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「前世」は、いつ、どこにあるのでしょうか?

sheep67の回答

  • sheep67
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回答No.25

こんばんは~。 今回お返事を読んでちょっと混乱しました。多分僕の書き方が問題あると思います。多分何でもかんでも細かいことまで詰め込もうとしています。以下の文もそんな感じなので、適当にはしょってください。 >記憶は物質がないと不可能だ」に対して、反対なような、賛成なような、態度保留なような... については、客観的に、他人にはっきりと言える意見としては「態度保留」です。心情的には「反対、多分物質が無くても可能」と予想してます。 >「”痛い”と感じること」そのこと自体が、何故、物質現象と言えるのか、逆にお聞きしたいです。物質が「痛い」と感じることなどあるのでしょうか? もちろん物が痛いと感じることはないと思います。物とは、つまり脳であり、神経繊維などのことと思いますが。 質問の意味がー僕が正しく解釈してるならいいんですが、 痛い、と感じるのは何か?という問題があります。心を僕等は感じますから、痛いと感じる主体である僕等は、心ではありません。ものでもありません。 心と脳は写像の関係があり、心の反応を脳は記録しますが、だからといって、脳の神経繊維という物質が痛いと感じる、のとは違います。 痛いと感じる主体は何か? というのはまた別の話になります。 つまり、物質が感じるわけはありませんが、でも、心が「痛い」と感じるわけでもありません。 心が発信するある種の感覚を僕が受け取ったときに、痛い、や、うれしい悲しいとなります。 痛い、と感じるのはこの僕等自身ですし、それは心とも物とも別物だと考えます。 脳と心ーー言い換えると、物質ー精神、という一つの「系」が作るものは、どっちにしてもあまり本質ではないので。 僕は、自分の本質が物質だ、などとは思ったことはないですが、でも同時に考えた結論として、僕の本質は心でもない、という結論になっています。(物より心の方が大事だ、とは今でも思ってますが) >物質である「脳」と非物質である「心」が写像関係ということではないでしょうか? すなわち、心は非物質であり、心の記憶は物質がなくても可能ということにはならないでしょうか?  写像の関係がある、というのは。写像ですか? んーーー、物理学で言うところの、物質とエネルギーが等価な事実は、物質とエネルギーは写像の関係にある、と表現していいのか悪いのか・・・。もしこれがOKなら、写像だと言えると思いますが・・・言葉が微妙で・・・。ぼくは違和感あります。 単純に関数で結ばれるという数学の概念より、感覚的に明らかに異質である2つが実はより本質の部分で結びついてる、という意味の物理用語である、等価、の方が、フィーリングにあってて好きなんですが・・。 つまり、等価には、この2つのもののさらに基礎に、この2つの異質なものを生み出すより本質的なものがある、というイメージが含まれてるからです。単純な2元論というのではないです。写像にはそういうイメージは全くありませんので。あ、でもここは写像で行きますね。 >心は非物質であり、心の記憶は物質がなくても可能ということにはならないでしょうか? 心は非物質であるというのは、それはそうですね。でも心の記憶は物質が無くても可能だ、というのは、客観性を重視するならー科学のスタンスを肯定するなら、それは「わからない」というのが正確だと思います。 論理性や検証可能かどうかを無視して、直観を優先するなら、僕も、心の記憶は物質が無くても可能だ、と思います。(状況証拠的に直観でそう思うのですが)  でも、客観性を重んじる人が相手の場合、現実問題、それはそうだ、と人に主張できるものではないと思います。もしこのことで議論するなら、お互い、どちらの土俵で議論するのか、をあらかじめ設定しないと、議論はかみ合わないと思います。科学的客観性に基づいた話をするのか、感覚や直観や心の動きに基づくのかで、全く違うので。 もし客観性に基づいて話すなら、「今現在は分かっていないし、不明だ」というのが冷静な判断ですし、 もし主観的な、感覚や直観に基づくなら、「物質が無くても、心は記憶可能な気がする」と言ってもいいと思いますし。 物質がない→記憶がない。という主張は、対偶を取ると、記憶がある→物質がある、ということになりますが、これは、僕等の観測にかからない記憶や人格が存在するか、僕は、死後の霊の記憶などを想像したのですが、人間は、観測可能なものを全部知り尽くしたかどうか?もう未知のものはないのか? という質問と同じと思います。記憶があるところには必ず物質がある、ということを証明できる人はいませんので。ただこの世で観測され客観的に知り得る限りの記憶はすべて物質に依存して存在している、これも事実ですが。 これだけ書いても、何か話の食い違い感がぬぐえないので アトランダムに、思いつくことをばらばらに書いたのですが、 以上の中に答えがあるでしょうか? すごく自信がないんですが、いちおう書いてみました。

