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人間は愚かか?

皆さんこんにちは。 「無限なものは二つあります。宇宙と人間の愚かさ。 前者については断言できませんが」アインシュタイン これだけ科学を進歩させ、文明を築いた人間は本当に 愚かなのでしょうか? ちなみに僕は、商売をしていたのですが、女とギャンブルに うつつをぬかし、そのため店は倒れて、嫁もいなくなりました。 僕だけに限って言えば愚かだと思います。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#99640
noname#99640
回答No.7

追伸。 愚かさは自分につける灰色の勲章 賢さを横目で見ながら付ける光無き勲章 気付けば胸に幾つもある勲章 握り締めれば雫の落ちし勲章 灰色の数だけ時は流れて 今は誰も振り向きもしない勲章 確かめて付けては外し、そっと仕舞い込むもの もう、いいのだから 愚かだと言うのは止めよう 自分を責めるのは止めよう 分かったのだから 賢さも愚かさも・・・ 前を向いて 賢くは無いが、進んでいくしかないのだから 踏み出すことを恐れずに、愚かだと思わずに・・・・・。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 再度の回答恐れ入ります。 たいへん参考にさせていただきます。

その他の回答 (11)

回答No.12

 とりあえず、回答をしなければ(怒られてしまう)。  ハイ、人間は愚かです。でも、賢くもあります。    独り言をいいたくて回答してしまいました。  これまでの回答では好み的に、hsq1224さんです。  回答が詩になっていて、しかも本質を捉えています。  押し付けがましくもありませんし、考えさせられてしまいます。  問題は、「美しい愚かさの憧れは新しい時の始まり」です。  読む人がこれをどう受け止めるか。ちょっと難しいかも。  私はこの心を、向上心と受け止めました。  hsq1224さんの二度目の回答で、やさしさに触れてください。                   独り言(哲学「カテ」は面白い、いや楽しい)

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。 ありがとうございました。

回答No.11

愚かしさを持たない人間はいないでしょう。。。 愚かしさを自覚しつつ改めることのない人間は、自分自身に向き合うことを恐れているのでしょう。。。それゆえ、墜ちきってはいないのでしょう。。。 愚かしさを自覚することなくくり返す人間は、思考能力を失っているのでしょう。。。それゆえ、墜ちきってはいないのでしょう。。。 愚かしさを自覚して改めようとする人間は、ようやく堕落論の範疇に捉えられることでしょう。。。 「堕落論」坂口安吾 >>> http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html 歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は実に唯一の不思議である。六十七十の将軍達が切腹もせず轡(くつわ)を並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。 (中略) 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。  人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。  戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。 (中略) 他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。 <<<

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 面白そうな本ですね。 今度時間があるときに図書館で探してみます。 堕ちて目覚める。というような感じですね。 ありがとうございました。

noname#98440
noname#98440
回答No.10

愚者は、キリスト教に有る「7つの大罪」に当たる者。 それを、完全に超越した者が「賢者」と成る。 自分が愚か者だと気付ける内は、華と成り救いが有る。 気付かず歩み続けるならば、救いようがなく、ただ枯れ行くだけの「木」のような存在にして、最後は塵芥に成る。 そこに存在したかさえも、分からない状態と成る。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりです。 わが身を振り返り、たまに反省することも 必要なのでしょうね。

noname#131234
noname#131234
回答No.9

いなくなるひとこそ おろかではない人。 アインシュタインの人間の定義は、一面的です。 人間の50%にも当てはまりません。 (受動的無限増殖「Physis」と言う意味で使っているのですよ…)

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。 人間の一部分だけみて、愚かだと言っているのかも しれません。 人間は立派なところもあるでしょうし。 ありがとうございました。

回答No.8

「愚か」というのは、相対評価ですが、 残念ながら、人類がコミュニケートできる範囲に、 人類以上の認識力を持った生命は存在しないので、 「愚か」とは言えません‥‥ただし、同様の理由で、 「賢い」とも言えませんが。 ただ、唯一比較できるのは「昨日の自分より賢くなる」 という事だけです。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。 何が賢いか愚かかということは、何かと比べて みないと、いえない。ということですね。 そのとおりだと思います。

