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キリスト教

frisk_blue_loveの回答

回答No.9

お礼拝見しました。 >私見ですが(略)流言蜚語のように広まったと(略)特にアリマタヤのヨセフとニコデモ(略) 上記は、別質問になさった方が良いと思います(質問者さんが確信しているなら無用ですが) その場合、民衆から自然発生的に復活伝説が広まったのか、アリマタヤのヨセフとニコデモによる情報操作なのか、は質問者さんの考えとしてどちらが可能性が高いと思うのかも明記されると、実りのあるQ&Aになると思います。 とは言え、折角お礼を頂戴したので、私の意見も述べさせて下さい。 質問者さんが例示された理由の(1)~(5)ですが、私なりに整理すると (1)ユダヤ教上の宗教改革者としてのイエス (2)ローマからの解放者としてのイエス (3)キリスト教の創始者としてのイエス (4)ユダヤ人を救うダビデ王家の再興者としてのイエス (5)現世の利益を提供してくれるイエス だと思います。上記の内(4)は当時の救世主とは、ローマの支配を終わらせてくれる(世=ユダヤ人の住む狭い範囲)の意味しか持たないからです。 アリマタヤのヨセフ(とニコデモ)は当然(1)をメインに期待したと思われます。しかし、もしも、彼らが復活したと嘘を言った場合、来年の過ぎ越しの祭りにイエスが登場しなかったら、彼らの宗教改革(祭司の腐敗を糾弾する事)が頓挫してしまいませんか?とすれば、彼らが積極的に復活したと嘘をつく理由が弱いような気がします。 仮に(2)or(4)を期待するならば、民衆を焚きつけて弔い合戦をさせよう、と考えたならイエスが死んだままでなくては都合が悪いです。かと言って、復活したのなら、民衆を率いるのはイエスでなくてはなりません。復活したと嘘をついたなら、困るのはヨセフ(とニコデモ)です。 (5)は彼ら裕福な人には無縁ですが、貧しい人々が希望をこめて復活を噂したとしても、証拠がなければ誰も信じてくれません。復活したのなら、パンをまた分けてくれるはずですし、病気を癒してくれるはずです。 ドコでイエスさんはパンを配っているんだ?病気を治してくれるんだ?と噂を流した人に詰め寄るのではないでしょうか?結果、嘘だと判明する可能性が高いでしょう。 そして、(3)は敬虔なユダヤ教徒として受け入れ難いものです。事実イエスも復活前には「私はイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15:24)、とユダヤ人の救済が先決だという立場です。(ユダヤ教徒なんですから当然ですよね)ですから、復活した、とエルサレムの住人が言い出す可能性も低いと考えます。 (3)は正にキリスト教の核を成す思想ですから、アリマタヤのヨセフやニコデモはそこまで望んでいた訳ではないのです、彼らはユダヤ教徒なのですから。 アリマタヤのヨセフとニコデモは、真剣に神の国の到来を待ち望み、神の教えを守ることによって救われたいと考えていたでしょう。その彼らが、自分の尊敬する師の死体を隠蔽して「復活した」と偽りを死ぬまで言い続ける、事に意味があったのでしょうか? 後世の我々はキリスト教を知っていますから、嘘をついてでも新宗教を立ち上げる意味も理解できますが、当時ではローマからすれば犯罪者を教祖にする事は危険な行為だと思われます。 それに、復活という奇跡はペテロですら信じていなかった節があります(マタイ16:21~23)から、直接教えを受けていない民衆は余計信じ難い奇跡だと思います。 総合して、どうせ嘘をつくのなら、もっとマシな嘘をつくのではないか?というのが私の感想です。 しかしながら、質問者さんの意見は興味深い考察なので、別質問で広く意見を募る方がよろしいかと思います。 長文失礼しました。

kyudousha
質問者

お礼

非常に理路整然とした真摯なご回答ありがとうございます。 また、質問方法のアドバイスいただきありがとうございます。 >質問者さんの意見は興味深い考察なので、別質問で広く意見を募る方がよろしいかと思います。 (1)~(5)の回答者さんの整理された内容を質問に転用させていただいてよろしいでしょうか?(でも、私が書くと長くなりがちで、どういった質問文にしたらよいか苦悩中です・・・。) >民衆から自然発生的に復活伝説が広まったのか、アリマタヤのヨセフとニコデモによる情報操作なのか 私は、アリマタヤのヨセフとニコデモによる情報操作(隠蔽)を民衆(マグダラのマリアら)が「復活」と受け取って広まったと考えます。番をしていたローマ兵(墓の警備を失敗したため死刑になる可能性があった)に知恵をつけてパリサイ人に擁護させたことがかえって復活の宣伝になってしまったこと(使徒行伝)も策略と考えだしたらキリがないです。 >(3)は正にキリスト教の核を成す思想ですから、アリマタヤのヨセフやニコデモはそこまで望んでいた訳ではないのです、彼らはユダヤ教徒なのですから。 ユダヤ教徒で律法や預言書に通じ、イエスと接触があり、感化されていた彼らがそれを望む可能性を示唆する部分は聖書にも出てきますし、彼らが置かれていた状況などからも、彼らの義憤や危機感がうかがいしれます、また、イエスが神の子であったら本当にすばらしいだろうと思うまでに至っていれば、彼の生前の言葉に添うように行動したのではないでしょうか?変わり果てた遺体を見てどう感じるでしょうか? >どうせ嘘をつくのなら、もっとマシな嘘をつくのではないか? 彼らは嘘をつくのではなく、隠蔽工作をしただけで、あとは「神の子」について信仰を告白しただけといえませんか。 この両名はもはや普通の「ユダヤ教徒」という範疇には収まらなくなっていたと考えられます。No8に補足をつけさせていただきましたのでご一読ください。 イエス・キリストが神の子ではなく偉大な教師であるなどとするならば、イエス・キリストが狂人と定義されてしまうというようなことをC.Sルイスが言っています。しかし、そうだとしても、彼の言動はなおも人々に感銘を与えるものであると思います。どう思われますか?

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