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男の美学、退いてはならない瞬間

これから生きていくうえでのアドバイスをお願いします。 最近、美学というものを考えてます。 「男には退いてはならない瞬間」というのがどの美学にも言える事だと思うのですが、自分にとって「退いてはならない瞬間」って考えても分からないんです。自分の大切な人をけなされたとき?自分のプライドを傷つけられたとき?よく分かりません。 人生の先輩方に質問です。 あなたにとって「退いてはならない瞬間」「何を失ってでも守らなければならないもの」って何だと思いますか?教えてください。

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noname#49496
noname#49496
回答No.3

自分で決めた事。 何となくこうなればいいな~といった程度の事ならどんどん譲歩しますが、一度「こうする!」と決めたのなら、引いてはいけないと思います。 その為にも、決める時には相当の覚悟も決める必要はあります。 まあ、何について決めるかは本人の自由なので、その人の価値観が見えたりしますが・・・

amaukezara
質問者

お礼

とても参考になります。 なるほど、「自分で決めた事」ですか。すっと腑に落ちました。 確かに「自分で決めた事」も守れないようなら信念なんてありえないですからね。ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#53063
noname#53063
回答No.8

女性です。 退く時は退く事も大切なのではないですか? それを忘れてしまうと、ただの勘違いな人になります。 男の美学なんて物の例えでしょうが、人としての在り方とすれば理解できる面はあります。 退いてはならない時は日常生活で多々ありますよ。 私は人間的にすごく不完全で欠点だらけですが それでも言わなければならない事はあります。 相手にとっては不愉快な話であろうとも。。。 男性には分かり辛いかも知れませんが子育てで女性が 大きく成長する機会を与えられているのは事実です。 「美学」なんていうとカッコの良いものだと考えて いらっしゃるのかも知れませんが、何かを成し遂げようと 何かを守ろうと、苦悩しながら足掻きながら時には 泣きながらでも、必至に生きてる姿は美しいものです。 貴方はそんな人を見苦しいと思うのですか? 回答にはなっていないですね。 ご自分で導きだすのが宜しいかと思います。 ご参考までに。

  • kurakappa
  • ベストアンサー率18% (47/250)
回答No.7

>自分の大切な人をけなされたとき?自分のプライドを傷つけられたとき? その辺りは当然のことでしょうが「退いてはならない瞬間」は、鈍く女々しくなければその都度判断出来るようになります。 それ以外、美学など何でも良いのです、人に迷惑掛けなければ。 卵焼きには必ずしょうゆだ!でも、風呂は必ず右足から入る!でもいい。 あまり「美学美学」とこだわると「意固地な人」に思われるかも知れないので、自分だけが得をしない、人には迷惑掛けない、ぐらいの内容で持たれるのが宜しいかと。 生きていくうえで美学が必要のなのではなく 生きてきた中で行いに筋が通っていれば美学が出来るんだと思いますよ。

noname#63315
noname#63315
回答No.6

>「男には退いてはならない瞬間」 美学ではないですよ。 これは男だとか、女とかなどもまったく関係ありません。 自分の中で自己満足ではない行為に対して、決して曲げることのできない己の信念です。 「生き様」という言葉も当てはまるかもしれません。 何が起こっても「常に自分らしく生きる」私にとってはその程度のものです。 自分の生き方を他人に美学として伝えること自体、私は不快に感じますけどね。

amaukezara
質問者

お礼

美学ってあくまで個人的幅を超えないです。 それにしても、i-mixsさんにとって「常に自分らしく生きる」というのは美学ではないんでしょうか?当然、美学と言うのは人によって様々です。その中で、僕は自分だけの美学を見つけようとしています。「男には退いてはならない瞬間」、どう考えても美学ではないでしょうか。信念というのは個人的幅を超えないものです。僕は美学を信念と置き換えてもいいとさえ思うんです。ただ、貴方のいうとおり、自分の生き方を他人に伝える行為は何か不快に感じるという気持ちも分かります。美学は個人的幅を超えないからです。

noname#254711
noname#254711
回答No.5

一言でいうのは難しいのですが 「それを失えば、自分ではなくなるようなモノ(こと)」を 守る時かな? 自尊心でも自信でも良いでしょうし、当然のこと「命」の時もあるでしょう。 妻や子供が居るならば、夫や父親である自分ではなくなる場合では 命に変えても、妻や子供を守ろうとするのではありませんか?

  • hirarno36
  • ベストアンサー率20% (274/1336)
回答No.4

「男には退いてはならない瞬間」 瞬間だけ退いてはならないことなんかたいしたことありませんよ。 10年20年・・・ずっと退いてはならないことが真の男の退いてはならないこと。(なんちゃって) 戦国時代が大好きなのですが、武将の生き方はすごいですね。一生懸命(当時は領地を守るため一所懸命と書きました)は家族、領民のために命を掛ける男のことを言うと思いました。もちろん瞬間、瞬間での決断もあるのですが、一生続けていくことが出来ないとやったことにはならないでしょうね。途中で投げ出すのが男として一番恥ずかしいと思いましょう。

  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.2

私(ブ男)は平和主義で争いごとは好みませんが、しかし長い人生の中には退くに退けない、行く道を行くしかない場合もあると思います。 これからの自分の人生がどうなろうと、絶対に退けない、男が命をかける、という必死のケースは敵がイケメンの場合です。 あとは別にどーでも良いです。もともとブライドなんかないし。

noname#58692
noname#58692
回答No.1

>あなたにとって「退いてはならない瞬間」 「何を失ってでも守らなければならないもの」って何だと思いますか? 子供の命かな。。 実はけっこうなにもできないんだけど。

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