• ベストアンサー

蒋介石

私の祖父が生前、『台湾に行くことがあれば彼の墓だけは行きたかった、彼がいたから日本は守られた』 って言ってました。 日本への留学から、親日とかそういう側面があったのですか? 自分で調べると、必ずしも日本の為にした事じゃない気がしてます…。 実際、蒋介石は日本を救ってくれたのですか?

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数9

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.3

蒋介石が日本を守ったというのは数々の神話が重なり 作られたもので、日本の中国侵略をかなり恨んでおり 日本を守るという考えはなかったようです 本当は自分の立場を守るための行為を後世話が一人歩きしたようです 当時今ほど情報がなく一般の人々はこの神話を信じた人が 多くいたようです (参考サイト) http://www.wufi.org.tw/jpn/munakata11.htm

tataran_11
質問者

お礼

>日本の中国侵略をかなり恨んでおり 日本を守るという考えはなかった やはりそう考えるのが普通ですよね? でも日本が分割統治を免れたのも彼が拒否したから…? と、考えると。事実としては蒋介石のおかげだけど、彼に他意はなく全て自国の為だった…となりますか!? う~ん、祖父にイロイロ聞いておけばよかったと今になって後悔です。 大変参考になりました。有難うございました。

その他の回答 (4)

  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.5

NO3です 蒋介石が日本の分割統治を防いだという話も 1943年のカイロ会談でソ連を除いた連合国の首脳会談であった が、連合国の主軸は米国 英国で中国はオブザーバー的立場であり 日本のポツダム宣言受諾後の日本分割統治案にある四国を中国が 統治するというのは、戦後予想される共産党との激しい主導権争いを 見据えると四国を統治するというのは蒋介石 中華民国にとって それどころではないというのが本音で日本を救うという考えは なかったようです(実際1946年には共産党との戦いに敗れ台湾 に逃亡しています) また米国がソ連の参入を防ぐためルーズベルト 蒋介石の間で中華民国 を援助することを条件にこの分割案を廃案にするよう動いたと思われます (参考サイト) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E4%BC%9A%E8%AB%87 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB

noname#94392
noname#94392
回答No.4

ジョン・アントワープ・マクマリー原著、アーサー・ウォルドロン編著「平和はいかに失われたか」(原書房) >最悪の事態がとうとう起きた。蒋介石軍の先遣部隊が日本軍と衝突し、小規模ながら激烈な戦闘が続いた(一九二八年五月の第二次山東出兵となった「済南事件」)。このとき日本軍は、事態を局地戦にとどめて戦いを終結した。国民党もその戦略を変更し、済南を迂回して、北方への鉄道と連結している支線を使って北上した。中国側のこの作戦は成功して北京への進軍も軌道に乗り、やがて国民党が華北の支配者となった。しかし中国はこの事態をきびしく受け止め、日本軍の行動を敵対的干渉とみなして激烈な抗議の声を上げた。事実中国人は大いに感情を触発され、外国人排斥の主な矛先は英国から日本へと転嫁してくるようになった。中国全土にわたり反日ボイコットが効果的に実行され、それより以前の五、六件のボイコットより大きな被害を与えた。日本の対中国貿易はひどい混乱状態となり、日本居留民やその権益が危殆に瀕することになった。  蒋介石は日本の介入に頭にきていたものの、八路軍との戦いを控えていたので無理に日本に賠償を請求せず、戦後賠償金を請求することで日本の共産化を危惧していたアメリカにもいい顔をするためにも我慢していました。「情けは人のためならず」といったところですかね。

tataran_11
質問者

お礼

『蒋介石ありがたや』とする事をどう思いますか? 事実として日本は救われたのなら、それもアリなんでしょうか…? う~ん、悩むところです。祖父の代わりにいつか台湾のお墓に行ってあげようと思っているだけに、エラい考えてしまいます(笑) ご回答有難うございます。

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3635/18948)
回答No.2

戦争による損害の賠償請求権も放棄しました なのに北京政府は未だに戦争のことをグジグジと言ってきますね

tataran_11
質問者

お礼

中国だけでなく韓国・朝鮮もいいかげんにして欲しいです。 ただのタカリにしか見えないですよね(笑) ご回答有難うございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

たぶん http://ja.wikipedia.org/wiki/蒋介石 ここの 日本の敗戦後は、「以徳報怨」(徳を以って怨みを報ず)と称して日本兵の中国大陸からの復員に最大限の便を図った。 これのことでしょう

tataran_11
質問者

お礼

一応事実はあるのですね。参考にさせて頂きます。 素早いご回答有難うございました。

関連するQ&A

  • 蒋介石

    中国、国民党軍の総統である蒋介石は、国共内戦に敗れた後、何故台湾に逃げたのでしょうか? 南ならベトナム、北なら朝鮮半島にも逃げられたのではないでしょうか? 何故、台湾だったのでしょう? 日本が敗戦後の事でもあり、まさか『日本』が手引きしたとは考えられませんが。 歴史にもしもは無いと思いますが、朝鮮半島に逃げ込んでいれば、また歴史は違った展開を見せたかも知れません。

  • 蒋介石と李登輝

    蒋介石と李登輝の2人は台湾のあり方に違う考え方を持っていたと聞きました。 この2人がそれぞれ目指した台湾の未来の違いは主にどんな事だったのでしょうか??

