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物が先か法則が先か。

この世にあるものは全てが目に見えない特定の法則の上に成り立っていると聞きます。 ですが、それは全てが物あって故に観測できるものです。 では、法則と物の存在とは、どちらが先に現れた概念なのでしょうか。 物が先に出現して、それに沿う形で法則が織り込まれたのでしょうか。 それとも法則の上に物が出現したのでしょうか。 若しくは両方が僅かな差も無く、今ある世界に見られる調和を持って同時に出現したのでしょうか。 抽象的な質問ですが、よろしくお願いします。

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noname#62864
noname#62864
回答No.2

『この世にあるものは全てが目に見えない特定の法則の上に成り立っている』というのは、通常の科学の研究を行う上での前提あるいは科学者の願望であり、正しいかどうかはわかりません。ただし、それを前提としないというのは、物事に法則性を見出す努力を放棄することにつながり、そのスタンスでは科学に進歩はないと思います。 まあ、これは単なる考え方の問題です。 で、本題ですが、そもそも『物』と言うのは何でしょうかね?たとえばE=mc^2の式で質量とエネルギーが結びつくことはよく知られていますよね。質量があれば『物質』と言うことになるでしょうが、その別の形態である『エネルギー』は物と言えるでしょうか。エネルギーを物質でないとするならば、物質と物質でないものが科学的に結びつくことになります。 そもそも『物質』以外にも、いわゆる『法則』というものはあります。科学的な理想を述べるならば、すべての物事(物質に限らずすべての概念?)が『普遍的な単一の法則』で記述されると言うのが究極でしょう。だとすれば物質が現れる前から、究極の法則が存在し、物質以外の物はその法則に従っていたと思います。そしてある時点で物質が出現し、一見すると、その物質にあてはまる新しい法則が出てきたように見えるかも知れませんが、実は、その法則と言うのは『普遍的な単一の法則』を物質にあてはめたに過ぎない、つまり、『普遍的な単一の法則』の一部が目に見えているに過ぎず、我々の科学が不完全であるが故に『普遍的な単一の法則』と結びつけて考えられないということだと思います。 と、考えれば、法則が先であるように思います。ただし、物質が存在しない状態では、その法則が適用できるかどうかは検証不可能ですので、無意味と言えるかも知れません。 なにせ、素人考えなので、科学的に破綻しているかも知れませんがこんなことを思います。

afk
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分が想定していた「物」とは目に見える粒子から時間や空間、それにエネルギー(質量)等、その辺りに転がっている方程式の項となりえるものを考えていました。そして、そういった物の起源を考えたとき、果たして、それら物と物の係わり合い(法則)はどの時点で生まれたのかが疑問でした。 頂いた回答に沿うと法則が先とのことで、自分としては「普遍的な単一の法則」が物を生んだのかなぁ、若しくは「普遍的な単一の法則」こそが原初の物なのかなぁ、などと勝手に妄想している次第です。 面白いお話(回答)をありがとう御座いました。

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その他の回答 (5)

  • cyototu
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回答No.6

#5です。 >では日本における物理学の意味(この場合は起源)は西洋のそれと異なっているのかということです。 日本人の理解する物理学は異なっていると思います。西洋の伝統的な物理学では、自然の基本法則を(多分一神教の神によって)与えられた「存在」する世界、あるいはその裏に「永遠」が潜んだ、「ある」世界と考えているようです。アインシュタインの時空の幾何学などはその好例です、それに対して、日本人に取っては、世界は(多分多神教的、やおよろずの神的な)「諸行無常」や「ゆく川の流れ」のごとく「変化」する世界、すなわち「なる」世界であると考えているようです。日本人に取っては、この世界は幾何学的に永遠不変に存在するものではなく、物語りのように、次から次へと起こる出来事を語り継がれていく世界なのだと思います。 この、西洋人にとってなじみの浅い「なる」世界観を数学的に合理的に表現する動きが、西洋の近代物理学の中にも現れて来て、現在では一つの巨大な潮流になって来ています。それが、非平衡熱力学における「散逸構造」の理論です。イリヤ=プリゴジンはその理論の提唱によって1977年にノーベル賞を受賞しております。 自然界に応用したときの、その見方の膨大な成功例の蓄積によって、この物の見方を「熱力学」という現象論で満足するわけにはいかないという認識が高まりつつあり、それを、もっと基本的な非平衡統計力学に基づいて理解し、物理学における自然の基本法則の「意味」を洗い直す作業が現在行われております。 私は、この洗い直しの作業で、日本人の作り上げて来た世界観や自然観が重要な役割を演じるのではないか、したがって、日本人が活躍できるのではないかと期待しております。

