• ベストアンサー

武将

rinzooの回答

  • rinzoo
  • ベストアンサー率29% (76/262)
回答No.15

続けてごめんなさい。 日本編&おまけ 日本 ・ヤマトタケルのミコト(古事記や日本書紀に登場する、天皇の皇子にして、武将。各地の討伐に文字通り、東奔西走させられ、都に戻る途中、亡くなった。) ・天武天皇(舒明天皇の第2皇子で母は宝皇女(皇極天皇)、天智天皇、間人皇女の同母兄弟。兄・天智天皇のあとの相続の戦乱で、大友皇子を破り、天皇として即位した。即位後は、妻・後の持統天皇とともに、日本の律令国家の礎を築いた。) ・坂上田村麻呂(征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降した。) ・源頼朝(鎌倉幕府の初代将軍。平治の乱で父が平清盛に敗れると伊豆へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると平家打倒の兵を挙げ、関東を平定し鎌倉を本拠地とした。源義仲と平家を弟らによって破ると、戦いに活躍した源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼす。後に征夷大将軍に任じられた。これ以降、征夷大将軍の任は、源氏の子孫、という暗黙のルールが出来上がる。) ・源義経(平治の乱で平清盛と戦った父の敗北により鞍馬寺へと預けられるが、後に奥州平泉へと下り奥州藤原氏の当主藤原秀衡の庇護を受ける。兄頼朝が平家打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平家を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、兄と不仲になり、難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。) ・織田信長(周辺の敵対勢力、今川氏や斎藤氏を破り、足利義昭を奉じて上洛を果たし、義昭を将軍位につけるが、その義昭と敵対する。しかし、信長はこれを破り、以後は天下布武を推し進め、楽市楽座、検地などの政策を採用する。既存の権威や勢力(朝廷・仏教など)の否定、家柄門地によらない人材登用、新兵器であった火縄銃の活用などを通して戦国時代を終結へと導いていったが、延暦寺焼き討ちなどの苛烈な政策から魔王とも恐れられた。最後は家臣の明智光秀の謀反(本能寺の変)により自害した。) ・豊臣秀吉(百姓として生まれ、織田信長に仕え、次第に頭角を表す。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継の地位を得る。その後、大坂城を築き関白・太政大臣に任命される。その際豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。太閤検地や刀狩などの政策を採るが、慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康らに託して没した。) ・徳川家康(三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦い以後、織田信長の盟友として領地を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げ、海道一の弓取りと呼ばれた。豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て(負けたわけじゃない。)秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開く。) 最後の3人は、私が愛知県人ゆえの贔屓です。 (この3にんは全員、現愛知県の出身者) おまけ 武将ではないけれど・・・・・ ・エリザベス女王1(ヴァージンクィーン。スペイン王国の全盛期に、対抗した英国女王。) ・ヴィクトリア女王(イギリス・産業革命時代の女王。国の発展に統治。また、植民地も統治。) ・エリザベス王大后(エリザベス・アンジェラ・マーガレット・バウエス=ライオン。現イギリス女王の母。第二次世界大戦中、ジョージ6世とエリザベス王妃は、ドイツ軍の激しい空襲を受ける中、ロンドンから避難することを拒み、国民の慰安に尽力した。V2ロケットの直撃でバッキンガム宮殿が被災した時も、「これでイーストエンド(下町の低所得層の多い地区)の人々と同じ境遇になれたかしらね」と、超然としていた事を知らされ、ヒトラーが慄然とした話は有名である。このことから、ジョージ6世やエリザベス王妃がイギリスの士気に多大な影響を与えた為に、エリザベス王妃を『ヨーロッパで最も危険な女性』と評したという。) ・ビートルズ(ロックバンド。4人組。全世界中で、彼らがブームになった。) 戦ったわけじゃないけど、 この人たちの影響は、かなり大きかった、ハズ。質問趣旨と外れてごめんなさい。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。ビートルズはユニークですね。

関連するQ&A

  • 赤い鎧を着ていた武将は誰?

    赤い鎧を着ていた武将は誰? 学校の国語(中学校か小学校高学年)の授業で古典の題材として出てきた話を探しています。 要約を載せます。(教科書には古文体で載っていたと思います) 時は戦国時代、赤い鎧を着て、連戦連勝を飾っている武将がいた。 ある日、その武将を甥が尋ねてきた。 「おじ様、次の戦で私は初陣に臨みます。勝利を挙げたいので、おじ様が使っているあの赤い鎧を貸してください。 あの赤い鎧なら絶対に敵に勝てると思うのです。 お願いします」 可愛い甥のたっての希望に応え、その武将は赤い鎧を貸してやった。 そして戦の日が来た。 武将は今回は馬に乗らず、歩兵として出陣していた。 武将の甥は馬にまたがり、借りた赤い鎧を着て、先陣を切って敵部隊に突入、ばっさばっさと敵の雑兵を蹴散らしていった。その勇姿に武将は目を細めていた。 「さすが我が自慢の甥だ。あれなら赤い鎧を貸さなくとも充分勝てたであろう」 次の瞬間、武将に敵の雑兵が襲い掛かってきた。武将の甥に蹴散らされた恨みも併せて、必死の形相で武将に襲い掛かってきたのだ。そして武将は討たれた。そして武将は気がつくのだった。 「わしが連戦連勝だったのはわしの実力ではなく、赤い鎧を見て敵兵が恐れていたからだった。赤い鎧がなければ、わしの実力はただの歩兵と変わりなかったのだ・・・」 そして武将は死んだ。 この話の原典を教えてください。 よろしくお願いします。

  • 豊臣時代で渡来人を先祖とする武将はいますか?

