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キリスト教

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.2

聖書に登場する名前は、意味を持つと思うんですね。 例えば小説を書くとき、歴史上有名な人の名前を取ってキャラにつけたりしますよね。 それによって何者であるかを暗示的に読者に知らせる。 または謎解きをして、その名前がつけられた必然性を、物語の中で説明したり。 私など小説で姓がコーヘンとかコハイムってキャラが出てくると、「ああ」って思いますから。 で、ヨセフというのはエジプトだとジョセルで、古代では聖職者の名前だったようなんですね。 で、パレスチナに移り住んでも、名づけに制限は加えられていたと思うんですね。 (ヨハネは例外みたいだったようですが) で、イエスを埋葬したヨセフは、福音書によって詳細が違っていますよね。 マタイは「金持ちでイエスの弟子」(マタイ27:57)といい、マルコは「身分の高い議員」(マルコ15:43)、ルカは「神の国を待ち望んでいた」「善良でただしい人」(ルカ23:50-51)、ヨハネは「イエスの弟子でありながらユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」(ヨハネ19:38)人物としている。 (wikiより) 全部かもしれない。 で、<アリマタヤのヨセフ>の意味。 <女神アリ(マリ)に属するヨセフ> 議員 すなわち聖職者で、マリに従う者って意味じゃないかと。 ただし、聖職者であれば、過ぎ越しの祭りが近いので、死体に触れたり弔ったりすることは避けたはずですので、この描写はおかしいですね。 もし イエスが死んでいなければ、運べるのですが、死んでいたらできない。 イエスの顔も知らなかったという描写から、ローマ兵がイエスの墓を守るということはありえないし、ローマに反逆する恐れのあるものは、裁判なしに処刑していたピラトですから、兵士に処刑した男の墓を守らせるなんてことはするはずがない。 つまり、裁判から始まり それ以降の記述は後世の加筆だと思います。 つまり ヨセフもニコデモも実在しておらず、小説上の架空の人物。 加筆した人が、ユダヤの風習を知っていれば、こんなミスは犯さなかったでしょうね。 非ユダヤ人がユダヤ教について触れるから、こんなミスを犯すことになったんだと思います。 聖書に落書きすなーーって ねぇ。

kyudousha
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >聖職者であれば、過ぎ越しの祭りが近いので、死体に触れたり弔ったりすることは避けたはずですので、この描写はおかしいですね。 当時のユダヤ教社会で、もはや聖職者とは見なされなくなったと考えられるのではないでしょうか?

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