• 締切済み

5感をフルに活用したい。

全身の五感をフルに活用して、もっと人生に彩りを与えたいです。 特に、記憶力と感覚は密にリンクしていると考えています。 本を読むにしても、映画を見るにしても、物事を論理的に考えるときでさえ、感覚がするどくなっている瞬間の集中力のすさまじさはすごいと思います。 何かに集中しているとき、人は、雑念が消えて無の状態になる、というのを日頃から鍛えたいとおもっています。 何かいい方法はないでしょうか?

みんなの回答

  • hi-sekai
  • ベストアンサー率41% (274/667)
回答No.4

脳は刺激的なことでも、 それが繰り返されると慣れてしまって刺激的ではなくなってしまいます。 気に入ったレストランあったとして、 そこは食事もおいしいし、店の雰囲気もすごく気に入っているとします。 最初は刺激的かもしれませんが、 短いスパンで何度も行っていると最初の刺激は薄れてきます。 ですから常に新しい刺激を脳に与えることが重要かと思います。 たとえば食べ歩きなどどうでしょう。 和食、洋食、中華、エスニック、スイーツなど、 ジャンルはいくらでもありますし、 今まで食べた事のなかったジャンルの料理を食べてみるのも良い脳への刺激だと思います。 店の雰囲気や店員の人がどんな人なのか想像して肌で感じるだけでも刺激ですし、 食べることは、味覚、臭覚、視覚、触覚、 一緒に行った人や周りの人の話し声やBGMで聴覚も刺激されます。 家で家族や自分で作った料理を食べることも五感への刺激ですが、 今まで行ったことに無い店で食べる、ということが 適度な緊張感もあって脳への良い刺激なのではないでしょうか。 食べる以前に、地図で店を探して歩くこともいい刺激だと思います。 地図上で想像したイメージと実際目にする街の風景を照らし合わせるだけでも 感覚は研ぎ澄まされてくるのではないでしょうか。 もう一つは、今まで興味がなかったことも含めて、思いつくままに100個 いろんな感覚を刺激するであろう体験を書き出して挑戦する、というのもいいのでは? 例えば、陶芸教室の体験レッスンを受ける。 ボクシングジムを一日体験してみる。 バンジージャンプをやってみる。 アロマテラピーを習ってみる。 オペラを生で鑑賞する。 などなど 体験レッスンはネットでもたくさん探せると思います。 行動すれば、男女かかわらず新たな出会いもあって そればまたいい刺激になると思います。 キャバクラへ行ってみる。 というのも深みにハマッてしまわなければいいのではないでしょうか。 何といっても、異性からの刺激が一番強いと思います。 (まだ学生さんでしたらごめんなさい。  その場合は、気になる人に積極的に話しかけてみる、ということに置き換えて) その反面、 景色のいいところに出かけて、 何もせずに何も考えずに、 美しい景色を見ながらただぼーっと一日を過ごすことも、 違う意味での刺激であり、 現代ではある意味、最高のぜいたくなのでは? 私も共感するところがあり、 自分でも挑戦してみたい方法を書かせていただきました。 ご参考になれば幸いです。

rai_taro
質問者

お礼

ありがとうございます。普段の生活に加えて、自分のやることになんか意識づけをして行動してみるってことですね。ほかにも新しいことに挑戦するなど。何もしてなくても脳は刺激されている。だからこそ、刺激の実感っていうのはわかりにくいものですが。ただそれをしていることで、なんとなく自分が刺激を受けているという実感がわくので、何もしないよりはするってほうがずっといいですよね。