回答No.6

 rin00077さん  人間って利口だから愚かなんですよね。  rin00077さんも、あるべきrin00077さんの人生と像を持っていて、それから現存している自分を観て、愚かであるわい、と思っているのですね。  ぁあぁ私も質は違うけれども、無論博打や女での馬鹿もしましたが、やはり何十って思い出す事は、愚かでみんなに謝りたいことばかりです。  60年前の小学校の親友が訪問されました。代々土地の医師です。強大も今も医師です。  自分の愚かな70数年を涙で語ります。  そんなことを思ってもいなかったのですが、人はそうなんです。  でもよう、俺息子二人を医者にしたぜぇ。本も出版したぜ。  と何とかジャスティファイ、正当化しょうとします。  なんだ私も同じ後悔をしているのになぁ、という感じです。  大学のときの親友も、いろんな紆余曲折をしながら、人生の失敗と 今を後悔し、心身の苦労に悲嘆するのです。  勝利の人生って、人間には難しい事ですね。  後悔ばかりしているのも、独りよがりや自分のことを大事に考えすぎるからかもしれないなぁと思いながら、友人の話や自分の事を思い出しています。  思い出は苦く、辛いものが多いという、私も愚か者です。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりです。 アインシュタインが言っている愚かとは、戦争、とくに 核のことを言っているのではないかと思われます。 戦争はないほう良い。これは当然のことですが、 なかなか人間は戦争をやめれないようです。

noname#99640
noname#99640
回答No.5

悪よりも愚かさは美しく 賢さを一枚剥いだ愚かさは人間の証 賢さの始まりは愚かさの始まり 愚かさへの疑問は賢さへの疑問 悪よりも愚かさは美しく 美しい愚かさへの憧れは新しい時の始まり

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2209)
回答No.4

 人間だけが『愚かさ』を認識出来ますね。他の動植物は自らの行動や愚かだとは思いません。  また、人間の愚かさが無限ならば、同じように『可能性』も無限にある訳です。(個人的には人間が有機体である以上無限だとは思いませんが)  従って、rin00077さんはご自分で愚かだとおっしゃっていますが、それは過去の行為についてであって、これからもずっと愚かであるか否かはご自身次第だと言えます。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。可能性も同じくらいあるのですね。 ちなみに僕は今、最低賃金のアルバイトをしております。

noname#96931
noname#96931
回答No.3

>商売をしていたのですが、女とギャンブルに うつつをぬかし、そのため店は倒れて、嫁もいなくなりました。 僕だけに限って言えば愚かだと思います。 人間そんなもんだと思います。    愚かさに気付く処が人間のすばらしいさかも知れません。                ぼとぼち頑張ってください。

回答No.2

キリスト様もお釈迦様も昔はおろかでしたがたくさんの生まれかわりで賢くなりましたとなにかの書籍に書かれておりました。人類もたくさんの回数生まれ変わりますと賢くなることと思います。今の人類の90%程度はまだ生まれ変わりの回数が少ないと思います。ですからおろかなことをし続けているのだと思います。一回の人生で処理できる課題はせいぜい1,2個ですからかなりの回数、生まれ変わる必要がありそうです。少数ですが魂のなかでも悟りの早い魂もいるようです。 このように全ての人はおろかな状態から悟りの状態へと少しずつ上昇・進化していると思います。 ただし地球上の人類は同時に派生したわけではありませんのでつねに富士山てきな分布となり、頂上にいて数の少ない悟り人はあまり表には出ません(世間にあまり興味が無い)ので大勢の悟りに至らない人々が世界を動かしていることにり、いまだに賢くは無い世界となっていると思います。 自我の制御ができており真我と親密である人が悟り人と思いす。

rin00077
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。少しずつでも、賢くなっていって いるのですね。

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