afk
質問者

お礼

追伸ありがとうございます。 返信が遅れてしまい申し訳ありません。 ためになる講釈をありがとうございます。 自分も暇を見て史料を集めてみようと思います。

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

この質問に答えるためには、「法則」とは何かということが明確に理解されている必要があります。ここでは、貴方の質問に直接答えるというよりも、「法則」という言葉で何を表現しようとしているのかにつにて、言及してみます。そのことを深く認識した後で、もう一度貴方自身が貴方の質問の答を探ってみるのも一考かと思いますから。 先ず「法則」とは欧米語の「Laws」という言葉の翻訳語ですね。ところで、Lawsって何でしょう。貴方はLaw School を何と訳しますか。「法律学校」でしょう。だったら、「Laws of Nature」は「自然の法律」が正しい訳のはずですね。事実、西洋人の認識の奥底では我々が「法則」と「法律」を区別するようには区別しておらず、日本人に取って全然異なった意味をもつ概念を、Law 一言で認識しているのです。 日本人に取っては自然は自ら然りと、自発的に存在するものであり、自ら収まるところに収まっているのが、自然であり、それが自然体なのです。ですから、自然がマニュアルを読みながら法律や規則に従っているなんて大変不自然なこととしか考えられないのです。そうです、物理学の主張は日本人に取っては「自然は不自然である」と言っているようなものなのです。 法律とは権威どころがあって、それが「ああするな、こうするな」という規則を皆に押し付けたものです。では西洋人はどうして、こんな日本人には不可解な概念で自然を理解しようとしたのでしょうか。実は、物理学とは西洋人の持っている一神教としてのユダヤ=キリスト教の世界観を、数学を使って出来る限り合理的に具現化しようというのが、その最も底にある動機で産まれて来た学問です。彼等に取っては、人間も自然も神が創りたもうたものであり、したがって、人間には神の命令としての法律「Laws」があるように、自然にも法律「Laws」があるはずだ、との神懸かりのもとに、この神の描いたシナリオを理解することが、物理学の営みだと思っているのです。この主張は決して冗談ではなく、例えば宇宙論で有名なホーキングは、「人類はもう少して神の描いたシナリオを読むことができる」との趣旨を述べています。このように理解してみると、全人類の歴史の中で、他の文明や文化ではなく、何故、西洋人だけが自然界を「法則(Laws)」と言う概念で記述することに思い至ったか理解できると思います。 このことからもお判りのように、我々日本人が描く自然と西洋人が描く自然の間には、大変大きな違いがあるのです。私はよく、「物理学で言っていることがやっと判るようになって来たと言う日本人がいたら、その方は、いよいよ日本人ではなくなって来たのだ」と冗談を言っています。 物理学も含めて自然科学とは決して、我々一人一人が埋め込まれた文化には無関係に、客観的な世界を記述しようとする学問ではなく、ものの見方や、そこで導きだされる結論が、その文化の歴史に大変強く影響され、色濃く着色された世界観に基づいて、その世界観の内部で出来るだけ合理的に世界を認識してみようと言う学問なのです。 ですから、貴方が答えようとして質問は、貴方が日本人であるか西洋人であるかによって全然違った答えが出てくる可能性があります。

afk
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 返信が遅れてしまい申し訳ありません。 >日本人に取って全然異なった意味をもつ概念を、Law 一言で認識しているのです。 似たような話で、physiology という語は今でこそ生理学を指してはいますが、古代ギリシャでは phileo sophia ということで、今で言う哲学を含む自然科学全般を分け隔てなく表現していたと聞きます。それを考えれば law という語が持つ多様性も理解できました。 今回の質問に限って言えば哲学的、宗教的な思考を持ち込む訳ではないので、回答者様の言葉に従うと生粋の日本人的な質問であったと考えます。 ただ、ここで一つ疑問が生まれました。西洋における物理学の意味(この場合は起源)は理解しましたが、果たして、では日本における物理学の意味(この場合は起源)は西洋のそれと異なっているのかということです。漁るべき史料が手元に無いので、答えを出すことが出来ないのが残念です。 どうも回答ありがとうございました。

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回答No.4

同じ事を考えたことがあります。 質問者様は、物と法則で例えておられますので、私と同じことを考えておられるようです。 さて、例えば、私が思うに・・・ 物理などの現象のいくつかでは、長い実験が繰り返されることで得られた事実である法則。例えば、ニュートンの法則。 これは自然現象をニュートンが感じことからの始まりでしょう。 ということは、物が先。 では数学ではどうでしょうか。 ピタゴラスの定理。これは証明できますね。 ということは定理は数学的に証明できるんだと考えています。 さらに、数学でコラッツの予想と言うものがありますが、 これは、あくまでも予想です。証明できないので予想なんです。 自然現象でも証明できるものでないので、法則ではなく予想。 (コラッツの予想とは数列の分野です) なので、法則とは物(自然現象)があって成り立つもの。だと考えます!

afk
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 返信が遅れてしまい申し訳ありません。 頂いた回答を読ませて頂いた限り、回答者様は森羅万象を人の思考を中心として考えておられる訳ですね。それ故に実際に目で見ることの出来ない「物」を何よりも先に感じ、そして、それらの相互作用によって顕現する「法則」を後に見ると理解させて頂きました。こういった啓蒙主義的な認知を発端だとする発想は予期していませんでしたが、それもまた有りだと感じました。 どうもありがとうございます。

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  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.3

