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正史は何故残るのでしょうか? 

無学な質問で大変恐縮です。 中国での正史について、何故前王朝の文化を全て破壊する文化のある中国大陸において、正史という文化遺産が残るのでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8F%B2 wikipediaを見ると、 >正史とは一つの王朝が滅びた後、次代の王朝に仕える人々が著すため、最後の君主などは実際以上に悪く書かれる傾向にある。 とあり、前代の正史は当代の王朝で編纂するが、前々代の正史が残っていて比較照会などをされると非常に困ると思うので、正史の考え方からするば前々代以前の正史は、正史を編纂した当時の人々によって滅却されていてもおかしくはないと思うのです。 どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授頂きたく宜しくお願い致します。

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  • ベストアンサー
  • nebnab
  • ベストアンサー率34% (795/2317)
回答No.1

それはおかしくないと思います。 例として、中国の王朝の変遷を単純化すると 唐-宋-元-明-清 となりますが、明の正史は明が滅びてから清王朝の手によって編纂されます。 この「明の正史」は明時代のことにだけついてかかれます。前の代の唐、宋、元の正史も同じことです。 よって、前代の正史である明の正史と前々代の正史である元の正史は記述対象となる時代が違うわけで、後代の人に比較照会されても別に困りません。 なお、 >何故前王朝の文化を全て破壊する文化のある中国大陸において、 中国にはそんな文化はないと私は認識しています。 中国には昔の文化遺産が今もいっぱい残っているではないですか。

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  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.5

正史というのは、自分たちが権力を握るための正統性を主張するために編纂されるモノなんです。 で、中国での正統性というのは「天から皇帝として認められた」となるわけです。 そこで必要になってくるのが、何故前の皇帝を廃して自分が選ばれたかを説明する事なんですね。 となれば、○○までは良い政治をしていたけど××の代になって悪政に変った。 その悪政を討伐し政治を正せと、天が自分に命じられそれを実行した。 よって、これからは私が指揮を執ります。 って事を、もっともらしく説明する為なのが正史なんです。 これは中国に限らず、ある程度歴史のある国なら何処でもやってることです。 日本でもずっ~っとやってきました。 時には家系図なんかも改ざんしちゃって、自分は藤原氏の末裔だとか源氏の末裔だとか名乗ったりしちゃってますしね。かの有名な農民出身の将軍様なんて、あからさまだったらしいですしね。。。 まぁ、権力者による歴史利用の典型が「正史」って事ですね。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

中国本土にはなくなった漢籍が日本にだけ残っているのは多いそうだ。 中国の名門では「我が家にはこのような書籍があります」というリストを作る風習があり、リストはいろいろな家で作られるので、戦乱でも残る確率が高いそうだ。けど実物は無くなってしまう。 中国で前王朝の文化を破壊する風習がある、というのではなく、中国の王朝は末期にはだいたい全土を破壊しつくすような大反乱があり手当たり次第に壊しちゃうからであって、わざわざ壊しているわけではありません。 正史が残るのは、史官という人々の具体的な動きが作用します。 彼らが次の王朝でも生き残るためには、「おいらたちが、正史と次の正史を作るためのデータ集を持っていますYO!」と主張する必要があります。再就職用の資源です。 新王朝を立ち上げた者どもにとって、自己の正統性を主張するのに、手っ取り早いのが、正史を作ることなので、隠れている史官を探すわけです。これでめでたく正史が残ります。

  • elizabeth
  • ベストアンサー率26% (55/207)
回答No.3

確かに、漢族は新しい王朝になると宮殿も新しくしていますよね。私も大学で習いました。 王朝時代以後も随分壊されたようで、その辺は日本との感覚の違いなのかなぁと思っていました。 清朝は明代の建物を使ったから、しみったれだと思われたとか何とかってこともあったようですし。 ここはやっぱり2の方の仰るように、儒教の影響ですね。 五行説に基づく易姓革命を筋立てて説明する根拠になりますし。 前王朝の正史だけより、いっそう自分の王朝の正当性をアピールできますから。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.2

ま、一言で片付けると、それが儒教文化ってもんです。 焚書坑儒をやった秦の始皇帝は、後世の儒学者からボロボロに非難されました。 漢王朝以降、儒教は中国の主流思想となりましたので、多少都合が悪くても歴史を大事にする儒学者に正面から逆らうことは、得策でないことくらい歴代君主もわかっていたでしょう。

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