました。その辺の見解は人それぞれ違うのは分かります。でも、 「自分の面倒を見られないのに、関心だけはあるというのは大人というのか?」 と言うのが、私の率直な意見です。 性の意識に関しては、精神は後退している感を否めません。 いざとなったら、堕胎というのは安易に思えるからです。 育てられないのに産む方が無責任ですが、一時の感情に流されるよりも、自制心の方が大事ではないかと。 性に限らず、医療、電化製品、交通手段など様々な技術が進んだ分、欲しい物が直ぐ手に入るので、現代人の自制心は極端に落ちたのではないかと思います。 自制心がなくなると、依存心が強くなり、精神的な後退が進むのではないかと懸念しています。 2.昔と変わっていないと思える点 古代オリエントのシュメール人の神話として『ギルガメシュ叙事詩』が粘土板に断片的に残されていますが、これらを現代語訳にした書物を読んで思ったことですが、万能で容姿端麗な半神半人の若き王、ギルガメシュであってさえ、自分と同等の能力を持つエンキドゥと出会うまでは、自分の能力を生かし切れず暴君で悪行に耽り、民衆を苦しめていました。 元々エンキドゥは、圧政に苦しむ民衆を救うために、神々がギルガメシュを懲らしめるために作り出した獣人です。 しかし、危機を察知したギルガメシュが差し向けた娼婦によって、エンキドゥは骨抜きになり、完全に心も体も人になってしまいます。 ギルガメシュと闘う前に、エンキドゥは生まれながらに持っていた野獣の力を失い、足腰が弱り、獣のように素早く走ることも叶わなくなってしまったのですが、同時に人の心、理性を得ることが出来たのです。 ギルガメシュは、エンキドゥを倒そうと考えて有利に事を運ぼうと策を講じたのに、それが裏目に出て、自分にとっての親友を作り出すことになったのです。 二人は格闘の中で友情を深めることになったのです。 エンキドゥと出会ってからは、冷酷であったギルガメシュもまた人らしい感情が芽生え、良政を行う国民からも愛される王になるのですが、治安のために出かけた遠征先でエンキドゥが呪われて病死します。 それまでは、無敵のごとく思っていたギルガメシュも大切な人を失う「喪失感」や「死の恐怖」に取り憑かれてしまいます。 分かりやすく言うと、『ギルガメシュ叙事詩』は性と生の問題も絡ませて、『あしたのジョー』を古代人の視点から哲学的に著したものだと言えると思います。 エンキドゥを喪ってからのギルガメシュの悲嘆と恐怖心は、現代人と変わらないものだと思います。 野に在ったエンキドゥが人に変わっていく描写も、冷酷なギルガメシュが人になっていく様子からも、古代オリエントの時代から人の本質は変わらないように思えます。 また、秦の始皇帝がそうであったように、ギルガメシュも不老不死を求め旅に出るのですが、失敗に終わり、人のように死んでいきます。 彼は悲嘆と共に、人は誰もが死んでいくという運命を受け入れたのです。 古代から人は、孤独や生、病、死と闘ってきました。 そういった点では、現代と何も変わっていません。 寿命は延ばせても、克服には至りません。 そして、物事は人の思惑通りには良きにつけ悪しきにつけ進まないということや、様々な事柄に対して感じる矛盾や後悔も、何一つ今と変わっていないと思います。 次の言葉は、シュルッパク(メソポタミアの古都と伝承されている)が神々の手によって沈められてしまったことを後悔して、女神イシュタルが泣き叫んだときのものです。 『古き日々は、みよ、粘土に帰してしまった 私が神々の集いで禍事を口にしたからだ なぜ神々の集いで禍事を口にしたのだろう 私の人間たちを滅ぼす戦いを言い出したのだろう この私こそ人間たちを生み出したも者であるのに 魚の卵のように彼らは海に満ち満ちたのに』 ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫 訳 / ちくま学芸文庫 より〉 3.進歩している? 可能性は未知数ですが、歴史は繰り返すと言われる通り、人間の精神も衰退を繰り返してきたのではないかと思います。 文字が誕生してから膨大な歴史資料も誕生したのですが、これを生かし切れるほど人間の精神が育つのは難しいと思います。 精神面が成長してこそ人生そのものの質が良くるのだと思いますが、人は目に見えない物よりも見える物の方が分かりやすく、親も子供には苦労を掛けたくはないので自分が築いた物質的な財産を子供に分け与えますが、物を受け取ることは容易であっても、その物質を生み出すに至った歴史や精神まで学び取るのは難しいのではないかと思います。 経験無くして最初から便利なことを知っていると、あって当たり前と人は思ってしまいがちです。 先ほども感想を述べましたが、『ギルガメシュ叙事詩』の大きなテーマの一つとして、コミュニケーションが挙げられると思います。 物語では、冷酷な暴君ギルガメシュを理解できた初めての人間がエンキドゥでした。そして、エンキドゥもまた、初めは人間ではありませんでした。 生まれたときの姿は、まるで似ていない二人であったけれど、ギルガメシュに人間の心を吹き込んだのはエンキドゥで、エンキドゥを人間にしたのもギルガメシュでした。 二人は少しずつ近づいて、完全に理解し合うことが出来ました。 お互いに、最初から何もかも分かった気になっていなかったのが良かったのかもしれません。 元々、二人は仲良しになろうと意図していたことなど何もなく、お互いを倒すことが目的でした。 お互いを理解するに至ったのは、二人の力が釣り合っていたことも大きなポイントですが、一足飛びに分かり合おうと無茶をしなかったことが良かったのかもしれません。 あまりに資料を頭に詰め込みすぎると、何もかも分かった様な、まるで経験したような気になってしまうので、それも良くないのではないかと思います。 先にシミュレーションして、それを過信しているとマニュアル人間になってしまい、精神の進歩を妨げる事になりかねないと思います。

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