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歴史の必然的流れについて

マルクスのような史的唯物史観が正しいのかわかりませんが、どうも人間社会に必然的な発展方向というものが歩きがします。しかも結構卑近なものにそれを実感します。 世の中がだんだんとジェントルになります。 この文章でわざわざ横文字(カタカナ)を使いましたが、先日電車の社内広告でどこかの専門学校の宣伝に、~~学科の~~がほとんど横文字カタカナ表記だったことに少々衝撃を受けましてこの質問をしているところです。 国際主義(汎アメリカ主義に過ぎないのでしょうが)がナショナリズム(自国文化主義)を覆っていく。 物事を直截的にあらわすことを避け、やれ差別用語だ何だ当たり障りのいい言葉表現をとる。その一端が横文字カタカナ表記ですね。 人々が無関心になってめったに干渉しなくなっていく。 そんな流れが、おそらく日本だけではなく世界的な問題だと想像していますがどうでしょうか。 歴史が間違って、これらを逆転させること(再び「一等車」「平民」「公約」「旅行企画」などを復活させる、障害者にまったく媚を売ることさえやめるなど)がありえるでしょうか? 」

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回答No.4

人間は、周りの環境に左右されます。 人間としての質としては、思想的なものでは古代中国のほうが上だと思っています。 現代人は、携帯電話やパソコン、カーナビ等により、物事を記憶し、判断し、考える能力を喪失しつつあると思います。 人は、楽なほうに流れていきます。 人々が無関心になっていくのではなく、その、能力を喪っていきつつあるのです。 日本人は、マスコミの低俗な文化に流され、喪いつつある能力を更に磨耗させています。 世界では、こんな国はありません。 「家畜人ヤプー」の世界が現実味を帯びてきているとさえ思えます。

noname#41852
質問者

お礼

それはいえているんでしょうね。ただ、世界的にも携帯電脳頭脳という流れはあり、多かれ少なかれ、人間としての能力は失われつつあるのではないでしょうか?しかし、無関心になっていくのは、能力の喪失と一にしているというお考えは、至極妥当のように思います。

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その他の回答 (4)

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.5

少し、ズレた回答になってしまうかもしれませんが、参考になれば幸いです。 歴史の必然ということでしたら、諸行無常、盛者必衰こそ、歴史の必然でしょうか。 古代から今現在まで、ず~と世界の中心であった国はありません。 必ず、その中心は移動しています。 米国は現在世界の中心と言っても良い程影響力のある国ですが、いずれ衰退していき、変って別の国が世界の中心となるでしょう。 それが、中国なのかインドなのか、はたまたブラジルになるか、あるいはアフリカ諸国になるかは、予言することは難しいと思います。 もう一つの法則は、 「革新」と「保守」が振り子の針のように振れながら、時代が進んでいくということでしょうか。 近代民主主義が確立する先鞭を付けたといっても良い、清教徒革命やフランス革命でも、すんなりと事は運んでいません。 王政復古やら独裁政権やらが生まれながら、少しずつ今の形となっていきました。 今の日本に関して、私個人が感じているのは「保守」の方向に振り子の針が振れてるように思います。 戦後、高度経済成長を果たす中で、西洋化という「革新」が起りました。 その反動として「保守」に振れ始め、安部内閣の「美しい日本」に繋がっている気がします。 このまま大きく「保守」に振れれば「ナショナリズム」が台頭してくるでしょう。 しかし、「革新」が引力として働くことでその振れは小さくなります。 そして、働かなかったときに「戦争」などの大きな転換期を迎えるように思います。(もちろん、この逆もしかり)

noname#41852
質問者

お礼

お考えのこと、確かに言えていると思います。四大文明の国々は近世社会とともに植民地に成り下がり、覇権を持ったアメリカの斜陽も明らかであり、主権は流動的である。しかも、一国においてさえ、振り子のように右から左へとゆれる。しかし、なんと言うのでしょうか、その周期性というのは、ひとつの大きな方向に向かっていく上での周期なのかもしれません。それは人類的な必然的発展なのかどうか。

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回答No.3

交流・交易している地域内の最大勢力(政治的・文化的)に影響される、というのは歴史の必然かと思います。 かつては中国がアジアの中心的位置にいたため日本はその影響下にありました。「漢字」を始めとして中国由来の物で現在日本文化に根付いていたものは多いでしょう。 また元々自国文化にない物は、相手国の言葉や文化がそのまま入り込む、ということもあるかと思います。 ◎ 物事を直截的にあらわすことを避け、やれ差別用語だ何だ ◎ 当たり障りのいい言葉表現をとる。 それは「国際主義」というよりは「あうんの呼吸」と呼ばれるような日本文化の特質のように思われますが? 言葉だけ変えて誤魔化すのも日本的なもののように思います。 ◎ 「一等車」「平民」「公約」「旅行企画」などを復活させる、 ◎ 障害者にまったく媚を売ることさえやめるなど 「一等者」「平民」は身分差別ですし、「公約」「旅行企画」とはまったく別次元のお話では? 「公約」が「マニフェスト」に変わったのは「公約」が「耳あたりの良い占拠中の約束」になりがちで、そもそも何の根拠もなく「○○します」と言っていたのを「○○するための財源は....」と根拠を明示して「空約束」ではないよ、ということを示すといったものでしょう。 障害者である、ということだけで差別すべきではない、がまだきちんと定着していないために「変に気を遣う」という「逆差別」になっている、ということのような気がしますが。

noname#41852
質問者

お礼

交流物国家と密接に関連しあうということはありますね。汎アメリカはその傾向でしょう。物事のごまかしが、近年拍車がかかってきたということにかんしてどんなんだろうと思っています。真に日本的になってきたのか?身分差別というものが実質的になくなったから消滅したのか、消したかったからなのかどうなんでしょうね。「公約」をマニフェスト「旅行企画を」「ツーリングマネージメント」とかいうふうに安易に置き換えてどういう意図があるのだろうということです。ただの表層的なイメージ戦略をそんなに大事にする意味があるでしょうか?「公約」でも「マニフェスト」でも実質が伴わなければなんら意味がありません。障害者の差別用語がジェントルになってきた、いい事なのか悪いことなのか判断つきかねますね。 長文のご回答ありがとうございました。

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  • ohei
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.2

戦時中の、デッドボール→死球、みたいなのって、 その仮説の例になりませんかね。 あと「障害者にまったく媚を売ることさえやめる」っていうのは、 その仮説とは違う次元のことに思えますが。

noname#41852
質問者

お礼

戦時中ありましたね!いい反例を教えていただきました。障害者への表面上の優しさが以前よりはあるということです。媚って言うのはちょっと違うかもしれませんが、ニュアンスとしてはそうも取れるのではと。

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  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.1

結局・・・ ・・・それで、質問は何ですか?

noname#41852
質問者

補足

なぜ世の中がこうなっていくのか、それには法則性があるのかということなんです。

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