oilllio
質問者

補足

今回は、おしゃっていることが大変よくわかりました。ありがとうございました。 >痛い、と感じるのはこの僕等自身ですし、それは心とも物とも別物だと考えます。 このお考えは、私にとっては初めて聞く考えで、大変興味があります。心と物以外に、さらに、「僕等自身」というものがあるという考えですね。「僕等自身」とは、所謂「自己」のことでしょうか? この「自己」は「心」の働きの一部ではないのでしょうか? 「自己」と「心」を別物として分けて考えるに至った背景は何ですか? >物質とエネルギーは写像の関係にある、と表現していいのか悪いのか・・・。もしこれがOKなら、写像だと言えると思いますが・・・言葉が微妙で・・・。 前回、「主観と客観は等価」と書かれていた「等価」の意味は、「物質とエネルギーは等価」と言う場合の「等価」と同じ意味だったんですね。そうであれば、確かに、これを「写像」と言う言葉で表すのは無理ですね。そのことはよく理解できました。 >つまり、等価には、この2つのもののさらに基礎に、この2つの異質なものを生み出すより本質的なものがある、というイメージが含まれてるからです。単純な2元論というのではないです。 「脳と心は写像関係」ということについて、私自身は、これは単なるモデルとして考えることはできますが、実態としては、「物質と心は唯一つの実体の2つの異なった側面」であると考えております。ですから、sheep67さんの上の考えに近いのではないかと思います。正確に言うと、元々、「物質」というものは存在せず、人が「物質」という言葉を使用するようになった段階で、はじめて「物質というもの」が、この世界に生み出されたのだと思います。「言語」とはそういうものだと思います。昔のヨーロッパには「子ども」という言葉はなかったと聞きます。あったのは、「小型の大人」だけで、従って、「子供服」もなかった。それと同じで、「物質」という「言語」が「物質」を生み出したのだと思います。「物質」と「心」という言葉を作ることで、本来、「物心一如」だったものをあたかも別々のもののように分離してしまったのだと思います。 >もし客観性に基づいて話すなら、「今現在は分かっていないし、不明だ」というのが冷静な判断ですし、 もし主観的な、感覚や直観に基づくなら、「物質が無くても、心は記憶可能な気がする」と言ってもいいと思いますし。 これは、大変よくわかります。 そして、これについての私の考え方は以下の通りです。 「今現在は分かっていないし、不明だ」といのは、全くその通りです。 そして、問題は、「その次の一歩」です。 「科学的態度」というのは、何でしょう? 「わからない」と言って、そこで留まっているのが科学的態度でしょうか? 科学には2つの側面があると思います。 (1)仮説(帰納)  経験(観察、実験など)を元に、仮説(あるいは理論、あるいは、モデル)を構築する。   (2)実証(演繹)  仮説(理論、モデル)が事実と符合するかどうか、観察や実験を通して検証する。 「科学的事実」として認知されるためには、「仮説」と「実証」の両方が必要です。しかし、未だ、「実証」が出来なくても、「仮説」を立てることは、科学的態度の第一歩だと思います。ただ、「仮説」は、最終的には「実証」されることによって、はじめて、「科学的事実」として認知されます。ただ、「実証」される前の段階の「仮説」であっても、何でもありではなく、「仮説」として成り立つためには、その「仮説自身」の無矛盾性の検証が必要です。この検証を通して初めて「仮説」としての正当性が得られると思います。 話がくどくなりましたが、言いたかったことは、「今現在は分かっていないし、不明だ」という所で足踏みをするのではなく、あらたな仮説を立て、その論理に矛盾がないかどうかの検証までは(たとえ実証の段階まで行かなくても)、進めることこそ科学的態度ではないかということです。 また、現在、「科学的事実」と認められている事柄であっても、それは、永久の「科学的事実」ではなく、「論理的矛盾や、仮説に反する観察/実験事実の発見」が提示されるまでの「仮の事実」であるに過ぎないということです。ですから、「科学的事実」と認められている事柄であっても、その論理的矛盾を追及することは、新しい仮説構築の一歩だと思います。 >ただこの世で観測され客観的に知り得る限りの記憶はすべて物質に依存して存在している、これも事実ですが。 基本的な疑問ですが、人間の記憶に関するもので、「客観的に知り得る限りの記憶」とは例えば、どのような記憶でしょうか? 具体例はありますか? 「人間の記憶」は全て主観的なもので、「客観的に知り得る」ものはないのではないでしょうか?

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