• 締切済み

地域人と組織人

地域人と組織人ですが、組織人は昔家族主義といわれたように傾向の強弱はありますが、誰かが育ててといった感じです。地域人はあくまで一様国民なのですが、上のものがないと仮定して紛争とかも長い裁判や他人に介入してはいけませんし、自分の原理もある程度もたないといけないと思います。国内関係と国際関係のような気がします。  自分の主観の主張の仕方、あるいは抑える限度、そして介入されてはいけないもの、介入すべきか相手を尊重すべきか意見を教えてください。たとえば、迷惑行為に対していい方もこれにはいるとおもいます。

noname#49302
noname#49302

みんなの回答

回答No.2

そういう概念なら哲学カテゴリのほうが良いのでは。 あと日本語、変ですよ。

noname#49302
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.1

もうちょっと具体的にお願いします。 どこが質問なのか、皆目見当がつきません。

noname#49302
質問者

お礼

具体的事情というより概念教えてください。ご回答ありがとうございます。

noname#49302
質問者

補足

たとえば、組織人だと組織の為ってがんばります。不祥事もあり、猛烈のがんばってらっしゃる社員もいらっしゃいます。どこかの社員であったり、どこかのクラスの学生であったりです。それで地域人はその上とは国の中なので、一様ありますが、隣の家族や組織は縦の命令はありません。介入するか尊重か。どこの社員でないのでたとえば自分をどういう風にとらえたらいいのか。その概念を教えてください。

関連するQ&A

  • もし竹島が「国際紛争地域」に指定されたら

    かつてより日韓が領有権を主張する竹島で、先月日本が調査船を出すとか出さないとかで大問題となったのは記憶に新しいことですが、もし日本の調査船が竹島周辺海域に進出して韓国船が体当たりや拿捕を行った際には竹島は「国際紛争地域」指定されると聞いたことがあります。 ですが、この「国際紛争地域」に指定されると、韓国にどんな影響がでて、日本にどんな利益がもたらされるのかが分かりません。 日韓関係に詳しい方、御教え願います。

  • 組織としての宗教は 違憲ではないか

     1. 宗教組織は 結社の自由になじまないのではないか? 信教の自由を侵しかねないかたちと内容をもって 憲法違反ではないか? 以下 これを問います。  2. 信仰は 《良心・信教の自由》がうたわれているとおりに 個人の内面主観において自由に成り立つと考えられる。  3. しかるに宗教とは この信仰から得られた生活態度ないし世界観をオシエとして表現したものである。  4. その宗教は しばしば教団とよばれる組織を持つ。一般には 結社の自由において 自由だと見なされている。  5. ところが 信仰の教義化かつ組織化は まづ教義化において主観内面のことが言葉による表現としてすでに外面に移されている(註1)。しかもそのオシエを中心としオシエに従って 組織の権限関係が形成されることになる。  6. ならば 一方で主観内面としての信仰はすでに消えており(もしくは 蝉の抜け殻と見るべきオシエに変身しており) 他方でしかもその信仰が――という意味は オシエとその遵守というものに成り変わった信仰観念が―― 組織の運営や人間の関係にとって判断・評価の基準とされることになる。  7. つまり 信仰ではないものが信仰と見なされしかもその教義が組織〔としての人間関係〕の中心となる。教義が中心となるということは 組織の権限関係において最高の地位に立つものが解釈したその教義内容が中心となることを意味する。  8. もしこうであるならば 組織の長としての人間が ほかの人びとを・そしてしかも組織の外の人びとをも ほんとうは信仰ではなくなっている倫理規範としての《教義》とその知識および実践の度合いに応じて 評価しときには裁くというかたちになる。  9. これは 信仰の・または信徒のあつまりではありえない。言わば道徳ごっこである。道徳ごっこっとしての仮面をかぶったイジメ合いである。  10. 自分も他人もそして世の中が 自分の思うようにならないという《苦――生老病死だそうだ――》から逃れようとして いやそれなら自分以外の人間をみなおれの思うようにあやつればよいという支配欲にみづからが支配され この道徳ごっこ――つまり内面における信仰の外面化としての倫理規範のもてあそび――を考案し 結社の自由に乗じて組織化したものである。のではないか?  11. この組織宗教とは 良心・信教の自由を侵す犯罪行為ではないのか? 憲法違反ではないか?  12. 組織の権限関係にもとづき――ということは 権限ある地位についた人間がその人間としての判断にもとづき―― 他人の信仰の是非や度合いを規定するかのごとく言い渡すのは 人間の自由を侵す犯罪行為ではないか?  13. 結社の自由は 宗教にもとづく組織としては 個人における良心・信教の自由と両立しないのではないか?  個人の信仰は ヒエラルキアになじみ得ない。  14. 信仰の宗教化じたいがすでにその瞬間に 信仰の自殺行為となるのではないか?  15. 聖典等と呼ばれる文献等の研究のための組織のみが残るのではないか?   16. いわゆる宗教家は 個人としての表現の自由にもとづき個人として活動するのみとすべきではないか?  17. 宗教組織は すべからくすみやかに自己解体すべきではないか?  (註1) 《信仰はその教義化において主観内面のことが言葉による表現としてすでに外面に移されている》: たとえば信仰においては 《存在の奥底にそなわったと言うべき中核のチカラが 〈ひとは人をころさないものだ〉と語っているのを知っている》。しかるに 宗教においてその信仰内容が教義化されるということは 《なんぢ ころすなかれ》という言葉による表現となって持たれることを意味する。  片や 心の声を知っている信仰と 片や その声の内容を倫理規範として持ちそのことの習慣化によって或る種の観念を形成しこの観念が――法規範と成ることをとおしても――おのれの思惟や行動〔の自由〕を規制するようにはたらくこととがある。この両者の差は おおきいであろう。 