世の中で起きていることの一部の本質的な面だけをぬきだし、「普遍的なある法則として記述する」ということ自体が科学的手法と言えるのではないかと思います。つまり、科学というもの事態が一般化できることを語っているので、それ以外の状況に出くわした時点で科学の題材としては議論で着なくなるのではないかと思います。理系の方なら実験だってなんだったて「再現性」が重要になるでしょう。再現可能というのはつまり、何らかの一般化が可能であることを意味しているのであって、その特定の結果だけを説明するなにかが起きていたとしてもそれは際限不可能ですよね。つまり、科学にはなりえないのです。 どこかで聞いた話だと、「現代の科学技術では飛行機は飛ばせるし、宇宙にもいけるが、一枚の紙が二回から落ちる挙動について完全に予測することはできない」といった話があるかと思います。 もちろん、最近では「バタフライ効果」とかいわゆる複雑系の分野でそういう複雑さも取り上げているようですが、まだはっきりしているとはいえないですよね。 そもそも、物質の法則というものもあいまいあなものです。たとえば、水分子のエネルギーが絶対温度Kに比例するとしても、ミクロな視点でみればそれより早いものもいれば遅いものだっているわけです。物質として安定に存在しているようにみえても、すべての物質はミクロブラウン運動にある程度さらされて、理論上絶対零度出ない限り平衡状態にあるわけです。ただ、人間の生活する大きさのレベルではすごく小さいのでそういう「ゆらぎ」の部分というのは無視して記述しても問題ないというのが、物理化学だったり、物理学立ったりするわけです。そのあたりは、量子理論とかになるとまた多少違った面白い結果もあるでしょうし、さらに先ほど言った複雑系とかでも違う見方が出てきているかとはおもいます。 話がずれましたが、要は科学そのものが「一般的な理論や法則」に基づいて世の中を記述する方法ではないかということです。一方「哲学や文学」もまた違った見方で世の中を見ているのではないかと。そうした化学や哲学にも未だ解けない問題があるわけでたとえば「生命ってなに?心ってなに?」とい問いがあったとして、それに何らかの普遍的法則があるのか、あるいはただ「込み入ってよくわからんものそのもの」なのかはわかりませんということだとおもます。 読み返してみるとなだか質問に答えたようで答えてないかな?まあ、そいういう視点でかんがえてみますと、その質問自体よくわからないような気もするので質問者さん自身なにか感じてくれればそれが答えなのかな、とか思ってみます。

afk
質問者

お礼

返信が遅れてしまい申し訳ありません。 回答ありがとうございます。 自分の未熟な頭では回答者様の仰る科学に対する語りと再現性との繋がりが理解出来ませんでした。申し訳ありません。とりあえず、目の前で起こった法則が、かならずしも人間の捉えることが可能な法則である訳ではない、ということで読ませて頂きました。 >要は科学そのものが「一般的な理論や法則」に基づいて世の中を記述する方法ではないかということです 自分もそれに近い考えをもって上述の質問をさせていただきました。 そして、人間が知るそれら「一般的な理論や法則」を考えるに、その起源が、理論や法則が扱うべくとする対象の「物」とどのような関係にあるのか。それを考えているうちに訳が分からなくなったので、何か面白い話はないかと質問させて頂いた次第です。 どうもありがとうございました。

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  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.1

>この世にあるものは全てが目に見えない特定の法則の上に成り立っていると聞きます。 全てですか? まだ宇宙の全容すら解明されていないのに、「全て」というのは科学的な主張とは思えません。そのような主張は科学万能主義の信仰者の言葉でしょう。忘れたほうがいいです。 >法則と物の存在とは、どちらが先に現れた概念なのでしょうか。 そもそも概念とは物事の総括的・概括的な意味であり、それは人間(意味を求める者)がいて成立するものです。 人間が誕生する以前に物も法則もありました。 よって両者とも概念より先に現われています。 さてさて、物質と法則がどちらが先に誕生したかですが、「万有引力の法則」を例に挙げるのであれば、(質量のある)物質が先にあって法則があとなら「万有引力の法則」が働いてない物質がない時期がないといけません。そんなことあるのでしょうか?仮にあるとしても、それは我々の発見できていない法則で支配されているだけかもしれません。 それをまた検証しないとダメなので、答えを得ることはできないでしょう。 また逆に、先に法則があるのなら、それは法則が正しいか検証はできない(質量のある物質がないから)ので、その法則は無意味です。 ですから、同時でしょうね。 ただ、日常生活では「万有引力の法則」で十分かもしれませんが、宇宙規模なら「相対性理論」の出番です。 今ある法則すら役に立たないこともあります。 法則といえど、全てに成り立つ保証はありません。

afk
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分が理系畑の人間なので科学万能主義を全面に押し出す形での質問となってしまいました。 申し訳ありません。 具体例を挙げて突き詰めるならば、 >物質が先にあって法則があとなら「万有引力の法則」が働いてない物質がない時期がないといけません。そんなことあるのでしょうか?仮にあるとしても、それは我々の発見できていない法則で支配されているだけかもしれません。 という記述に関して、検証不可能、実験不可能という以外に何某かの回答や参考文献が得られれば、と思っていました。 どうもありがとうございました。

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