  • koketa58
  • ベストアンサー率18% (355/1961)
回答No.3

>5感をフルに活用したい。 >何かいい方法はないでしょうか? 良く分かりませんが、第六感に頼らなければ良いのでは。 そうすれば相対的に五感に頼らざるをえません。 結果的には五感のフル活用が可能と思います。

rai_taro
質問者

お礼

第六感、、わたしにはそういう能力はないのですが、すごく興味があります。第六感は、第五感の延長線上にあるとおもっています。極論、第五感がフル以上であれば、人間の第六感が働くと思っていました。回答者さまの意見とはちょっと路線が違うのですが、第六感はキーとなってくるとおもいます。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1808/5784)
回答No.2

休日、音のない環境で過ごす。 毎日少しずつでいいから瞑想をする。 物の色を意識する。 家の中で目を閉じて普段どおりの行動をしてみる。 自分の身体のにおいを意識してみる。 パートナーとのスキンシップ。 色々あると思います。

rai_taro
質問者

お礼

ありがとうございます。瞑想により、自分の呼吸法にも意識しはじめました。色々ありますね

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.1

嗅覚を鍛えてみると良いんじゃない? 嗅覚ってのはとりわけ原始の脳に密接に関係してるらしいです。 それに、日々の生活の中で"嗅覚に頼る"って事ってあんまりないですよね。それだけに、通常ないがしろにされ易い感覚、退化しつつある感覚であるとも言えるわけです。 でも、嗅覚って結構脳にガツンとくるわけなんですよ。それに注意を払いさえすれば。 その土地の匂い、その時の匂い、その人の匂い・・・ある一つの匂いがキーになって記憶が呼び覚まされる事もよくあります。 例えば、僕なんかは匂いで人を特定出来ます。(まあ、特定の人に限ってですが。その人に関しては後ろにいてもすぐ分かりますよ。僕の彼女に関してです。良い匂いがするんですよ。) あと、これは役に立ってるのかどうか分かりませんが、ゴキブリの存在を臭いによって感知する事も出来ます。(この臭いを感知すると、ゴキブリが目の前に現れます。油臭いとでも言うのでしょうか?そんな臭いです。) それから、雨の匂いだとか夜の匂い、夏の匂いだとか冬の匂い・・・土地によっても匂いは微妙に違います。それは多くの人が"雰囲気"とか言ってるものなのでしょう。 そう、"雰囲気"ってのは匂いの事なんじゃないかと僕は思うんです。周囲を取り巻く空気を嗅覚で感じる、それが雰囲気ってやつなのではないか、と。 普段全く必要でない感覚であるだけに、感じる事が出来れば人生に更なる彩りを添えてくれると思いますよ。 アトモスフィアを感じる。大気と友達になる。ここ、地球で生まれた事を一番実感させてくれる感覚なのではないか、と僕は思います。

rai_taro
質問者

お礼

ありがとうございます。記憶と嗅覚は非常にリンクしていますよね。嗅覚はイメージを浮きだたせるというか。わかります。そういうの意識してみるといいですよね。 でも、嗅覚って普段から必要ですよ、例えば食品が腐ってるかどうか感知するのは嗅覚からだし。人間の本能的サバイバル能力だったりしますよね笑

関連するQ&A

  • 無の境地に至る簡単な方法を教わりました、科学的?