    古代までは百済などからやってきた渡来人が貴族になることもあったようですが、豊臣時代あたりまでで、渡来人を先祖とする武将はいますか? いたら教えてください。よろしくお願いいたします。

  • 読み方が難読の武将

    日本の戦国時代・江戸時代初期の武将の中で、 名のうちの、 同、意、成、孝 という漢字を、 あつ、おき、しげ、よし と読む武将を知っていたら、以下の武将以外で 教えて下さい。 ・三浦義同(よしあつ) ・三浦義意(よしおき) ・伊達成実(しげざね) ・黒田孝高(よしたか)

  • 韓国の武将は?

    これだけ韓流ブームになっているのに、日本の戦国時代や中国の三国志といった、歴史に名を残す猛者を全然耳にしません。 韓国の歴史は知らないのですが、韓国の武将は有名でないのですか? 韓流ブームの芸能人は知っていますが、歴史の偉人について全然知りません。 テレビを見ていないし、韓流ブームにも興味がないので、私が知らないだけなのでしょうか? 有名な武将と歴史(名台詞)があれば教えて下さい。

  • 戦国時代 武将の定めた軍法について

    戦国時代に、武将が自分の軍・家臣に示した軍法や軍規(明智光秀の軍規定書など)について調べたいと思っています。 広く様々なものを比較していこうと考えています。 一般に「戦国」と区分される時代において、どのような軍法が出されていたのでしょうか? また、現在まで伝わっているものにはどのようなものがあるのでしょうか? 有名な武将の物から一般的には知名度の低い武将の物まで、どなたかご存知の方にお教え頂ければと思います。 「武将名」と「軍法の名前」そしてその軍法の内容を見る事の出来る資料や場所等も併せて教えて頂けますと助かります。 どうぞよろしくお願い致します。。

  • 武将、武士の話方について

    中世、近世の武士、武将の話し方は、どのような感じだったのでしょうか? 時代劇では、たいてい主役がかなり力んでいますが、力めば力むほど、 私はどこか違和感をおぼえ、引いてしまいます。 武将、知将・・・・・・・タイプはありますが、歌を詠んだり、書状を書く、 つまり教養がある武士は、力むようには思いません。 低い声で、凄みがあるような気がします。(想像の世界ですが・・・) 個人さはあると思いますが、どちらかといえば、ゆっくりなのでは? 公家は、ドラマに出てくるあのような定番でいいと思います。 武士、武将はあんなに力むものなのでしょうか?

  • 「信長の野望」の作品ごとで名前が変わっている武将を教えてください

    「信長の野望」の作品ごとで名前が変わっている武将を教えてください 信長の野望の武将の能力値がどのように変遷したのか見てみたいのですが 作品によっては武将名が変わっていて見つからないことがあります 長尾影虎→上杉謙信ぐらいなら分かるのですが 長井規秀→斎藤道三なんて分かりません で、そういう作品ごとで名前が変わっている武将を教えてくださいませんか?

  • 戦国武将の名前

    歴史小説などを読んでいると、 戦国武将の名前は 織田・信長 と苗字と下の名前の他にも 幼名や通称名、官途受領や、法号、正式な姓など 色々な「名前」があったようですが、 そういった名前の仕組みや、 それらを合わせた戦国武将の「フルネーム」が分かる本、サイトなどないものでしょうか。

  • 太閤立志伝5 配下武将を繋ぎとめるには

    お世話になります。 表題の件について、質問させていただきます。 秀吉武士プレイ、国主です。 1571年に信長の指示により、武田家の城を2つ壊滅させて、敵方武将を数十名を生けどりにして、配下武将として登用したのですが、 数か月ほど経つと、数名の武将が奉禄不足を理由に城主の元を去ってしまいます。 中には有能な武将が含まれているため、なんとか流出を防ぐ方法を考えています。 不満がある彼らを昇進させることで奉禄upさせてやりたいのですが、 昇進できるだけの勲功を積んでいないため、昇進させることができません。 これらをつなぎとめるにはどうすればいいかアドバイスいただけないでしょうか。 あと、補足ですが、風林火山が使える武田信玄は、なんとしても登用したかったのですが、説得したが登用を拒んだため、他家へ登用され、今後の脅威になることを防ぐ目的から処刑しました。 アドバイスの方、よろしくお願いします。

  • 諸葛亮死後の武将

    諸葛亮が死亡した後に活躍している武将を知っているだけ教えて下さい。 あまり活躍しておらず知られていない人物でも構いません。 ちなみに現在私が知っている諸葛亮死後に活躍(?)していた武将は 【姜維・夏侯覇・鐘会】 のみです。