  • 蒋介石は、なぜ毛拓東に負けたのか?

    お伺いします。以前から言われており、お聞きし、思っていたのですが、現在の中国は共産党の一党独裁です。また、最近、事ある毎に『戦後秩序』を言い、第2次世界大戦の敗戦国は、戦勝国の言う事には、従わねばならないと言った事を言いたいのだろうと思いますが、その都度、目にするのは、当時、中国と言う国こそ存在しない、第2次大戦で、中国が勝ったのでは無く、アメリカ等の西欧列強で、百歩譲ったとしても、それは現台湾を率いた、蒋介石の国民党で、その後内乱があり、毛拓東の共産党に破れ、現在の台湾に移ったようで、ですから、毛拓東率いた共産党は、当時逃げ回っており、まったく加担する事も無かったが、その後に、蒋介石の国民党と戦い、勝利し、現在の中国共産党になるらしいのですが、、日本が撃破されたのか?単に休戦に持ち込まざるを得なかったのか?は知らないのですが、まともに戦えば負ける事が無かった日本相手に、勝つ可能性など、0に等しかった日本相手に、善戦したとも言える蒋介石が、なぜ、中国共産党に国を追われる程、大敗したのでしょうか?楽勝だったのでは?と思うのですが? 

  • 蒋介石と毛沢東

    最近の中国の反日騒動で、日中の歴史に興味を持ち いろいろ調べているのですが、 蒋介石(国民党)は、毛沢東(共産党)と対立していたのに、張学良に拉致された後、毛沢東と話し合い、今までと一変して、共に日本と戦おうという事になりましたよね。 日本からの援助等で、親密だった蒋介石が、なぜ急に反旗を翻したのか、この話し合いがどのようなものだったかというのが知りたいのです。推測でも結構ですので、どうか宜しくお願い致します。

  • 台湾の人々の間で人気のある総統は?

    台湾の人々の間で人気のある総統は、蒋介石、蒋経国、李登輝、陳水扁、馬英九のうち誰ですか? 又、嫌われている人は誰ですか? 日本のネット上では李登輝の人気が高く、蒋介石と馬英九はかなり評判悪いです。 平均的な日本人の意識もそうなのか気になります。

  • 台湾は中国の一部?

    歴史に詳しく、そのうえ私のような素人に分かりやすく教えてくださる方がいらっしゃるでしょうか? 1949年 蒋介石率いる中華民国(南京国民政府)は、毛沢東率いる中国共産党に破れ、中華民国政府を南京から台湾島の台北に移しましたよね? 毛沢東はその後中華人民共和国として今の中国が成立した。 確かに1949年までは中国を中華民国(南京国民政府)が支配していましたが、蒋介石たちは戦いに負けて、台湾へ行ってしまったのだから、結局は蒋介石による統治の放棄です。 1945年に日本から返却された台湾は中国のもの。 台湾に負けた蒋介石が逃げただけで、やっぱり中国本土と同じく台湾は中国の一部と考えるのが普通ではないでしょうか? ちなみに私は台湾が大好きで、それがキッカケで歴史に興味を持ちました。台湾人が中国人とイコールで考えられるのを嫌がることも知っています。でも、歴史的に考えたら、やっぱり台湾は中国の一部と言われても仕方ないと思うのです。 歴史に詳しい方 ご意見をお願いします。

  • 台湾と台湾人について質問です(外省人・内省人の件)

    2つ教えて頂きたいことがあります。 台湾では蒋介石を尊敬している人がいるそうですが、 理由が分からず李登輝友の会に電話で質問しても、 日本人スタッフによると詳しい理由は分からないということでした。 (1)台湾人で蒋介石を尊敬している人がいるのは何故でしょうか。 台湾には現地人(内省人)の他に外省人がいますが、 日本人には外省人を鬱陶しがる人がいると思います。 実際に日本人による外省人が出て行くことを希望する書き込みとか見ました。 ところが日台ハーフで40代のパパだという人によると、 外省人・内省人という差別は好ましくないうえ、 日本人から外省人を悪く言われることが台湾人にとって辛いと書いてありました。 80歳になろうとしている金美鈴先生は外省人が大嫌いみたいですが、 70~80歳くらいの方と40歳くらいの方では外省人・内省人について考えが違うのでしょうか。 (2)内省人・外省人という差別が好ましくなく、日本人に悪く言われるのが辛いのは何故でしょうか。