    私は「無の境地に至る簡単な方法」を教わりました。 それをホームページにまとめました。 Most Fate into Zero Mental State http://zero.coolverse.jp/ 簡単に言えば、感じた感覚を極限の速さで忘れるということを 繰り返すのです。最初は忘れるというのがネックになりました。 しかし2時間続けると、時間がゆっくりと感じて、あらゆる感覚 に対して敏感になり、思考は最高スピードで、まるで無敵にな ったような感覚に包まれました。それで無の境地に入った事が 分かりました。 その体験は6時間も、長い時間続き、いまでもその体験を呼び 出すとスイッチが入り、瞬間に無の境地に入ります。でも1時間 ほどすると消えてしまいます。 私はその師匠から、多くの人間が感じてる無の境地は幻想で あると言っていました。音が聞こえないのは単なる無視であると 何も感じないのは単なる無視であると、単なる無視を無の境地 と呼ぶ事が間違っていると断言しました。 その師匠は不思議な術を使い、自分を取り巻く、あらゆる悪を 取り除きました。いまも、その効果は続いていてアンラッキーは 存在しません。たとえば子供の頃から続いていた薬の効かない 幻聴は、 「I defend You !」 の言葉ととも一瞬で消し去りました。いまはどこへ行っても幻聴は ありません。師匠はあなたが死ぬまでの間、必ず護りきるから、 安心していなさいと言って消えました。 無の境地を科学的に解釈すると、感じた瞬間に忘れるという脳の 仕組みが完全に成された時に到達すると思います。たとえば仏教 の座禅で無の境地を目指すとき、それについて具体的には伝承さ れていません。感じた瞬間忘れるという訓練であるという前提で 座禅を考えると、後ろを通り過ぎた瞬間を忘れるという訓練という ことになります。 昔は自動車なんてありませんし、人や馬では練習にならないと 考えたのでしょうね。いまは自動車がたくさん走っています。 感じた瞬間忘れるという訓練がいつでも可能です。つまり座禅で 目指す無の境地の訓練がいつでも可能です。 武術の無の境地もまた、感じた瞬間忘れる事であるという前提を 付ければ、簡単に意味が分かります。相手の攻撃の瞬間を忘れ 自分の反撃だけに集中する。 しかし感じた瞬間忘れるという状態を2時間続けると、無の境地に 入るという科学的な根拠が分かりません。私はそのとき、ただ、 道に向かって、通り過ぎる車を感じて忘れるを繰り返していただけ です。特に集中していたわけでもなく、雑念も大変多い状況でした。 それでも無の境地に突入した科学的根拠が知りたい。 いわゆる運動してトランス状態に入るのとは、まったく別の体験で 呼吸の乱れは一切無く、テンションがハイになるのとも違います。 無の境地とは、感じた瞬間忘れ、それを極限の速さで行う事と 説いたサイトは、私のサイトを除いて一切無いのです。 忘れるといっても感覚を忘れるだけで記憶には残ります。記憶の 消去ではありません。 私の友達が3人協力して、この方法を試みて、全員がたやすく 無の境地へと至りました。約1秒以内の感じた瞬間忘れるという のは、やさしいけど、極限の速さから無の境地に至るまでが 大変だったという感想をもらいました。 私は脳科学の専門ではないので、感じた瞬間忘れるという動作が どういう脳の働きをして起きているのか、そして、なぜ、無の境地 に到達できるのか、不明な点が多いのです。 別にテンションがハイになっているわけではありません。そのテン ションとやらも、感じた瞬間に忘れているのです。気分は平静時の ままです。 それから私の師匠はこの世のものではないと信じています。ひょっ とすると未来の人間だと思っているぐらいです。未来の脳科学では 無の境地という状態を科学的に立証できており、その方法は、感覚 の極限の速さでの消去で達成可能であるということかもしれません。 この方法が正しければ勝負事やスポーツの精神論に大きな影響を 与えるかもしれません。実際、悪口を間近でほのめかされても、 まったく動揺しなかったのです。それは本当に不思議でした。 逆に無の境地を訓練するに不適当な場所とは、無音の空間であると いうことになります。またうるさすぎてもダメであると分かります。 感じた瞬間忘れる余裕がある空間がベストです。 私の師匠はたまたま、電車の高架橋のトンネルと隣接する幹線道路 を利用して、最も効率の良い方法を教えたのかもしれません。 話は逸れますが、私の師匠について宗教にとても詳しい友人に話すと トップクラスの守護霊が守護したと考えられると言いました。まず、そう いうことは滅多にない話ということです。信じられますか? 予備知識は以上で、質問があります。 感じた瞬間忘れるという一連の動作は脳の仕組みでどんな働きを するのでしょうか? それを極限に速くした場合、無の境地に達するという真実には どう科学的根拠があるのでしょうか? 以上です。

