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キリスト教

frisk_blue_loveの回答

回答No.10

お礼拝見しました&No.8の補足も読みました。 No.8の補足にあった、サンヘドリンの禁止事項ですが・・・ サンヘドリンは神殿で開催されるのだとすれば、夜間は神殿の扉が閉ざされるので(1)、(2)、(6)は納得です。(5)はニコデモが、それに近い話をヨハネ7:51で語っていますのであり得そうです。(4)は手下を使えば訴える事が可能です。他の禁止事項には若干疑問がありますが、それらはその本を読んだ上で考えますね(質問者さんのご意見ではありませんからね) さて、No.9のお礼で質問者さんのお考えは分かりました。 >アリマタヤのヨセフとニコデモによる情報操作(隠蔽)を民衆(マグダラのマリアら)が「復活」と受け取って広まった なるほど、その推理にはかなり説得力があるかも知れません。 復活後のイエスのエピソードに、両人が全く出てこない(普通なら、お墓サンキュー、とか、香油どうも、とか言ってくれそうです)のも気にかかります。 ただ、復活した、という突拍子も無い事を、マグダラのマリアだけでなく弟子たちも信じるに足る、説得力のある何か(死体が無い、という消極的な物的証拠だけではなく、何かが在ったという積極的な証拠)が知りたい所です。それが無ければ、続々と殉教者が生まれないと思うのですよ。(事実、トマスは復活したイエスを見るまで信じない、と主張してます) これは私見ですが、噂(デマ)は、恐怖に基づくものは証拠を必要としませんが、希望に基づくものは証拠が無いと容易に広まらないと思います。何故なら、恐怖は危険に裏付けられますから、証拠を確認するような悠長な事をしては余計危ないからです。それに対し、希望の方は人間はぬか喜びしたくないので、確認したくなります。喜ぶのは後でも遅くないからです。福音は間違いなく希望に属するので、弟子たちも証拠を求めたのではないでしょうか?しかも確たる証拠を。 さて、長々と述べてしまいましたが、やはり別質問をお立てになる事をお勧めします。この質問は他の質問に埋もれ、哲学カテゴリーの最初のページに表示されないので、他の回答者さんの目に留まり難くなっています。ここを締め切らない限りは(お礼や補足で別の論点が示されれば)時間のある限りお付き合いしますが、広く意見をお求めになった方が、考えの幅は広がると思います。 >整理された内容を質問に転用させていただいて もちろん、結構ですよ。むしろ光栄な事です。他の質問者や回答者の意見から、新しい質問が生まれる知の連鎖は大歓迎です。 老婆心ながら、新質問のタイトルを「キリスト教」としないで下さいね。「イエス復活の真相は?」とか「アリマタヤのヨセフについて」などにしませんと、過去の質問と区別がつきませんので。 >(略)C.Sルイスが言っています ナルニア国物語で有名な、C.S.ルイスですね?「悪魔の手紙」という彼の作品を未読であれば、いつかお読みください。きっと楽しめます。 >(略)感銘を与えるものであると思います。どう思われますか? 何と言っても、二千年近い時を超えてイエスが語った言葉が残っているのは、その言葉に普遍的な「真理」があるからだと思います。人が人である限り、イエスの言葉は人の心に影響を与え続けると思います。 (我々も、イエスの言葉でつながっているのですから・・・そう考えると不思議ではありますね) またもや長文失礼しました。参考になれば幸いです。 P.S.「kyudousha」=求道者、さんでしょうか?アナタの進むべき道が、一日も早く見つかりますように。

kyudousha
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「アリマタヤのヨセフとニコデモによる情報操作(隠蔽)を民衆(マグダラのマリアら)が「復活」と受け取って広まった」 と書きましたが、どうも、最初に「噂」を流したのは監視に当たっていたローマ兵だったようですね。その「噂」が司祭主導でかなり矛盾のある言い回しだったので信憑性の高い「復活」として民衆に浸透したと考えられます。使徒行伝にその辺が載っていたと思います。 「悪魔の手紙」読んでみたいと思います。 ちなみに「日本人に贈る聖書ものがたり」は4巻もあり、イエスの裁判や復活は3、4巻をまたいで書かれています。 「復活」がキリスト教信仰の分水嶺であるとするとこの辺の議論、歴史的考証がもっとなされてしかるべきだと思います。 私は、イエス・キリストが神でなかったとしても、ガンジー、キングなどの解放運動など世界を変える原動力となってきた人物として「宗教」とか「信仰」といったくくりを取り払った上で、もっと注目され議論されるべき人物であり、好奇心を抱いて探求すべきことであると感じています。 ほんとうですね!私たちがこうしてネット上でつながったのもこの人物(神)あってのことですね。 ネット上の議論は忌憚ない意見を得られるので、進むべき道を模索する際にも非常に有益であると思います。そう考えるとここ数十年で劇的に世界は変わりつつあるのだと実感します。 こういったやりとりができたことうれしく思います。 ありがとうございました。

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