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大戦中搭乗員にビタミン剤としてヒロポンと言う覚醒剤

故坂井三郎氏の著書に戦後当時軍医と話した際坂井さん貴方たちにビタミン剤と称して 覚醒剤ヒロポンを投与してたと告白があり 当の坂井氏も、妙にやせてきてはいたがなぜか元気だけはあった こと 戦後ヒロポンが一時はやったみたいですが 今巷で酒井 繋がりでタレントが世間をにぎわしていますが 薬物による禁断症状苦しんでいると思われます 戦後生き残りの搭乗員達は禁断症状の苦しみは搭乗員たちはなかったのでしょうか? 当時の搭乗員は高齢になり直接は回答は無理かと思いますが どなたか聞いたりした方はございますか? このことはあまり知られてないようですが

  • 歴史
  • 回答数4
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みんなの回答

  • ESE_SE
  • ベストアンサー率34% (157/458)
回答No.4

何やら大きな悲壮感をお持ちのようですが・・・ 合法である間は、今の酒や煙草と大差ありませんよ。 例えば来月から酒が覚醒剤取締法の対象になるとします。 すると来月以降、日常的に酒を飲んでいた人に対して「あんな薬物の依存症にされて可哀相に・・・」とか思うんでしょうか? 戦後の漫才師でも日常的にヒロポンを常用する人がいて、中にはブロマイドに 「日頃の趣味として注射のポーズを取っている人」 「お洒落として、注射を打つ肘の内側に窓を付けたスーツを着ている人」 なんかがいたそうです。 「今思えば恐いことしてたよなあ」 という回想はあるでしょうが、当時の人はそんなことは思っていなかったでしょうね。

gonveisan
質問者

お礼

回答どうもありがとうございます すると当時は政府の責任とかは何も問題にはならないのですね 今の煙草みたいに自己責任ということだだったのですね 今ですと責任は政府に有りなんてことになりそうですが のりピーの問題で禁断症状がテレビなどで取り上げられてた物で

gonveisan
質問者

補足

No4様補足をお借りして回答もなくなりましたので 締め切りたいと思います 回答頂いた方全員20ポイントです ですが規約により、二名にしか付与できないので 不公平になりますりでこのまま締め切ります。 回答頂いた皆様ありがとうございました、 又質問見かけましたら宜しくお願いしたします。

  • aptop
  • ベストアンサー率23% (21/89)
回答No.3

真実であるかどうかは私には判りませんが、そういった話は聞いた事があります。 また戦後の復興期の肉体労働者にもヒロポンが与えられ、急速な復興が成し遂げられたとか・・・。 これは国策であった、などとも噂されています。 神国日本を西欧諸国から守りアジアをも守り、近隣諸国の共存協栄を夢みた人々は ご健在であられましても、当時の教育の精神を未だ持続けておられ、その苦しみを他言することさえ、恥ずかしい事と思っておられることでしょう。 戦後生き残りの搭乗員達・・・という表現について、かなりの反感を覚えます。 今があるのも先人あればこそでしょう。 表現の自由が認められる現在も過去があればこそです。

gonveisan
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます >戦後生き残りの搭乗員達・・・という表現について、かなりの反感を覚えます。 故坂井氏の言葉を借りれば搭乗員は消耗品としか考えておらず 終戦までは生き残らないからなのだとも言ってました 当然先人の尊い犠牲があり今が有ります 攻隊員の世辞の句とか母親父親の遺書見ると、涙が出ます 若者が国の為実際はどうか そうゆう風に当時の教育こわいです。 ですから教育と言うのはすごく大事です >その苦しみを他言することさえ、恥ずかしい事と思っておられることでしょう この考えは違います今の薬物訴訟と同じ考えです、被害者として

回答No.2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%86%92%E5%89%A4#.E6.A6.82.E8.A6.81  Wikiを見るまでもなく、戦争中から1951年の禁止まで、国内では合法的に入手可能でした。  戦争中は特攻隊員などの特殊な兵士だけではなく、一般の兵士や勤労動員された学生も「突撃錠」として、経口投薬されていました。  戦後も労働者やミュージシャン・芸能人とありとあらゆる階層に広がっていきました。  自分の知ってるエピソードでは6代目笑福亭松鶴が「ヒロポンを一升瓶に溶いて一日に30本打った」と豪語していたのを聞いたことがあります。  そんな時代だったのです。

gonveisan
質問者

お礼

すみません御礼が遅くなりました、回答ありがとうごさいます 。自分の知ってるエピソードでは6代目笑福亭松鶴が「ヒロポンを一升瓶に溶いて一日に30本打った」と豪語していたのを聞いたことがあります。 こわいです ねまさに中毒なんですね この時は薬害訴訟なんて運動ないのでしょうね NHKで毒ガス島の番組がありました従業員の中毒診る医師の話でした カルテに必要の無い話まで憲兵に殴られ無理やり働かされた 肺気腫ゃ肺がんで苦しんでいるようす。 この時も損害賠償の話はないのでしょうね

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.1

メタンフェタミンという、立派な覚醒剤です。いま所持していたらつかまります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3 ただ、恐ろしいことに昭和26年に覚醒剤取締法が成立する前は、普通に薬局で売られていまして、今で言うドリンク剤感覚で使われていました。サラリーマンが、ちょっと疲れたからヒロポンやっていくか、ってな感覚です。錠剤とアンプルがあったはずです。 サザエさんにも、今の版では削除されていますが、ヒロポンの話がいくつかあります。 常用していたら当然、中毒になります。

gonveisan
質問者

お礼

>昭和26年に覚醒剤取締法が成立する前は にできたのですか1つ利口になりました 早速の回答ありがとうございます戦中だから何でもありで合法なのだと思っていました 元々合法だったのですね。

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