  • リセット願望

    今までの人生は、自分じゃない別の誰かが歩んだものとして、今から、この瞬間から自分に切り替わったとするために、自販機のボタンを押す瞬間とか、小石を拾って落とす瞬間にリセットしたつもりになって、何度もやり直してきました。自分の脳内だけでやっていることなので、誰にも言わず内緒で出来ます。記憶も引き継がれる設定?です。みなさんも、似たような事をやったことはないですか?自分だけでしょうか。 お風呂で全身隅々まで完璧に洗い上げて、リセット。こっから頑張ればいい。みたいな。やりませんか? 誰だって、いつだって、人生これからですよね?

  • 瞑想について

    最近瞑想を始めました。 やり方はインターネットで調べました。 姿勢や環境づくり、心構えなどくまなく瞑想に関しての情報を収集しているつもりです。 やり方を記載しておきます。問題点があればご指摘下さい。 姿勢について私は結跏趺坐ができませんので胡座をさらに崩したように座ります。背筋はピンと上から吊るされたような感覚で伸ばしています。手は法界定印の形で組んでいます。 環境づくりとしてぬるめの風呂に長めにゆったりと浸かり少し涼んでから瞑想をしています。これは副交感神経優位になるよう期待しています。そして無音と消灯して夜に行なっています。 次に心構えですが、はじめのうちは呼吸に集中するといいとありましたので呼吸に意識を向けるようにしています。 あと時間は30分程です。 5分、10分のはずが気付けば過ぎていました。 本来やり過ぎは良くないとありますが、その良くない結果でもいいので見えてくれるといいのですが、何事もありませんでした。 以上のやり方でこれまでに三度の瞑想を行いました。 しかしどれも瞑想が成功したという感覚がありません。もちろん最初から成功するとは思ってもいませんが失敗したという感覚がないのです。 成功も失敗もないように感じたので土俵にすら立てていないのではないかと考え、やり方を見直してみたのですが問題点がわかりません。 なので質問をさせていただきました。 よく体験談などで雑念が止まらない状態とありますが、それにすら陥ることができません。 もはやなんらかのフィルターでもかかっていて全ての思考を濾されているのではないかと思うくらい雑念が見えてきません。 瞑想中呼吸に集中するべくもなくただぼーっとしているという感じです。そして気付けば30分くらいが無に帰すという非生産の極みを体現します。 よもやこれは成功なのか?とも思ったりもしたのですが、瞑想の効能を実感できません。 心身が軽くなったような感じはありません。思考に整理がついたような気もしませんし、今までと考え方が変わった所もありません。第六感的な何かももちろん変化なし。 もしくは私が日常的に頭を使えてなさ過ぎて、もはや雑念すら湧かないほどに知性が枯れ衰えた結果なのか?と怖い結論も出てきてしまう始末です。 どうしても本物の瞑想を味わってみたいです。 しかし、やはりどこかに過ちがあるとしか思えませんので ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