  • ガザの人々の避難先は?

    ガザ地区の一般市民は狭い地域に押し込まれてイスラエルから攻撃を長い間受けていますが、なぜそんな所から逃げ出さないのかと思えます。 逃げるに、もどこにも受け入れ先が無いのでしょうか? 留まっているからには、いつかパレスチナに戻る希望があってのことなのでしょうか? イスラム原理主義組織のハマスが攻撃目標となっている公共建築物から一般市民が逃げるのを禁じて人の盾にしていると聞きます。そういった組織がガザ地区からの逃亡を禁じているということもあるのでしょうか? 皆さんよろしくお願いします。

  • ジェノサイド??(ダルフール)

    ダルフール紛争について質問です。この紛争は政府軍率いるアラブ人の組織(ジャンジャウィード)と非アラブ人の組織の対立だと思いますが、なぜ政府軍はジャンジャウィードを支援しているのでしょうか?簡単に、政府軍もアラブ人なのでしょうか? 次に、最近中国がスーダンとの石油と引き換えに武器をスーダン政府に送っていて、それがダルフール紛争に使用されているという問題がありますが、スーダンというのは石油が採掘される地域なのでしょうか?石油で有名だとは初めて知りましたが、(常識でしょうか?)、他国でスーダンの石油を狙っている国はありますか?また、中国とスーダンの関係はいつから続いているのでしょうか? 最後に、国際社会がこの紛争に対して対処している方法とはどういうものでしょうか?国連は難民高等弁務官はが働きかけているのでしょか?日本は?アメリカは? 教えてください。 お願いします。

  • 政治家の評価方法

    主観抜きで客観的に政治家をどう評すのか、ということを考えました。 たとえば、菅直人氏を評価するには何をもって評価するのか。 法案、発言、行動のようなもので評価するのがよいでしょうか? 個人的には主義・主張はどうしても自分の持っている考えによるところが多いので、評価はしにくいと思います。 こんな評価がある、と教えていただけると助かります。

