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芸術の重さ

私自身が、ハッキリとした結論を持てていないことなのです。 最近、ある作家の作品(小説)を巡り、作者と、そのモデルにされたという女性の間で起きた裁判のことを思い出す機会があり、改めて少し考え込んでしまいました。 「人一人の命は地球より重い」とかいうコトバがあります。 これをまねた言いかたをしてみると 「人一人の心は芸術より軽い」 と言えるんだろうか??と。(ヘンな言いかたなのでしょうけど) 私自身、もとが、書く側に身を置いている(いた)者でもあるので、けっこう長年、おりにふれて考えていたことなのですが(多分、筆が進まない原因の一つになってると思います) 芸術作品の重さって?その価値って??芸術は天下無敵??? そのあたりについての御考えや示唆を与えてくださいますでしょうか。 恥ずかしながら読解力ないので、なるべく平易なコトバがありがたいです。よろしくお願い申し上げます。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#78143
noname#78143
回答No.2

なんでもそうですが、作品を発表するということはそれに付随する 一切の責任を負うという覚悟をすることだと思います。 訴えられたとしても、賠償金や謝罪や条件を相手の納得いく着地点へ もっていくべきです。それが責任を負うということでは ないでしょうか? 責任は取りたくない、しかし作品は発表したいというのでは インターネットの匿名掲示板と変わりません。 例に出された作品も、モデルにされた人物の了解を得ずに発表した 時点で、責任から逃げています。芸術だから何でも許されるのでは なく、発表したことによる一切の厄介ごとを引き受けるだけで そこのところを間違えて認識している困った人が多く見られます。 芸術だから自由にふるまっていいわけではなく、不自由な社会の一員 だからこそ心は自由でありたいと求めるだけで、ルールはルール として守るべきであると思います。 第一芸術が一番大事にしなければいけないのは人の心ですよ。

noname002
質問者

お礼

改めて、御回答にお礼申し上げます。 明快で共感を感じる御意見とは思います。 >インターネットの匿名掲示板 と、いわゆる文学作品の孕む問題には共通したものがあるように考えております。 >モデルにされた人物の了解を得ずに発表した時点で、責任から逃げています。 私も、それは思いました。しかし作家に言わせれば、作品というものは全てがフィクションなのだ、ということです。 >発表したことによる一切の厄介ごとを引き受ける つまりは自分の発言に責任を持つということと同じことかと思うのですが、発言をどう受け取るかは全く受け手側が決めることなので、そこまで責任持てないという考えかたもあるようです。それなら尚更、発言時点の姿勢に用心しなきゃならないとも思うんですが、ここに「自由な表現」という価値観の一つが入り込んできますのでコトバを用いる文学作品の場合は特に難しいものだと思います。 >ルールはルールとして守るべき 訴えられた作家の社会性が、しょせん未熟なのである、という意見もあるようです。子どもは当然、社会性が未熟ではありますが、にもかかわらず子どもの表現した作品が他者を傷つけるということは、まずないでしょうから、どのあたりで差が出てくるのでしょうね。 >芸術が一番大事にしなければいけないのは人の心 発表する側の心、受け手側の心…難しいです。。。

noname002
質問者

補足

早速のアドバイス有難うございます。 質問本文中で挙げておいたらよかったかなと思う参考URLなのですが この御質問に対する投稿No.6を御覧いただけば、私の今回疑問点が 後続の御回答者にとっても、より理解しやすくなるかと考え、補足させていただきました。 なにしろ知識も乏しく、問われている本旨に沿うこともできず、他の御回答者様がたへ述べられた補足や御礼文のほうを重く見ながら書きなぐっておりますので、御質問者のかたに相当ご迷惑かけているありさま、恥の上塗りのようで、とても迷いました。しかも、かなり長文ですので、もし御気が向かれたらということで結構です。 『物語の登場人物と、倫理』 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3691099.html

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その他の回答 (21)

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.1

ルポルタージュをゲイジュツと考えるかどうかですね。 おそらく、現実を活写する能力もゲイジュツだというかも知れませんが、私の「芸術」の定義は、独創性のある表現だと思います。 単なる現実を伝えることは「報道」であって、芸術ならば、現実の中にある本質を自分なりの表現で再構成することに価値があるのではないでしょうか。 例えば、報道写真と芸術写真の微妙な違いです。 例をあげれば、アラーキーの写真は報道写真ではなく、芸術写真です。(例が余りよくないな~) こう考えれば、芸術のために誰も傷つくことはなく、誰もがその芸術を見ることで心安らかになるでしょう。芸術とは「美」を表現する物であって、問題提起をするものではないので、恒に人の心に寄り添った物でしょう・・・・ね。

noname002
質問者

お礼

改めて、アドバイスにお礼申し上げます。 >アラーキーの写真は報道写真ではなく、 ええ。女体報道写真、ではなく芸術写真なんですね?^^;?(あまり詳しくないんです) >例が余りよくないな~ とは、アラーキー氏が御覧になったら「何がよくないんだよ!」って言われそう(笑) >現実の中にある本質を自分なりの表現で再構成すること 当質問の本文で挙げましたモデルとされる女性に訴えられた作家は、このこと(再構成)に失敗したと言えるのでしょうか、しょせん筆力の不足じゃないかという声もあるようです。私は読んでないので、なんとも言えないんですが。。。 >芸術のために誰も傷つくことはなく、誰もがその芸術を見ることで心安らかになるでしょう。芸術とは「美」を表現する物であって、問題提起をするものではない 画家ルノワールの主張を思い起こしましたが >独創性 >「美」 いずれも定義が難しいところですね。

noname002
質問者

補足

早速のアドバイス有難うございます。 質問本文中で挙げておいたらよかったかなと思う参考URLなのですが この御質問に対する投稿No.6を御覧いただけば、私の今回疑問点が 後続の御回答者にとっても、より理解しやすくなるかと考え、補足させていただきました。 なにしろ知識も乏しく、問われている本旨に沿うこともできず、他の御回答者様がたへ述べられた補足や御礼文のほうを重く見ながら書きなぐっておりますので、御質問者のかたに相当ご迷惑かけているありさま、恥の上塗りのようで、とても迷いました。しかも、かなり長文ですので、もし御気が向かれたらということで結構です。 『物語の登場人物と、倫理』 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3691099.html

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