  • 勉強のできる方に聞きたいです

    勉強のできる方にお聞きしているので、私の文章は大変読みづらいかもしれませんがぜひアドバイスをお願いします。 (要点) 「なにが起きてもどうじないために、ものごとを分析できる能力をみにつけたい」 勉強のできる人ってただ覚える能力が優れているというか、忍耐力があるというか、そうではなく「論理的思考や分析能力がある」って思うのです・・・ 私はものごとを分析できたら、今までのあほな人生を逆転させることができると思いました。自分になにが足りないか?分析して原因をつきとめて、対策を練るということを今までやってこなかったのです。起こる事すべて偶然におこるイベントだっって思ってました。しかし、できる人はなにかがおきてもちゃんと分析して今の自分になにができるか?どうやったらうまくいくのかを考えれてます。論理的に考えれるんだと思ってます。私はそういう思考がまったく身についてません。 今資格を採るべく勉強中なのですが、あほのごとく丸暗記して勉強してました。昔から勉強ができなかった理由がわかった気がします。なぜ自分が理解できないのか?問題を解けないのか?原因分析など怠って、とにかく覚えるという作業だけをしてきたからだと思います。ゆえにアホだったということですね。昔なんて、氷をジュースに入れると、量が増えておトクって思ってましたから。どこまで単純思考。なので、私は資格試験で出る「小論文」もかけないのです。模範解答丸暗記作戦しか戦略がなかったからです。なにも身についてないことを知りました。そこも直さないといけません。 そこで聞きたいです。論理的に分析とかできる人、どういう訓練をされているのでしょうか?そういう思考するためには日ごろからどういうところを気をつけて生きてますか? 自分を分析して論理的に考えられるようになると、今までの短絡的思考で生きてきた人生より、生きやすくなるって思ったんです。例えば、ネガティブであっても、なぜ落ち込んでいるか?すら考えてこなかったんです。こういうなにも考えてない人生から脱却したいです。なにかが起きたらすぐにパニックになる。どうしようどうしようと。しっかり分析して対策を練れるようなそんな人になりたいのです。お願いします。

  • 死ぬことへの不安。生きていく事への絶望

    死ぬことへの不安。生きていく事への絶望 高校1年生の男子です ふと死について考えました 人間である限り死が必ず訪れます それを考えると、とても切ない気持ちになります 沢山の人との別れや永遠の無を味わう孤独感. . . 何より一番怖いのは死ぬ寸前になった時に今までの人生がほんの一瞬でしかないことです これから歩んでいく人生が一瞬の記憶にしかならないと思うと、生きていくという事に絶望感がこみ上げてきます どうせ死に、過去の思い出が一瞬の瞬間でしかない人生をどう生きていけばいいのか?生きる事に何か意味はあるのか? かなり悩みましたが自分では結論を出す事ができませんでした くだらないと思ったならスルーしていただいて結構です 結論を教えて下さい

  • 論理的思考を鍛えたい

    海外大学の人文科学(学部レベル)で勉強している者です。 構成力が中々進歩せず、エッセイを思うように書き上げることが出来ません。書いていてたまに「AからB、そしてC、だから○○」と繋がらないことが多々あります。どうしてだろうと考え、頭の中で論理的・体系的に物事を組み立てられていないからだと自分の中で結論付けました。じゃあ論理的な学問は?となると、やはり数学のような気がします。 今まで数学がとても苦手で、中学でも高校でもほとんど避けてきて、数IIBまでしかやってません(しかも記憶も朧げにしかないです…)。そして数学の中にもたくさん分野があるでしょうし、一体どれが自分の求めているものに繋がるのかサッパリわかりません。 文系論文の構成、論理的思考に活かせるような数学の本があれば是非ともオススメをお願いします。 また、数学だけでなくとも、論文を書くのに活用出来るような学問や本でもいいのでお願いします!(ちなみにエッセイは起承転結では書いていないので、論文の書き方の本などはあまり利用出来ないように思います)