  • 武藤貴也議員の法律的な考えの根拠は事実妄想どっち

    自民党を離党した、 武藤貴也議員は、 自身のブログで、 日本国憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という三大原理が「日本的精神」を破壊し、現在の日本の「精神的荒廃」をもたらした内容を 投稿していたが、 以外がその内容だが、 国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった」. 「その根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い」 7月31日には、安保法案を批判する学生団体の「だって戦争に行きたくないじゃん」という主張を「自分中心、極端な利己的考え」とし、これを「戦後教育のせい」と批判している。が、 これは、 法律の専門家からすれば、 真面な発言なのか、否か? 武藤貴也議員の見解が 抱える問題性とは、何か? 戦争に行くたくないと、 利己的なのか? 利己的は罪なのか、否か? 生存権の根底には滅私奉公が存在し それが、戦後教育で失われたのは 事実なのか?否か? 日本人的価値観。」というもの。かつての日本は法治主義ではなく「徳治主義」であったと指摘し、日本的価値観として「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」といった徳が「古来からある」とした。 そして現行憲法が掲げる「基本的人権の尊重」が、このような日本的精神を破壊した「主犯」と主張。戦前には国家や地域、家族の中では人権が制限されて当たり前と考えられていたのは 事実なのか?否か? 滅私奉公て、 ある組織の自分よりも 身分が上の人間に対しての 絶対精神的な奴隷服従、 考え思考に対する反論をしない 盲信、 思考停止をする事を 言うのではないか? 日本はこれまでの歴史の中で 徳治主義だった時代は、 本当にあるのか?否か? 日本的と精神とは? 勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」なのか はじめ知ったが、 武藤貴也は根拠があっているのか、 それとも、単なる持論 もしくは、空想の類いなのか? http://mutou-takaya.com http://lite.blogos.com/article/130543/ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/武藤貴也 引用。 法律カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております!

  • 店員さんの態度について

    店員さんの接客態度に、ショップのタイプによって下記のような違いがあると感じた人はいますか? ※ ・決めつけではなく、限度や例外もあります。 ・ショップタイプの分け方や内容はあくまでも主観的な傾向です。  勘違いや認識不足もあると思います。 1)誰もが知る世界的な高級ブランド: どんな客にも親切丁寧(例外もある)。 某ブランドのスタッフには感動すら覚えるとの声多数。 2)ハイブランド・および高級なセレクトショップ ( 1)ほどじゃないけどかなり高額): 排他的。客の外見によって態度に落差あり。  ※そうではない店も知っているが、あくまでも傾向として。 3)ある程度良いものを作るブランド・およびセレクトショップ (いいお値段ではあるが、比較的手を出しやすい値段): どんな客にも割と丁寧。(例外もある) 普通にオシャレしてれば、ないがしろにされる事はない。 もちろん、常連さんや関係者はどのタイプの店でも大切にされると思います。 <質問> ◯この傾向と似たような事を感じた事ある方はいますか? ◯2)の店はハイブランドにかかわらず、1)のようにならないのは何故でしょうか? ※ ・決めつけではなく、限度や例外もあります。 ・タイプの分け方や内容はあくまでも主観的な傾向です。  勘違いや認識不足もあると思います。

  • 個人の成果主義者が集まれば強いのでしょうか???

    完璧主義で誘導尋問もいとわない、成果を出すのを得意としていて。 やるきあって、原理主義的。厳しくて、自分の視点でルールをたくさんつくる。 短期的に成果をだすのにむいているかもしれないのですけど、闘争的で周囲の成績を下げるのもいとわないこともあるかとおもいます。 もし本当にそれがいいのならブラジルのサッカーが世界で優勝続けているようにおもえるのですけど、組織としてそれは本当に強いのでしょうか?個性が強くて。 上記は入り混じっているかもしれないので2つの像にわけれたらわけてください。 みんな同じことをするのがチームプレーでもないように思えますし。本当のチームワークって何なのでしょうか?

  • 言葉の巧みさと正しさ

    僕の傾向として、自分と意見に食い違いがある人を、何とか説得したい、納得させたいという気持ちが強いです。 でも最近、相手を説得したり、納得させたりということは、ただ僕の方が言葉が巧みである、ということの証明にしかならないと思うようになりました。つまり正しさとは関係がない。 例えば宮崎駿には、色々な素晴らしい思想、主義主張があると思うんですけど、きっと討論したら負けちゃったりすると思うんです。僕の勝手な想像でしかありませんが。 そういうことを考えてたら、相手を説得するとか、納得させるということに、空虚さを感じるようになってしまいました。 皆さんは、言葉の巧みさと正しさについて、どう思いますか。

  • fifaの裁定について

    やっとFIFAの裁定が出ましたが 選手個人に対して2試合の出場停止と罰金ってことなんですが これって実質無罪みたいなもんですよね?  この程度でOKって前例作ってしまったので まぁしないとは思いますが中東やパレスチナ関係、領土問題や紛争地域の選手等 政治的介入をしても2試合程度の出場停止と30万程度の罰金でOKってことですよね?? そうなると今後国際大会で適当な選手と100万程度の金さえ用意しておけば国際アピール できるってことになりますよね? もちろん2回目は知らないぞって脅しもついているとは思いますがFIFAにとって政治不介入ってのはその程度だったんでしょうかね?

専門家に質問してみよう