  • 【南京大虐殺の不思議】南京大虐殺の時の中国の総書記

    【南京大虐殺の不思議】南京大虐殺の時の中国の総書記は蒋介石だったが蒋介石は日本軍の日本側のスパイだったはず。 なぜ日本軍側の蒋介石が制圧している中国で日本軍は南京大虐殺を実行しなければならなかったのか? 蒋介石は現在の中国共産党に追いやられ台湾に逃げ込んだ。 そして中国は蒋介石を戦犯者で裏切り者で売国奴だと言っている。 蒋介石が日本側に願えった日本側のスパイで売国奴なのは間違いないが、当時、日本側の蒋介石がいる中国で日本軍が大虐殺をする必要性が分からない。 なぜ日本は南京大虐殺を実施せざる負えなかったのでしょうか? 殺す必要がなぜあったのか教えてください。 殺したのは現在の蒋介石を追いやった中国共産党なのでは? それだと辻褄が合う。 蒋介石を追い出すためにゲリラ戦をやって南京大虐殺によって南京を奪還した。 で勢力を拡大させて蒋介石を台湾に追いやって中国人が中国の主権を取り戻した。 ハッピーエンド。 このハッピーエンドだと何が悪いのでしょう? 南京にいる日本人か中国人か分からないので中国共産党が南京にいる人間を全員中国人日本人関係なく抹殺した。 で、中国共産党が中国人によって中国の政権を取り戻すまでに中国共産党がゲリラで抹殺した総数がいま言っている南京大虐殺の人数なのでは? 当時はゲリラで何十万人も殺したので殺した数がゲリラの中国共産党の誇りだったが、政権を持ったところでその殺害した人数の多さが誇りではないと気付いたがその数字はカウントしていたので捨てることが出来ずにその殺害者数のカウントを日本軍が殺した数にすり替えた。 で南京で日本軍が中国人を殺した数として歴史に残そうと決まったが月日が経って外国が再検証する者が現れて当時の南京にはそれほど人口が居らず南京大虐殺の殺害人数と辻褄が合わなくなっている。 だが中国共産党は発表してしまった手間、当時は中国共産党がゲリラで殺した日本人と中国人と合算した総数が歴史に載せるときはカッコ良くしようとして日本軍が殺した数字にすり替えたが歴史検証されてボロが出ている状態になっているという認識で良いですか? 検索されると自国民にボロがバレるので閲覧禁止にしている。 別に中国共産党が日本の売国奴の蒋介石から中国を取り戻すために南京でゲリラをやって盛った数字だと言えば中国人も良くやったと言うと思うけどなぜ言えないのだろう。

  • 靖国への中国の口出しに対する疑問

    私の認識では、戦前日本軍と戦ったのは、蒋介石軍隊(現在の台湾:中華民国)だけだ思うのです。毛沢東共産党と日本軍は戦ったことはないと思うのですが、なぜ共産党中国は靖国を目の敵にするのでしょうか? 台湾:中華民国から靖国参拝に異論があるならまだしも、そこのところがよくわからないところなのです。 もう少し付け加えるならば、日清戦争の当事者の清王朝は満州族であって、漢民族ではないですし、漢民族の独立を助けたのは日本ですし、まあ不幸にも漢民族の蒋介石軍隊とは戦うことになりましたが、毛沢東とは戦ってません。まあ、日本が蒋介石軍隊と戦ったからこそ、毛沢東が漁夫の利を得たわけで、靖国に礼はあれど靖国にどうこう言える資格もないように思えるのです。 この辺、非常に不思議なので明確な答えがあればお願いします。

  • 「日中戦争」は、「日中紛争」が正しい?

    戦前、日本が、蒋介石軍と戦った戦争は、「日中戦争」とは、呼べないんですね? 「戦争」というのは、国家間のものです。 戦前、日本は、汪兆銘政権を、中国の正式な政府として、認めていました。 当時は、中国に、3つの政府があり、汪兆銘政権(親日政権)、蒋介石政権(親米英政権)、毛沢東政権(親ソ政権)に分かれていました。 汪兆銘政権からすると、蒋介石軍は、反乱軍にすぎません。 日本は、中国の反乱軍と戦ったわけですね? すると、賠償金も、関係ないですね? 戦争じゃないんだから。 当時は、最も弱小だった毛沢東軍が、最終的に、中国を制覇したわけです。 ”日本軍と、蒋介石軍を、戦わせろ”というスターリンの戦略が、天才的だったんです。 戦後、東欧も、ソ連の支配下に入りました。 スターリンは、ビスマルク、メッテルニヒ、チャーチルなどと並ぶ、稀代の戦略家だったんです。