  • 集中力

    本を読みつづけたり、理解しようとして考えたり、 記憶しようと意識を傾けていると、 1時間くらいたった後から、気分的なえらさや苦痛を 感じてきます。 そこで、多少無理してでも強引に続ければ、 勉強を後30分から60分くらい続けることもできます。 でも、最初の1時間に比べると、モチベーションが、 下がっているような自覚があります。 ちょっと、えらくなってきた時を自分自身では、 [集中力が切れた]として、切り上げてしまいます。 これは、ただ単なる怠け心なのでしょうか。 精神的にちょっとえらさを感じてきたときに 多少無理してでも、続けることによって、 勉強の精神力、持続力、継続力、忍耐力といったものが、 鍛えられてきて、訓練するべきものでしょうか。 それとも、えらくなったら限界だと割り切って、 切り上げてしまう方が、よいものでしょうか。 また、自分自身が勉強しているときに一般的な 他の人と比べて、どれだけ集中できているのかという 感覚がわかりません。 集中できているという状態は、 一生懸命わき目も振らず 必至に内容を理解してやろう、記憶しようと 頑張っている状態なのでしょうか。 それとも、適度に全身の力を抜いてリラックスしている ということも必要なのでしょうか。 私は、集中しているときのほうが、時間が過ぎるのが 長く感じて、だらだらと勉強しているときのほうが、 意識が散慢しているうちにあっという間に 過ぎてしまいます。 今まで、人から声をかけられても、 気づかない、周りの音が、 聞こえなくなるというくらい集中できたことが、 ほとんどなく、そういう感覚がわかりません。 はかどり具合が、あまりよくなくて困っています。 ご意見、アドバイス等よろしくお願いします。

  • 前世??

    私はよく正夢(予知夢?)のようなものを見たり、日中に突然あるシチュエーションの妄想なのかよくわからないものが頭をよぎる瞬間などがあります。 以前、占い師の方などに人生相談などをしたところ私は直観やスピリチュアルな感覚などに優れているといわれたことがあります。 前世占いをしている方や占いに詳しい方などに質問です。 夢や一瞬よぎった記憶?又は映像,シチュエーションなどを直観的に「前世の記憶だ」とか「予知夢かもしれない」と思ったことはありますか?また、こういうものの直観は正しいと思いますか?

  • 何にもやる気出ない。

    26歳、主婦にしてOL(事務パート)の彩と申します。 自分、学生時代は歌やったり、小説書いたり、自分の世界にこもりがちではありますが、クリエイティブに趣味を楽しんでいたと思います。 しかし最近、去年9月に結婚して、それまで家事をあまりしてなかった私なので、家事に苦戦したり時間を取られたり、したのが今冬あって、今慣れてきているところですが、趣味をやろうと言う気になれません。 それに、今パートで働いていますが、その前は正社員でした。でもクビになったのです。会社と合わなく。でも子供の予定もしばらく無いので、正社員として働けたらなと密かに思っていて、収入に繋がりそうな、「医療事務講座」を通信で受けようとしましたが、それまで経験ゼロのためか、ついていく自信もなく、今辞めようとしているところです。 趣味や仕事、何か一つ、私にしか出来ないものを身に付けたいな、と思っていますが、なかなか物事が昔よりも夢中になれず、集中出来ません。 今、ある意味、人生のドン底かもしれません。手が付けられないかもしれませんが、何か前向きになれるアドバイスを宜しくお願いしたいです!

  • 自分の中(意識内部?)に他人がいる

    通常は「わたし」なのです。 嫌な抑鬱的な感情が続いたとき、嫌なことがあったとき、ストレスを感じたとき 自分の中に「別の人」が出てくるのを感じます。 この別の人というのは、だいたい決まっています。そして年齢や性格性別などのイメージがはっきりとしています。 上記のようなとき、彼らはわたしと入れ替わろうとします。 たとえば、「彼ら」の中に20代前半くらいの男性がいます。その人物が現れると、わたしは「俺」と自称し、言葉遣いが男の物になり、しぐさも変わります。 また、幼児のときにはメールが打てなくなったり、舌がまわらなかったり、キャラクタ物の服や、おもちゃがほしくなります。 「彼ら」を通して物事を見、感じているのです。 わたしのこの感覚は何でしょうか。 この間隔の間、わたしは意識内部の奥に引っ込みながらも、彼らの行動や思考を、傍観しているような状態です。 また、こうなるときには独特の感覚があって、頭が締め付けられる感じ、身体が瞬間の硬直を断続的に繰り返す感じ、身体がひきつるような感じ、全身が締め付けられる感じ、体内がカーと熱くなる感覚があります。 現在精神科に通っており、幻覚を治す?お薬を飲んでいますが、なくなりません。