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卑弥呼と邪馬台国の日本名はなんだったのでしょうか。

タイトルにも書きましたが、考古学素人です。以前から疑問に思っていることなのですが、卑弥呼というのは中国の文書に記載された名前ですね。 では、当時、卑弥呼という方は日本ではなんと呼ばれていたのでしょうか? 同じように、邪馬台国も同じ質問です。中国名で邪馬台国は日本ではなんと言う国だったんでしょうか? 註:何故このような質問をさせていただくかですが、今でも外国から日本を みると、悪い表現する場合もありますので、例えばJapanese,とJap は同じ人々を示しているのかどうかということなのです。 やまと朝廷を大和朝廷と書きますが、どう考えても当て字のように思います。日本人は当て字は非常にうまいですよね。 同意語の当て字でもいいのですが、何か参考になることはあるでしょうか。 よろしくお願いします。

  • mmky
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noname#118466
noname#118466
回答No.1

残念ながら当時の人々が自分の民族や国をどう呼んでいたかは日本には文字がなかったので分かりません。僅かに残っているのが中国語の記録なのです。 又大和朝廷が当て字かどうか、そもそも日本の文字がなく、大和言葉を中国から導入した漢字でどう書き表すか試行錯誤をしていた時代なので、当時の記録は全て当て字です。有名な万葉集は和歌を当て字で書き表しています(後世の人はそれを万葉仮名と呼んでいます)当て字で始っても時の流れの中でひとつのルールが生まれ現代につながっているわけです。現代ではルールが確立しているので「当て字」と正しい表記が区別できます。

mmky
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考になりました。 文字がなかったのですね。 表音で区別していたということですか。 まだ中国語ですら通訳が必要であった時代ということですね。

その他の回答 (1)

  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.2

超ききかじりですので誤りだったらごめんなさい。 邪馬台は中国古語では「やまどぅ」といった発音だったらしいです。 つまり、「やまと」の音を写したものの様です。 <こちらは井沢元彦さんの本から。 卑弥呼の方ですが、「ひめ(姫)」「みこ(巫女)」 もしくは「ひめみこ」あたりの音が元ではないかと聞いた事があります。 神格化される前の「天照大御神」という見解もあるらしいです。 天の岩戸に隠れたっていう話は 卑弥呼が死んだ時の皆既日食が元になっているのではないか等。 日本人の当て字は未だに健在ですよねぇ。 「夜露四苦」とか壁に書いてありますし。(ぉぃ)

mmky
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「やまどぅ」と「ひめみこ」は納得できる音ですね。 宮崎県に日向(ひゅうが)という地名がありますが、 日向を(ひむか)と読むと日に向かうような人という ことでいい当て字かなあと素人的に思います。

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